大谷翔平選手の移籍先がドジャースに決まった。
西海岸でもあり、エンゼルスのあるアナハイムから近いこともあって
この移籍は予想できたが、いざ決定すると寂しい。
いままでエンゼルスの赤いユニフォームを見て来ただけに
それ以外のユニフォームのイメージがわかない。
フレッチャーやスタッシーもエンゼルスからいなくなったし
エンゼルスの馴染みの選手が少なくなった。
大谷選手については、どこの球団に行っても応援する気持ちは変わらない。
来季は肘を治しながら打者として更なる活躍を期待している。
大谷翔平選手の移籍先がドジャースに決まった。
西海岸でもあり、エンゼルスのあるアナハイムから近いこともあって
この移籍は予想できたが、いざ決定すると寂しい。
いままでエンゼルスの赤いユニフォームを見て来ただけに
それ以外のユニフォームのイメージがわかない。
フレッチャーやスタッシーもエンゼルスからいなくなったし
エンゼルスの馴染みの選手が少なくなった。
大谷選手については、どこの球団に行っても応援する気持ちは変わらない。
来季は肘を治しながら打者として更なる活躍を期待している。
日本中を熱狂させたWBC(ワールドベースボールクラシック)。
選手の一挙手一投足を見逃さないようにテレビにかじりつき、
負ければ終わりのゲームに集中した。
そして優勝という夢が現実になり、その勝利に興奮したが、
そのあと、高校野球にしてもプロ野球にしてもイマイチ気持ちが上がらない。
WBCロスだろう。
宮崎キャンプでバッターボックスに立つ松田選手
野球教室にて・・・
子どもにバッティングの指導をする松田選手
昨日、ショッキングなニュースが飛び込んできた。
入団から17年間ホークス一筋でやって来た松田選手が
「今季限りでホークスを退団する」という。
マッチの愛称で親しまれて来た看板選手だけにショックも大きかった。
今年は若手の活躍で1軍での出場機会がぐっと減り、
”熱男”の存在感も薄れていた。
ボクらホークスファンからすれば、
松田選手が他の球団のユニホームを着てプレーすることは考えられないことだったが、
本人が「現役続行」を望んだ結果なので、それを尊重したいと思う。
この先どこの球団に移籍するのか分からないが、
どこに行っても熱男魂で頑張ってほしい。
今までホークスに貢献してくれてありがとうございました。
竣工前、外構工事が行われていた出来立てほやほやの「くにがみ球場」
沖縄らしくシーサーが・・・
道の駅 「ゆいゆい国頭」
沖縄県の北部に位置する国頭村。
そこにある唯一の球場が「くにがみ球場」である。
この球場で記念すべき第1号のホームランを放ったのが現役時代の新庄選手である。
その記念すべき球場で監督として指導している。
開幕からどんな策で、どんな手腕を発揮するのか楽しみでならない。
ホークス一筋15年のベテラン 高谷裕亮捕手
リードに優れ、バッティングで意外性を発揮した高谷捕手が
来季の構想外の選手に入っていることが分かった。
物まねが得意で、すぐに人の特徴をものにしてしまう。
そんな彼はグラシアルがホームランを打った時に
ボクシングのパンチパフォーマンスでもお馴染みのシーンになった。
来季からはグラシアルもいなければ、高谷もいない。
さらに左キーラーとして活躍した川島慶三選手も、
昨日猛打賞の釜元 豪選手も構想外の中に入っているらしい。
新しい選手が入って来るだけ、
決められた人数の中で生き残るのは至難の業である。
それがプロの世界だと思っている。
いずれは誰もが通る道だと分かってても、寂しい。
さらば!赤いリストバンドの高谷裕亮。
先日、現役最後のマウンドに上がった松坂大輔投手。
その松坂投手のサインボールがあるのを思い出した。
入団したてのころ、ダイエーと西武戦の時に買った物であるが、
” 平成の怪物 ” と呼ばれた逸材も晩年は右手のしびれに悩まされ、
ついに現役に別れを告げた。
アスリートにも人生と同じように始めがあれば終わりがある。
競走馬ではないが、引退試合や引退会見をやってもらえるのは幸せだと思う。
今はサヨナラだけど、「再び会うまでの遠い約束」
上の写真は監督に就任した年の宮崎キャンプで、
内川聖一選手を相手にバッティングピッチャーを買って出た時のものである。
そんなソフトバンクホークスの工藤公康監督(58)が、
今季限りで退任する意向を固めたことが分かった。
就任7年目の今季が契約最終年だが、現在4位と低迷。
クライマックスシリーズ進出は難しい状況になっている。
工藤監督は秋山幸二前監督の後任で2015年から指揮を執り、
同年にリーグ優勝と日本一。
短期決戦で無類の強さを発揮し、
17~20年はパ・リーグ球団の新記録となる4年連続の日本一に輝くなど、
