“しなやかに、清々しく”

日常の出来事等を気ままに発信したい。

久しぶりに逗子に来ました。

2024-10-11 19:00:36 | Weblog

 ブログを書こうとして夕方散歩の写真を整理していたら、2024年のノーベル平和賞の発表実況がテレビに映り、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が選ばれた旨流れました。おめでとうございます。世界に紛争が多い今日、この上ない注意喚起です。二度とこんな悲しいことが起きてはなりません。

 今日正午に新宿を出発して逗子に来ました。3連休前とのことで首都高速は渋滞。通常35分ほどで第3京浜に入るのが1時間ほどかかってしまった。

 もう追い越し車線には入らずと決めているので、その後も最高速度で85KM/ℍほど。逗子まで2時間ほどかかってしまった。高速から下りると、気温は2℃ほど低くなり、21℃となる。

 しばらく部屋で休んだのち、夕方、犬の散歩に海岸に行った。

 久しぶりの夕景。素晴らしい。富士山も頂上は顔を出している。

 

 なぎさ橋から。

石原裕次郎の「太陽の季節、ここに始まる」の碑から海岸を・・・。

 以下、太陽が沈むまで堪能してください。

 

 

 

 

 

 

どうでしたか。最近、雨ばかり時には太陽が顔を出すがぼんやり。やはり、秋になったことですね。空気が澄んでいる。

 これから一週間ほど、この天気が続くようです。

 

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地元の「御霊神社」礼祭が・・・。

2024-09-29 12:52:50 | Weblog

 28日(土)、29日(日)の両日、地元新宿区中井・中落合地区の守神「御霊神社」の礼祭が昨年に引き続き、開催された。

 コロナのためここ数年開催されていなかったが、昨年数年ぶりに開催にこぎ付け、盛大に行われた。今年は、天候を心配したが崩れることなく、神輿も通過して神社に向かった。

 今年は、約1kmの距離がある神社まで行くのが難儀で勘弁してもらった。

 まず、昨日の子供太鼓の状況をお伝えする。

中落合1丁目商店街を進む子供太鼓集団。

 新築マンションが建てられたので、そこに入居した家族の子供たちのようだ。

  今日29日11時30分から、ここ中井睦の大人の神輿が始まるとの電話が息子から入った。先ほど午後1時からと聞いていたので慌てて着替えて外に飛び出した。

 もう、役員の挨拶が始まっていた。

他の街からの応援4~5隊ほど駆けつけているようでとても多い。

さぁ~、出発だ。道路いっぱいになって神輿をかつぎあげる。

中井睦が出発。

車は一時停止してもらっている。

 

途中、街の有志のところでご馳走になったりして休みながら、御霊神社に4睦が集合してお祓い拝礼し、集落を廻って午後8時まで街中を神輿を担いで歩く。

弊会社前を神輿が練り歩いてゆく。

 昨年は、私も神輿を追って御霊神社まで足を運んだが、今年は、この先10mほどのT字路駅前道路で神輿を見送った。

 弊会社の真ん前には、各人からの奉納内訳板が掲示されているが、神社やお寺との関係が薄れているこの世を映しているのでしょうか、奉納板に張られる人数が年々少なくなってきているように感ずる。

 

 <追記>

 今年は、御霊神社まで同行できなく残念だった。そこで、昨年の写真を探したら、見つかったので、神社の写真を載せておきます。

御霊神社 入口。

 御霊神社 本殿。

 

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NHK連続テレビ小説「虎に翼」最終日を迎えてしまいました。

2024-09-27 11:59:13 | Weblog

 今年4月1日から始まった首記連続テレビ小説「虎に翼」は、今日9月27日で最終回を迎えました。

 皆さん如何でしたか。

 小生、毎週月曜日8時から15分間、土曜日まで毎日早起きして、テレビの前にかじりつきました。見落としたときは、正午過ぎの再放送を見るか、PCに録画したものを観るなどしてほぼ全部を見ました。

 NHKの連続テレビ小説にこんなにかじりついたのは初めて! 

