具志頭(ぐしちゃん)の白水川に架かる自然橋
自然橋 (ハナンダ)
昨日紹介した、 「
汗水節之碑 」 の近くにハナンダという自然橋がある。
このあたりの地層は、上層は琉球石灰岩層であり、
その下層は泥炭岩層 ( 方言名・クチャ ) から形成されている。
上層の琉球石灰岩は岩石の特性上湿潤な気候の下では溶けやすく、
その結果、地表や地中にいろいろな溶食地形を造っている。
このような地形をカルスト地形という。
地表の琉球石灰岩が溶けて凹地が出来る。これをドリーネという。
地中の琉球石灰岩が溶けて出来たのが洞穴や鍾乳洞である。
隣接する複数のドリーネの地中の琉球石灰岩が溶けて両者が地中で空洞でつながり、
表層部が残り、それが自然の橋を造る。
これがこの 「 自然橋 」 である。
この自然橋が位置するところは、具志頭南部一帯はもちろん、
東風平町南方富盛 ( ともり ) 一帯の雨水が合流して太平洋に注ぐ水門になっており、
その水がさらにこの自然橋の空洞の部分を侵食して、
天然の大きな太鼓橋が出来たわけである。
地元ではこの自然橋のことを 「 ハナンダ 」 と呼んでいる。
橋の幅員の広いところは9m、狭いところで約6.8m。
橋の長さは27mあり、橋の高さは水際まで約9mとなっている。
径間は西側で11m、広くえぐれた東側では16mで、
下流側の方が上流に比べ、5mばかり広くなっている。
橋脚の側面の長さは南側で約8.4m、北側は9mとほぼ同じくらいで、
これは珍しい自然の生成である。
かつて、この自然橋の下に広い淵があり、これを「ハナンダグムイ」と呼んでいた。
この淵の広さは、東西約23m、南北約11mあり、
淵の中には自然の飛び石が7個造作よく並んでいる。
元禄15年 ( 1702年 ) に成立した元禄国絵図によると、
玉城間切から具志頭間切を通り、摩文仁間切に抜ける一本の道路がみえる。
この道路は玉城間切から新城村に入り、新城村から具志頭村を通り、
この自然橋を渡って摩文仁間切に至ったのである。
そんなことを鑑みると、自然橋は近世琉球時代において、
具志頭間切における重要な交通路であったことを証明している。
以上、現地にある 「 説明板 」 より
沖縄県島尻郡八重瀬町具志頭