「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

沖縄県豊見城市 「 饒波 ( のは ) の石橋 」

2015-01-02 04:59:41 | 沖縄の石橋



コンクリートに囲まれているがアーチは確認できる








上流側からだと輪郭が分かり難い







アーチ内側の輪石を見る事が出来る







集落から畑へと続くT字の道







橋の近くに那覇空港自動車道が見える





所在地 /   沖縄県豊見城市饒波
架橋  /   不明
石工  /   不明
長さ   /      ?m   幅   /  5.5m
拱矢  /   1.4m   径間  /   2.7m
環厚  /   33㎝    単一アーチ


饒波の石橋は、那覇空港自動車道の
豊見城市インターチェンジ付近を流れる小川に架かる橋で、
現在はコンクリートで巻かれているため石橋とは気付き難いが、
側面から見るとアーチの裏側の石組みを見ることが出来る。
石橋の架橋年月日や石工などは不明だが、
沖縄戦のもっとも激しかった南部に位置することから戦前の物とは考えにくい。


饒波の石橋へのアクセス
饒波の石橋へは豊見城総合運動公園の裏手にあたるため、
那覇空港自動車道の下を潜って行くと、
自動車道から200mほどで橋へ行くことが出来る。
駐車は、橋のあるT字路の広くなった場所に駐車した。


沖縄県那覇市 「 ヒジガー橋 」

2014-12-29 05:56:41 | 沖縄の石橋



どことなく凱旋門を思わせる雰囲気がある








安里川の下流から見たヒジガー橋の全景








草に覆われた上流側







橋の袂にある説明板







切り石をつなぎ合わせた簡素な造りの欄干







土手続きで布積みになった橋脚部分







3段になった通路部は石が敷き詰められている







金城ダムよりヒジガー橋方面を望む







ヒジガー橋の下に受ける金城ダム





所在地 /   沖縄県那覇市繁多川
架橋  /   1733年ごろ
石工  /   不明
長さ   /   13.18m   幅   /   5.2m
拱矢  /    1.5m    径間  /   3.5m
環厚  /   40㎝    単一アーチ


ヒジガー ( ヒジ川 ) 橋は、首里崎山町にあった御茶屋御殿から
識名園に至る途中の金城川 ( 安里川 ) 上流に架けられた
琉球石灰岩を用いた単拱橋である。
架橋の詳細は定かではないが、17世紀半ばまでには造られていたと思われる。
橋の中央部が少し高くなり3段の階段式になっており、
通路部は石畳のように石が敷き詰められている。
欄干は切り石を利用した質素な造りだが、
見えない部分にホゾを作って巧みに組み合わせている。
橋のアーチは円弧で橋脚部は布積みになっており、その他はあいかた積みになっている。

ちなみにヒジガーの名は、
ヒラ ( 坂 ) の西側にある古くからの湧水 「 ヒジガー 」 の名に由来している。


ヒジガー橋へのアクセス
ヒジガー橋へは、那覇市の真地と繁多川にかかる金城ダムの上方の右奥に架かっている。
ダム内は遊歩道が設置されているので、道路沿いにある駐車場から歩いて行ける。
ダム奥にある黄色い手すりが目印になる。
駐車はダム横の道路沿いに駐車場 ( 10台くらい ) が完備されている。


沖縄県豊見城市 「 長堂の石橋 」

2014-08-31 05:41:41 | 沖縄の石橋



欄干や通路部はコンクリートで補強されている







側面からトンネルのようなアーチが見える







上流側からは蔦が絡まり輪郭がハッキリしない







環厚32センチの輪石が端正アーチを造る







きれいに面が揃えられた橋脚部分






校舎と体育館の間を流れる小川に架かる橋







橋から見た南部農林高校の敷地内






所在地 /   沖縄県豊見城市長堂
架橋  /   大正5年ごろ
石工  /   不明
長さ   /   6.0m   幅   /  4.8m
拱矢  /   0.9m   径間  /   2.3m
環厚  /   32㎝    単一アーチ



長堂の石橋は豊見城市長堂地区にある南部農林高校の校舎と
体育館の間を流れる本流の長堂川へ流れ込む支流に架かる橋である。
橋は通路部と欄干はコンクリートで補強されており、
意識をしなければ通常の道としか思えない。
側面から見るとトンネルのようなアーチが大き目の輪石で組まれているのが確認できる。


長堂の石橋へのアクセス
長堂の石橋へは、豊見城市にある南部農林高校の敷地内にあるため、
南部農林高校を目標に行くと良い。
駐車は、高校の入り口にあるコンビニの 「 ココストア 」 で買い物をして
そこから歩いて行った。