 このテレビ放映が始まった4月には、モデルとなった弁護士三淵嘉子さんの紹介雑誌を買い求め、大略のことを勉強した。(4月5日付、このブログで紹介)

 

4月に当ブログで紹介した平凡社発行の「虎に翼」主人公モデルの三淵嘉子さんの紹介誌。

 どうしてこんなに深くのめりこんでしまったんだろう。登場した寅子(伊藤沙莉さん)他の名演技に引っ張り込まれたというのはありますが、今思うと、中学時代から法律に興味があったこと、高校時代も歴史は嫌いだったが何故か法律関係の時間になるとしゃきっとして聞き入っていたように思う。六法全集も高校の時に家にあったのを読んだことを覚えている。 

 しかし、それ以上に化学が好きになってしまい、大学は化学方向に進んで、卒業後は大手製薬会社に就職し、総合研究所で研究生活を10年ほど過ごしました・・・。そして新潟県出身の田中総理の時代、家に帰っては、もともと好きな民法、不動産法を勉強し、不動産取引主任者免許を取得、研究所を退社、見習いのため某不動産会社に入り、しばらくして地元で会社を興す。曲がったことが嫌いな性格から、皆さんから信用を得て、経営は順調。若いうちに息子にバトンし、現在に至っている。

 今でも性格は、理屈っぽい。法にのっとってのように曲がったことが嫌い。

 今回の寅子さんや他の弁護士たちのように、筋が通らないとだめ。横には勧められない人たちの集まりですので、私の性格に会っていたのかしら?

 

 今日のNHKテレビから。

 

 

もうこの顔が見られないと思うと‥‥。

最終回は、PCに録画しておきました。もう一度、時間を見つけてゆっくりと観たいと思います。

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写真家T・T・TANAKAさんの佐渡風景写真展に!!

2024-09-22 23:56:59 | Weblog

10日ほど前、新潟日報・佐渡版を覗いていましたら、下記のような小さな記事 『静岡県熱海市のT・T・TANAKAさんの写真展が原宿竹下通り入口から50mほど入ったところで、昨日21日から28日まで開催する旨の記事』を見つけた。

  静岡県熱海市の写真家、T.T.Tanakaさん(68)が、新潟県佐渡を被写体にした写真展を9月21日から東京都内で開く。海岸の奇観に出合い、夕日に魅せられた。この島の美しい姿を全国に知らせたいのだという。

 Tanakaさんは兵庫県出身で、本名は田中廣(ひろし)。パキスタンや軍事侵攻を受ける前のウクライナなど広く世界を撮影してきた。

 新型コロナウイルス禍のため渡航できなかったとき、日本地図を広げていて...

 ★写真展は9月21日〜28日の午前11時半〜午後5時半、渋谷区神宮前1のギャラリーハセガワで開く。入場無料。

静岡県熱海市の写真家、T.T.Tanakaさん(68)が、新潟県佐渡を被写体にした写真展を9月21日から東京都内で開く。

 となっていた。

 小生も若い時から風景写真を趣味としていろんなところを撮したり、佐渡出身で同級生のMさん(元富士フイルム役員)の写真展等を見に行ったりし、興味を持っている。” 佐渡生まれ以外の人が島内の風景をどのように捉えるのだろう?″ と興味を持ってここ1週間期待していた。

 今夏の猛暑で、外に出かけるのを避けていたが今日は、やや秋風が吹き出し、歩きやすくなったので、家内を引っ張って久しぶりに原宿詣でとなった。

JR山手線原宿駅、竹下口に。日曜日正午過ぎのせいで人はいっぱい。

竹下口方向を観ると、人がいっぱい。 

 あらかじめマップで確認し、竹下口から50mほどの左側の小道を入ったところと目途をつけ歩き出したが、判らず、途中で出会った佐川急便配達員に聞く。とても親切で、スマホで確認して教えてくれた。

 

ポールの上に「ギャラリーハセガワ」の看板を見つける。古着屋店の手前の道幅2m弱の小道を入る。

ギャラリーハセガワの入り口。

 昨日、新潟日報・佐渡版にあったこの記事を探したが今は見つからない。客が少ないのでは? と思ったが、案外入っている。

 ホッとしてドアを開け、記帳する。

 展示場は広くない。が、目に入ったのは、大きな画面、懐かしい<弁慶のはさみ岩>。

『懐かしい!!』 とついことばを発してしまう。

 ほかの方を案内していた田中さんが隣りに来て「いらっしゃいませ。ありがとうございます」とあいさつ。名刺を出してくれた。単なる一般の人とは違うと思ったのかしら?