昨季までの6年で5度の日本シリーズ制覇に導いた。
その年に最も功績があった監督、
選手らに贈られる正力松太郎賞は昨年まで3年連続で選ばれるなど、
選手時代を含め計5度受賞。
16年には野球殿堂入りした。
ボクらホークスファンは、「 勝って当たり前。優勝ありき 」 だった。
その強さの上に胡坐をかいていた気がする。
『 勝って当たり前 』 のプレッシャーは相当なものだったと思う。
勝てば選手の手柄。負ければ監督の責任。
連敗しても連勝しても心が休まることが無かっただろう。
ペナントレースという戦場からしばらく離れて、
また戦いの場が恋しくなったらいつでも戻っていいと思う。
工藤監督、今までありがとうございました。
現在4位であえぐソフトバンクは昨日、長谷川勇也外野手 (36歳) が
今季限りで現役を引退すると発表した。
長谷川選手は酒田南高校から専修大学を経て06年にドラフト5位でホークスに入団。
それ以来ホークス一筋15年。
2013年に198安打を打った時は、
200本を目指した長谷メーターというボードもお目見えした。
その年は打率3割4分1厘で最多安打と首位打者のタイトルを獲得しているが、
ここ数年は主に代打の切り札としての出場にとどまっていた。
1軍に上がりたての頃は、2ストライクまでなかなかバットを振らないバッターで、
あと1球しかない状態で詰まったようなヒットをよく打っていた記憶がある。
それぞれの力士に仕切りでいろんな動きというか、ルーティーンがあるように、
長谷川選手も打席に入るまでと、
打席に入ってからも彼自身のルーティーンがあり、
とにかくその動きが独特だった。
盗塁で足首を痛めてから出場機会がグッと減ってしまうが、
ここ一番で代打で起用された時の存在感が、いつもボクらに期待させた。
そんな背番号24の長谷川選手。
今までホークスのために尽くしてくれてありがとう!
そしてお疲れさまでした。
沖縄県うるま市安慶名にある 「 具志川商業高校 」
校歌に出てくる 「 古城 ( 安慶名グスク ) 」
甲子園初出場で初勝利を挙げた具志川商業高校。
以前、宜野座カーブで宜野座旋風を巻き起こした宜野座高校を思い出させる。
第二戦は九州同士の福大大濠と対戦になるが、
平常心で頑張ってもらいたい。
今日は巨人に先制されたが、その後、柳田と甲斐のホームランで逆転してくれた。
最後まで気が許せない試合でヒヤヒヤしたが、なんとか勝ってくれた。
これで日本一になった。
ホントに良かった。
5点リードで迎えた9回だったが、ロッテの粘りにヒヤヒヤした。
そしてやっと勝った。
この勝利がパ・リーグ優勝となった。
3年ぶりの優勝はコロナなどで特別な優勝となった。
ホントに良かった。
まだ、クライマックスもあるし、その先もあるので、
” 勝って兜の緒を締めよ ” で臨んでもらいたい。
野村克也さんの訃報が掲載された今朝の新聞
南海ホークス時代の帽子
かつて大阪球場や中百舌鳥がホームだった南海ホークス。
そのチームで孤軍奮闘した野村克也。
1975年5月22日、通算600号を達成した時に、
「 王、長嶋がヒマワリなら、俺はひっそりと咲く月見草 」 だと言った。
当時、大スターだった王、長嶋への反骨心が原動力なったという。
現役引退後も監督や解説者として野球に携わり、
実際に経験したことや体験をもとに理にかなった解説が好きで、
野村さんの解説の時は、この選手はどういう風にとらえているのかとか、
どんなことを言うのかを楽しみにゲームを観ていた。
そんな解説が聞けないと思うと寂しい。
生涯一捕手、野村克也さんお疲れ様でした。
ヤフオクドームで2連勝して乗り込んだ東京ドーム。
3連勝して王手をかけた勝負はハラハラ・ドキドキのゲームセットだった。
今日決まるとは思っていなかっただけに、” まさか、まさか ” である。
明日から試合が見れないのは寂しいが、日本一になって良かったと思っている。
選手やスッタッフの皆さんおめでとう!
そしてお疲れさまでした。
日本シリーズの第2戦は中盤までお互いの投手が好投してなかなか点が取れなかった。
そんな沈黙を破ったのが、ホークスのお祭り男 「 松田宣浩 」 。
思いっ切り打ち返した打球はバックスクリーンへ・・・
まだ8回だが、このまま行って欲しいと思っている。
3本目のホームランを放した今宮選手
西武のアドバンテージ1勝を考えても、
ソフトバンクの苦戦は免れないと思っていたが、
まさかまさかの4連勝で3年連続、19回目の日本シリーズ進出となった。
今日は今宮選手が1試合3本のホームランを放ち、勝利に大きく貢献してくれた。
期待をしていなかっただけに喜びもヒトシオである。