沖縄県名護市 「 安和の石橋 」

2013-08-07 06:03:55 | 沖縄の石橋



後付けされたコンクリートの欄干が目を惹く








安和岳 ( 432m ) をバックに橋が映える







アーチ頂部の壁石の部分が極めて薄くなっている







壁石はコンクリートで覆われているが輪石は健在である







小さ目の石で組まれたアーチ内部








大きな石がきれいに積まれた橋脚部分







上から見ると石橋だとほとんど気づかない通路部





所在地 /   沖縄県名護市安和
架橋  /   昭和25年ごろ?
石工  /   不明
長さ   /   5.4m   幅   /  3.1m
拱矢  /     ?m   径間  /    ?m
環厚  /     ?㎝   
単一アーチ



安和の石橋は、名護市から本部町へ向かう途中にある安和集落の中に架かる橋で、
国道449号線の旧道から安和岳に向かう農道の脇に架かっている。
輪石と橋脚は当時の石積みを見る事ができるが、壁石はコンクリートで巻かれ、
欄干と続きになっている。
橋は、ほとんど輪石で支えられているような構造になっている。


安和の石橋へのアクセス
安和の石橋へは、国道449号線沿いにある安和集落に入る旧道を行くと、
スーパーのある場所の信号機から右に入って300mほどで橋に行き着く。



沖縄県八重瀬町  「 自然橋 ( ハナンダ ) 」

2012-08-21 21:21:58 | 沖縄の石橋



具志頭(ぐしちゃん)の白水川に架かる自然橋


















自然橋 (ハナンダ)



昨日紹介した、 「 汗水節之碑 」 の近くにハナンダという自然橋がある。

このあたりの地層は、上層は琉球石灰岩層であり、
その下層は泥炭岩層 ( 方言名・クチャ ) から形成されている。
上層の琉球石灰岩は岩石の特性上湿潤な気候の下では溶けやすく、
その結果、地表や地中にいろいろな溶食地形を造っている。
このような地形をカルスト地形という。

地表の琉球石灰岩が溶けて凹地が出来る。これをドリーネという。
地中の琉球石灰岩が溶けて出来たのが洞穴や鍾乳洞である。

隣接する複数のドリーネの地中の琉球石灰岩が溶けて両者が地中で空洞でつながり、
表層部が残り、それが自然の橋を造る。
これがこの 「 自然橋 」 である。

この自然橋が位置するところは、具志頭南部一帯はもちろん、
東風平町南方富盛 ( ともり ) 一帯の雨水が合流して太平洋に注ぐ水門になっており、
その水がさらにこの自然橋の空洞の部分を侵食して、
天然の大きな太鼓橋が出来たわけである。
地元ではこの自然橋のことを 「 ハナンダ 」 と呼んでいる。

橋の幅員の広いところは9m、狭いところで約6.8m。
橋の長さは27mあり、橋の高さは水際まで約9mとなっている。
径間は西側で11m、広くえぐれた東側では16mで、
下流側の方が上流に比べ、5mばかり広くなっている。
橋脚の側面の長さは南側で約8.4m、北側は9mとほぼ同じくらいで、
これは珍しい自然の生成である。

かつて、この自然橋の下に広い淵があり、これを「ハナンダグムイ」と呼んでいた。
この淵の広さは、東西約23m、南北約11mあり、
淵の中には自然の飛び石が7個造作よく並んでいる。

元禄15年 ( 1702年 ) に成立した元禄国絵図によると、
玉城間切から具志頭間切を通り、摩文仁間切に抜ける一本の道路がみえる。
この道路は玉城間切から新城村に入り、新城村から具志頭村を通り、
この自然橋を渡って摩文仁間切に至ったのである。

そんなことを鑑みると、自然橋は近世琉球時代において、
具志頭間切における重要な交通路であったことを証明している。

              以上、現地にある 「 説明板 」 より



沖縄県島尻郡八重瀬町具志頭

沖縄県那覇市 ・ 「 末 吉 橋 ( すえよしばし ) 」

2012-06-12 21:44:48 | 沖縄の石橋




























架橋  /   1953年 ( 昭和28年 )
石工  /   不明
長さ   /   5.3m  幅   /  2.9m
拱矢  /     ?m 径間  /    ?m
環厚  /    ?㎝   単一アーチ



末吉橋は、沖縄モノレール 「 ゆいレール 」 の市立病院前駅の近くを流れる
安謝川に架かる橋で、親柱の架橋年代が1953年となっているが、
橋脚や輪石の一部から判断して大正時代くらいではないかと思われるくらい古さを感じさせる。
上部、側面の外観からは石橋だとは気付き難いが、
川中から覗けば琉球石灰岩で組まれた石組みを見る事が出来る。