私も「実は佐渡出身のものです。あそこにある妙宣寺の五重塔のある真野出身です」と言って名刺を出す。「会場の写真をカメラに撮っても良いですか」と聞くと、「あぁ~、どうぞ」の返事。

夕焼けの写真がとても素晴らしい。私も若い時から真野湾での夕焼けや大佐渡スカイラインからの夕焼け等をいっぱい撮っているので、趣味が共通しているようだ。一枚として同じ写真はない。一瞬の時。それがたまらない。

会場内をあまりぱちぱちと撮ってはいけないと思い、一方の部屋の写真は見るだけとして、遠慮して作品集を覗いた。

田中先生の写真集、366日日めくりのENCOUNTERS366が珍しいと、買い求めた。

田中先生に、「どうして佐渡の風景写真を撮るようになったんですか?」 と聞くと「私は佐渡と家系等の繋がりは全くありません。7年ほど前に佐渡の自然が好きになったこと、お能の本間家に興味を持ったことから毎年訪れるようになって、写真を撮り続けたんです。冬の写真もあります」とのこと。

 先生とお話ししていると、近くにいた客が、「本間家と耳にしたので・・・、私、相川の出身です」と話してきた。私、「どうしてこの写真展を知ったの?」と聞くと、「受付をしている人が友達だから・・・」と教えてくれた。

 〈弁慶のはさみ岩〉の写真の前で。 右端 田中先生。後列の左端、相川出身の女性。前列右側、相川出身の女性と知り合いで受付をしていた方。前列左、相川出身の方の友人。後列、私の隣り 家内。(田中先生と受付をしていた方の顔写真は出してよいとの先生からのメールがありましたので・・・)

 先生に「私、ブログをもう20年余りしているので、ブログに紹介してもいいかしら?」と聞くと、「ああ、いいですよ」と返事してくれた。

 佐渡出身者以外の人が、佐渡の風景写真展を開くことは珍しいこと。二見の夫婦岩の撮り方も私共は真正面から撮っているが、田中先生は、横からとらえている。写真を観た時の感じが全然違う。

 一枚一枚、味が違う。残された時間はあまりないが、ぜひ足を運んでご覧になっていただきたいと思う。

 原宿に出て来て、竹下通りを歩くなんて、今度が2回目かしら? 表参道通りは、佐渡市東京事務所があったので何度も来ているが・・・。

 竹下通りから大通りに向かって歩き、右に折れて交差点に向かう。

表参道通り交差点から元佐渡市東京事務所があった方向を望む。

四つ角のビルの屋上に緑地公園があるビルなんてあったかしら???

表参道商店会のお祭りだった。

 家に帰って携帯の歩数計を覗いたら、ゆっくりゆっくり歩いたので、歩数4800歩余りを3時間かけていた。

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今夜は、中秋の名月・・・。

2024-09-17 21:14:30 | Weblog

 今日17日夜から深夜にかけて「中秋の名月」。

東京の夜空は快晴となり、中秋の名月を眺めるには絶好の夜。

 私共も午後8時過ぎに屋上に上がり、快晴となった東の空に昇っている月を眺めました。

東に位置する東京スカイツリーの上に昇っている名月。

 大型のカメラを持ちだす。数年前に野鳥を撮りたいと思って購入した Nikon Coolpix P1000  24-3000mm という超望遠レンズのついたものです。宝の持ち腐れとなっていました。

 このカメラには、月を撮影できるようにもなっていますので、便利。

 早速、望遠で構えてみました。

 

 

 

 屋上の手すりの上で構えたもので手振れが入りましたが、三脚を使用して、遠隔シャッターを利用すればきれいに撮れるかと思います。

 きれいな中秋の名月となりましたね。

 なお、屋上から新宿の高層ビル群を覗いたものが次の写真です。

 こちらもきれいでした。

左手には西武新宿駅前の新しいビル〈東急歌舞伎町タワー〉、その右側の遠くにドコモビルもわずか見えます。以前は都庁ビルが見えたんですが、前にビルが立ち並んで隠れてしまいました。

 

 

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子供、孫たちから小生の誕生日祝いを!!

2024-09-16 12:46:34 | Weblog

 私の誕生日(9月10日)は、平日だったこと、私共が家を空けていたことからのびのびとなっていたが、昨日曜15日に、子供、孫たちが近くのレストランに集まり、お祝いを挙げてくれた。

 地下鉄東西線落合駅近くのレストラン「夢庵」。午後6時開始。集まったのは計7名。残念ながら娘の子供2名は欠席した。

 娘からは、私たちが逗子から帰った11日当日に、お祝いの品(上品な帽子)をプレゼントされた。

あまりに上品すぎて、普通時にかぶれないようだ。家内は、「日よけ帽子だから使ったほうが良いよ」と勧めるが・・・。

 料理の出てくるのが遅い。一方の方ではもう終わりそう。

 こちらが息子一家。孫たち二人ともクラブ活動に精を出しているようだが、お祝いに駆けつけてくれた。

 私共と娘の方は、料理が出てこない。待ち遠しい。

 やっとそろったので記念写真となった。ご覧のように一方はもう終わりに近づいている。

 いろんな話が飛び出る。

 私から、「〇〇家の足跡」という私たちの生まれた時から現在までの歴史を綴ったものが、私のところに現在Aー4で20ページ余りとなって現在も続いているが、今日は、その抜粋したものを作ってきた。」と申して4ページほどの〇〇家の歴史ものを見せた。現在息子たちが住んでいる土地が、私の父が購入した当時、土地43坪全部で100万円ほどだったこと、犬、猫等がいたこと、名前を今日出席している孫たちが名づけ親であること等がまとめられていた。

 孫たちは興味津々だった。息子、娘たちは、自分の家の足跡を綴っていないとのこと、これからでも遅くないから残すようにと申しておきました。

 終わりに来て、孫たちから花束を頂いた。

「健康でありますように!!」

 私から、「今日が折り返し点です」と申したら、孫「世界一の長寿になりますね」だって。

 私「君たちの結婚式にはお祝いに駆け付けたいからね」と申して・・・。

 握手してお別れした。

  楽しい誕生日会でした。また来年も開くことができますように!!

 

 家に帰って飾りました。

 

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goo blog フォトに変更することができました。

2024-09-12 21:22:56 | Weblog

 8月末から従来のgoo blog がフォト満杯状態で投稿できない状態が続いていましたが、逗子から帰って、落ち着いて電話で暗証番号を受理しましたところ、goo blogフォト(有料)に変更することができました。有料と言っても月当り5百円程度ですので・・・。

 これからは、今までの400倍以上の写真投稿処理ができます。

 8月末に遡って箇条書き的に記録を残しておきたいと思っていますので、お許しください。

 1 8月28日 普通自動車運転免許更新 東京都庁第2庁舎に出け、事前に検査合格した書類を提出して更新を受ける。更新期限3か年。ゴールド免許。

 2 8月30日 私が使用している会社の車(プリウスPHV)の5年目の車検にトヨタ自動車中野支店に運ぶ。

 3 9月6日~11日 逗子滞在。

  ◎ 6日 東京・新宿発 12時過ぎ。

    夕方、海岸に散歩。

 

 

明日7日、明後日8日、何か行事があるようです。

 ◎ 7日

 

 日本財団 湘南OPEN  WATER  SWIMMING  の行事のよう。すごい参加者数の人たちだ。

  

今日は、江の島までの10km競泳があるとのことです。

 ◎ 8日

 

足にヒデを付けた人たちが2.5km競泳スタート。

1着がゴールしてきた。

3着は女性だった。4着も女性。 到着した女性に担当者がマイクを向けると「九州、福岡から参加」と流れていた。全国から参加している競泳会のようだ。

泳ぎ切った人が順次海岸に上がってくる。

今度は、何も身に着けない人たちの2.5kmの競泳が始まった。

90数名の一団が同時出発だ。 出場者は事前に申し込みが必要なようだが・・・。5分おきに90名ぐらいの一団が数組出発した。

 約1時間の見学で家に帰った。部屋に帰ってから海を見ると、行きと、帰りの一団がまだ泳いでいるのが見える。 「こんなに多くて事故がないものだ」と家内と話す。

 ◎ 9日

  明日10日が私の誕生日。逗子に来る前から家内が「誕生日には、葉山日影茶屋で食事を奢るからね」と言っていたのですが、調べてみたら、日影茶屋は火曜日、水曜日がお休みとのこと。そこで前日の9日の昼に行くこととなった。

日影茶屋の玄関。昭和天皇や皇族が立ち寄り食事をした由緒あるレストラン。歩いて行ける場所だが、まだ一度も入ったことがない高級レストランだ。

 予約しなくて直行した。月曜日なので、客も少なく、運よく窓際の席に座ることができた。

席から望む庭。

きれいな庭です。

お昼のお膳です

日影茶屋から50mほど手前の小海岸です。

 4 10日夕方、逗子海岸散歩時の光景です。

 

 

 

 5 11日は、マンション前のなぎさ橋喫茶で朝食をとり、11時過ぎ、東京に向かいました。

 6 12日は、1週間ぶりに会社に出勤。若干の残務をして1時間ほどで退社。

 