末吉橋へのアクセス
末吉橋へは、 「 ゆいレール 」 の市立病院前駅から末吉公園方面に脇道を下りて、
駅から約150mほどで橋に行き着く。
駐車は、末吉公園に設置された駐車場が利用できる。

( 沖縄県那覇市首里末吉町4丁目 )


沖縄県那覇市 「 龍淵 ( りゅうえん ) 橋 」

2012-05-19 17:02:33 | 沖縄の石橋


上流の円鑑池側は橋の位置が低めになっている








増築を予測してか?アーチの上に角のような2本の柱が出ている










天井アーチ部分はコンクリート施工したように目が詰まっている








底面には流水圧に耐えるように大きな石が敷かれている








橋脚部分は布積みで隙間なく積まれている







下流側は龍潭池の奥の堤になる




架橋  /   1502年ごろ
石工  /   不明
長さ   /    ?m  幅   /  8.7m
拱矢  /    ?m  径間  /  1.75m
環厚  /    26㎝  
単一アーチ




龍淵橋は、弁財天堂に渡る天女橋のある円鑑池の堤に架設された橋で、
池の水量調整の水門の役目をしている。
上の円鑑池から下の龍潭池へスムーズに水が流れ込むように造られており、
写真でもわかるように下流の龍潭側が2mほど低くなっている。
内側の壁面は隙間なく石が積まれており、底面にも大きな石が敷かれている。
大きな石が用いられたのは、流水圧に耐えうるように造られたのであろう。
上流側にも下流側にも2本の角のような柱が出ているのが印象的である。


龍淵橋へのアクセス
龍淵橋へは、同じ円鑑池に架かる天女橋と同じように首里城を目標にしてもらいたい。

( 沖縄県那覇市首里城公園内 )



沖縄県那覇市 「 世持橋 ( よもちばし ) 」

2012-05-18 16:57:23 | 沖縄の石橋


鉄格子を覗き込むとコンクリートの奥に石積みが見える




































橋の上の龍潭通り ( 県道29号線 ) が走る





昨日紹介した下之橋から首里城に向って行くと、
龍潭 ( りゅうたん ) 池の堤に出る。
世持橋は、その龍潭の水量を調整するために架けられた橋である。

龍潭は第一尚氏の尚 巴志が冊封使一行を接待するために
国相の懐機に命じて1427年に人工的に造らせた池である。
そんな龍潭の堤に穴を空けたように架かっているのが世持橋である。
現在、下流側は鉄格子が設置され、施錠されているので内部には入れないが、
格子越しにその内部を見る事は可能である。


世持橋へのアクセス
世持橋へは首里城の下の龍潭の堤を走る県道29号線の下になるため、
首里城を目標に行くと良い。
駐車は、首里城の近くの有料駐車場を利用した。


( 沖縄県那覇市首里池端町 )



沖縄県那覇市 「 下之橋 ( しむぬはし ) 」

2012-05-17 09:12:59 | 沖縄の石橋














































儀保駅から下りて行くと谷に下之橋が架かっている。





下之橋は、弁ヶ嶽を源流とする 「 儀保川 ( ジーブガー ) 」 に架かる橋である。
周りを民家やアパートが囲っており、
加えて橋のある場所が低くなっているため撮影が困難であった。
個人の庭先やアパートの駐車場から覗かなければ橋を確認することが出来ず、
撮影条件的にも大変な場所である。
橋の周りは護岸整備で3面をコンクリート張りにされているが、
橋の部分だけが架橋当時の琉球石灰岩の野面積みが見られる。

下之橋は当蔵・赤平・儀保三町の町界にあり、この橋で線引きがされている。
儀保川の上流に架かる上之橋に対して、下之橋と呼んでいる。
首里城から浦添を結ぶ街道は二本あり、
平良町の太平橋でひとつに合流した首里城から円覚寺前の道を通って上之橋に延びる道を
「 上道 ( イーミチ ) 」 といい、
首里城下の円鑑池と龍潭間の龍淵橋から安谷川坂を通る道を 「 下道 ( シムミチ ) 」 と呼んでいる。
橋の周囲には野面積みの石垣が残っており、首里の古い佇まいが残っている。


下之橋へのアクセス
ゆいレールの儀保駅から首里城方面に歩いて200mほど行った場所に架かっている。

( 沖縄県那覇市首里儀保ー首里当蔵町 )