 以上が8月末から今日までの暮らしでした。

 運動不足気味ですので、歩く距離をもう少し伸ばそうと思っています。

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逗子に来ています。

2024-09-10 13:28:01 | Weblog

逗子に来ていますが、Goo blog の容量が満タンになってしまい、送ることができなくなっています。

 有料に切り替えようと思いますが、それができなくてここ数日苦労しています。

 

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ふるさと佐渡へ 第4日目

2024-08-23 14:35:17 | Weblog

 4日目となると布団から起きられず、朝食7時過ぎの直前まで床の中。

 今日(17日)も夕方18時からアースセレブレーションだから、午後4時過ぎまでには帰ってこなければならない。

 弟は、「最近相川鉱山に行っていない」と来る船の中で言っていたので、私「午前中に、世界遺産登録された相川金山を改めてみてこよう。帰りに二見を廻ってもう一度姉に会って来よう」と提案。

 9時前に実家を出発、10時前に相川金山入口前に到着。朝が早かったせいか駐車場もすぐに止めることができた。

 二つのコースがあったが一般のコースを選んだ。

 入ると、直ぐに幅2メートルほどの暗い下りの階段が続く。深さとして20数mぐらい下っただろうか。

 通りの横に穴がいくつかある。当時の姿を模して動いている。

ライトで照らされ、迫力ある。

 

隣りに説明文があるが読んでいられない。マイクでも若干説明している。

 

 

 

測量をしている様子。測量は非常に精密だったとか。

 

見学者の状況(後ろ向きの男性は弟)。坑道内の気温は、15℃ぐらい。外気温3Ⅰ℃ほどですから寒い。私はジャンパーを着ていました。

 

「やわらぎ」と言って、金銀鉱脈の発見を願う鉱山の祝歌を歌って景気付けている。

坑道を一周し、展示センターへ。

アリの穴のように地下に掘り下がった様子の模型。

道路に面し今でも残る坑道の入り口「宗大夫坑」跡。

「絵葉書になっている金山縦割り山は、どこへ行けば見えるのか」と案内人に聞いたところ、「もう一つのコースに入ると芝生広場に出られて見えるがこのコースでは見られない」との説明。

 「駐車場5号まで上がると裏側から観られます」とのこと。

 5号駐車場まで上がる。駐車場5号から観る金山。絵葉書とはちょっと違いますね。

この縦割れ金山は、先ほどの見学場所からやや下った場所から眺めたもの。

 車を「佐渡島の金山世界遺産登録」から江戸時代以降の遺稿大部分を占めると構成資産の範囲から除外された北沢地区に進めた。

 

鉱山からの砕石の洗浄場。コンクリートでできていて近代遺稿とみるのが妥当と思うのが、規模は大きい。

相川地区を離れ、七浦海岸へ。

七浦海岸夫婦岩海岸。 観光売店を経営している真野出身のS社長を訪ねる。元気だった。

 売店で家内が好きなノリの缶詰を数個お願いしたら真野新町の自宅にあるとのこと。帰りにもらってゆくと約束して時間がないので失礼した。

 二見地区のS家に到着。

 甥っ子が自分の経営する河原田のレストランからわざわざ出前をして待っていてくれた。私より9才上の長姉や甥っ子、姪っ子らと一緒に食事するのはしばらくないかも、と思いながらの・・・。ありがとう。

 別れづらいが1時間ちょっと で失礼した。

 実家でしばらく休憩したのち、アースセレブレーション会場に向かった。

小木港に到着すると、小木―直江津航路のこがね丸が出港するところだった。

 昨日と同じように午後5時過ぎに入場開始。

 18時開演。

今日は、昨日と同じように開演中はカメラ撮影禁止とアナウンサ。

但し、アンコール時はOKとのこと。

 今日は、ウガンダの演奏家6人による楽器演奏が主体のようだ。

 初めて聞く音楽。リズムが早い。

 

 

 座っている席を観ると、人の密度が初日よりやや下がっているように感ずる。

 昨日の出演者が一流の楽器演奏家と思われるような人たちでしたし、過去の鼓童卒業生で立派に成長している人たちの出演だったように思う。

 今日のウガンダ人6人の演奏家も立派な人たちでしょうけれども、何か2日目という感じがした。

 昨日も記したことですが、大太鼓のブオーンという音がスピーカーで大きすぎて耳を抑えてしまった。残念だった。

 

 

 

 

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ふるさと佐渡へ 第3日目

2024-08-22 14:27:53 | Weblog

朝、目を覚ますと、地元の神社に駆けつけた。

 神社は歩いて5分ほどの集落の端っこに鎮座する。

 

小さい時は、この神社周りが遊び場だった。

 本殿もしっかりしている。靴を脱いで2段ほど上がり、賽銭を入れたのち、2礼2拍手1礼のお辞儀をして下りる。

 横に廻り、彫刻を観て廻る。

元のままだ。

 朝食時に弟は話す。

 弟は5時過ぎに起き海岸まで散歩に出かけたとのこと。

 彼が話す「途中の松林で、中を覗いている男の人に会った。観ていると向こうから「トキがいるよ」と教えてくれた。自分もそこに行き、松林の中を覗くと4羽のトキが止まっていた。2羽は真っ白かったが後の2羽はややねずみ色がかっていた。 しばらく観ていると、グワーッ、グワーッと声を出して金北山の方へ飛んで行った」と。

 私「いゃ~いいところを観たね。私も帰るまでに見たい。わがふるさとの松林に巣を作っていると以前から言われているもんね」と。

 

 鼓童のアースセレブレーションは夕方の6時開演。

 鼓童役員には、以前から友人がいる。首都圏の郷土会団体役員をしているときに知り合い、佐渡に帰った時など一緒にお茶を飲んだりした大学後輩で群馬県出身。私も鼓童に寄付したりしてお付き合いを続けている。

 アースセレブレーションの実行委員に電話を入れたら、彼が実行委員長となっていた。が電話は通じず。

 16日午前、彼個人の携帯に電話を入れたら、生憎留守。しばらくしたら彼から折り返しの電話が入った。

 彼 「別の場所にいて会えないが、開演前に小木街を流す太鼓集団の演舞を観ていただきたい」と教えてくれた。ありがとう。

 そうなると、あまり時間的余裕がないようだ。歩きがゆっくりなので、中学校にも、海岸にも行きたい、と・・・。

 車で廻ることとした。朝食後、一人で直ぐに出発。

 まず、家から歩いて5分ほどにある真野陸上競技場グラウンドへ。

左側の建物は中学の体育館。佐渡一の400mグラウンド。

中学の時、ここで100m競争はもちろんのこと、400mリレーやサッカーもしました。

グラウンドから観る金北山です。とても懐かしい。

ここを見終えてから中学の正面に廻りました。

 午前9時頃だった。脇に車を止めると、先に車を止めた先生が飛び出して来て、「何か御用でしょうか。私、ここに勤務しているものですが・・・」と尋ねて来た。私、「別に用事はありません。私、昭和〇〇年の卒業生で、写真を撮らせてもらいたいんですが」 と申したら、気持ちよく「どうぞ」と言って下がって行った。

真野中学校 正面。

 正面から入ってしばらくしたところ。

真野中学校校歌が石にはめ込まれていた。懐かしい校歌です。

また、反対側には、真野中学校創立20周年記念として、2年先輩の同校卒業生で東京で教鞭をとられていたH先生の作品「かどで」がありました。

 校舎は私共が机を並べた木造建物からは建て替えられていますが、玄関頭上の校章は変わっていません。ノートを開いた真ん中にペンが描かれている素敵なものです。

 ここから新町の海岸に出てみました。

新町海岸から金北山方面を眺める。海岸は荒れ放題だが一時なくなった砂浜は残っていた。

右側から突き出ているのが二見半島。長姉は半島先のちょっと手前の白っぽい建物のある付近に住んでいる。

真野新町から真野豊田方面。

 車を国分川の先端付近まで進め、金北山を望む。右手前の建物は、国際佐渡観光ホテル「八幡館」。

国分川の川幅は昔とあまり変わらなかった。

 今日16日は、もう送り盆となってしまった。新宿中落合の梅干し屋からお土産として買っていったものを、送り盆が終わる前の朝食、仏壇から引き下げ、皆で食べようとしたら、義姉に「仏さんがまだいるのに先に食べるのか」と止められ、仏壇に返しに行った事故があった。小木に出発する前に皆で、仏壇前に備えてある瓜やナスなどを箱に入れ、大願寺に向かった。お墓にある花等を整理し新たに花等を備え、持参したものを別のところに捨て、手を合わせ仏さんを送った。

 

 小木街の流し太鼓を観るには午後3時ごろには出発しなければならないようだ。

 新潟から、実家の姪っ子が帰ってきた。数年間お会いしていないが変わっていない。

 午後3時過ぎに5人いっぱいで、実家を出発。

 駐車場がすぐに見つかり駐車。目の前はたらい船の発着場でした。

 たらい船が楽しそうに出発してゆきました。

早速、小木の街方面に向かいました。

街の中ほどまで歩むと向こうから太鼓の音が聞こえてきました。

 

 

寄付のある家でしょうか、その都度家の前に留まり、一曲演舞します。

 最後は街外れの木崎神社。

 

木崎神社では、代表の挨拶で終了でした。

 近くの小木港で16時から開演するアースセレブレーション会場に急ぐ。

 先にチケットを確保していた姪っ子たちと合流して入場を待った。

 アースセレブレーションは、青空会場。芝生広場に自由に敷物を引き座って観しょう。スピーカーを使用するようだ。

 演奏中はカメラの撮影禁止、録音禁止とのこと。但し、終了後のアンコールを2曲行うからその時はカメラ撮影OKとのことでした。したがって以下は、アンコール時の画像です。

 18時開演、途中20分の休憩をはさんで約1時間30分の太鼓演奏。迫力満点。

 芝生広場の両サイドの立見席の人たちは、リズムに合わせて体を左右に動かし、もう、リズムの虜。

 

 チケット番号が早かったため、S席の前の方を確保でき、大変見やすかった。

 翌日の新潟日報のニュースには、初日のアースセレブレーションへの入場は昨年の1.5倍の1200名と報じられていた。3日間続いた。

 難点だったと思われたことをひとつ申し上げますと、スピーカーの音量調節がうまくいっていなかったように思われました。

 笛の演奏の時、一流の演奏家でありながら大きな音を出そうとして音が割れるところがあったことは残念に思った。

 2日目も太鼓の音がスピーカーであまりにも強すぎた、ブーンとして私は、耳を抑えてしまった。

 続き。  

 

 

 

 

 

 

 

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ふるさと佐渡へ 第2日目

2024-08-21 22:05:20 | Weblog

 7時前に目が覚めると、まず家の周りを観て廻る。

 家の前の国道。北側を望む。道路は私が中学時代に広げられたかと想う。

 家は、中学時代に「もう、80年以上経っている」と言われていたから、現在すでに150~160年経過の建物と思う。中高の屋根が上段と同じく瓦屋根だったが、危険なので鉄板屋根に修繕したようだ。

 

 庭は手入れしていなかった。池があるのだが・・・。

 食事後、佐渡に渡ると欠かしたことのない真野御料への参拝に弟と車で出かけた。車で10分ほど。

 正式には、順徳院の火葬塚。同火葬塚は御料と同格の扱いで宮内庁の管理となっています。

火葬塚の外壁。

火葬塚の入り口。

 

 順徳天皇は、乱(所謂「承久の乱」と言われる)の首謀者として鎌倉幕府によって佐渡に流され、京に帰ることが叶わず、46歳で崩御、翌日、この場所で火葬し、京に帰られたと言われている。

 火葬塚に入る前の売店にある佐渡特産の赤玉石。売店経営者の奥さんにも挨拶しようと立ち寄ったが、あいにく欠席、従業員が自宅に電話を入れてくれ、お話しすることができた。ご主人の体調がすぐれないので欠席しているとのことでした。お大事に。

 帰りに街の花屋で墓参りの花束をたくさん購入する。また、実家までの帰りを利用して友人、知人数人に挨拶をして廻った。

 自宅に立ち寄り、お墓参りと実姉宅に向かう旨を告げる。

 10分ほどにある時宗大願寺に向かう。

 

 最近造られたようだ。時宗一遍上人の碑。

鐘堂。

 実家の墓に花やお線香を立てて、無事帰郷した旨を、また、皆 元気であることを報告した。

 親戚のお墓や、母の実家(昨日立ち寄った金丸のN家のお墓)の墓を廻り、花とお線香を手向けた。

 本堂に寄り、手を合わせた。

 以上でお墓参りは終わり、実姉のいる二見地区に向かった。

 ちょうどお昼ごろになってしまった。

 応接室に入り、10分間ほど話をしたがすぐに車で引き返し、甥っ子が河原田地区で経営しているレストランに入った。満員だったがあらかじめ電話していたので、端っこの席を開けてくれていた。

 食後の写真。実姉と甥っ子、姪っ子、弟、私の5人。

 1時間ほどお話しし、もう一度くるっちゃと言って別れた。

 実家に帰って一休み。

 午後4時30分ごろ、姪っ子から真野新町の炭火焼「登貴」に食事に行こうと誘われた。お付き合いのあるお店だそうで遠慮しなくてよいとのこと。

 姪っ子が気楽に注文してくれた。

 久しぶりに会うので話が弾む。

 料理も盛り沢山。食べきれず残す。疲れが出て来ている。

 1時間ほどで引き上げる。実家に帰って横になったら眠ってしまった。

 明日、明後日の二日間、鼓童が毎年夏から秋に開催する「アースセレブレーション」を実家で予約してあるとのこと。新潟に住んでいる姪っ子も帰ってくるので合わせて5名分のチケットを予約したあるので夕方,みんな一緒に小木方面に出かけようと。アースセレブレーションを観るのは初めて!!  感激。

 続き。

 

 

 

 

 

 

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ふるさと佐渡へ 第1日目

2024-08-20 12:42:14 | Weblog

  このお盆にふるさと佐渡へ向かうことになったのは、同級生のTさん(元佐渡市初代市長)との電話やり取りからだった。

 私、「あなたは、散々苦労して佐渡金山の世界遺産登録に努力したよね。それがやっと実が結びそうだね。おめでとうございます。登録が叶ったら同級生でお祝いを兼ねて有志で集まりたいね・・・」

 Tさん、「それはいいね。本当に苦労したよ。でも、もうホテルはどこも満杯のようだよ。当たってみるけど・・・。何人ぐらい集まるかなぁ~」。

 関東方面も今まで会合に集まったような人に友人のK君とともに声掛けが始まった。早速一人参加すると言ってくれたが、その他は、昨年帰ったとか、この春帰ったとかで集まりが悪かった。が私は、佐渡汽船のフェリーへの車の予約を入れ、運よく12日で予約が取れた。神奈川にお住いのK君は、私と一緒に私の車に乗ってゆくことになった。

 一方もう、佐渡金山の世界遺産登録の確定がされた後だったので、ふるさとのTさんから、「お盆の最中なのでホテルが取れない。また、宴会場が取れない」との連絡が入った。

 また、台風5号の様子がおかしい。8月6日ごろにはどうも北関東方面から秋田方面へとの予報が出たので、Tさんに宿泊場所が取れない、宴会場がないとどうしようもないので今回は中止にしよう」となってしまった。

 関東からのK君ももう一人の方も結局行かなくなってしまった。

 私は、佐渡汽船の予約を2日ずらして14日に予約しなおした。家内が一人では危ないというので、群馬にいる弟に声を掛けたら、「5年ほど佐渡に行っていないのでこのお盆に帰ろうかなと思っていたところだった。よい機会なので一緒に行きたい」と言ってくれた。

 運転代行が見つかり、安心して14日朝8時東京新宿区中落合を出発し、関越自動車道花園ICで下り、秩父鉄道線の花園IC近くの駅で弟を拾い、新潟港佐渡汽船に向かった。

 清水トンネルを過ぎたところでトイレ休憩。運転を弟と交代。

 14:00過ぎに新潟港佐渡汽船に到着した。諸手続き後、2階に上がって昼食を摂った。

 

 

新潟港佐渡汽船待合室には、佐渡出身の人間国宝佐々木象堂先生の作品「瑞鳥」や前文化庁長官宮田亮平先生の「イルカ作品」が展示されている。

 16時05分新潟港発のフェリー「おけさ丸」に乗り佐渡両津港に向かった。

佐渡に向かうおけさ丸の航跡。

船内5階の展望室内。

佐渡島が近づいてきました。

 

両津湾内に入ったところ。水津灯台。ここから両津港まで約15分かかります。

 この近くに来る前に客室から甲板に出て来て弟とベンチに座り、二人でここの思い出を語りだす。「あぁ~、ふるさと佐渡に帰って来たんだ。などなど・・・」。佐渡に在住している長姉(9拾余歳)から携帯に電話が入る。「今、どのあたりなんだっちゃ。もう佐渡に着いたのんか。首を長くして待っている」。「今、水津を過ぎたところ。もうすぐ両津だよ。ふたりとも元気だよ。〇〇に代わるね。明日、そちらに伺うね」と。いつまで経っても姉弟だね。

 車は、新潟では後部から船に乗せ、両津港では前部分が開き、車を陸にあげます。夕方の便も2階の車運搬場までほぼ満杯のようでした。

 私共は、陸に上がったのち、両津の街中を通り、本線 ⇒ 金丸線 ⇒ と。

 実家に帰る道筋には亡き母の実家のある金丸地区を通るので、先にN家に立ち寄り、仏壇で手を合わせ先祖を拝んだ。甥は、他地区で商売をしているが、午後7時を廻っていたので、自宅に帰っていた。

 しばらくお茶をご馳走になって近況を得て別れ、実家に向かった。

 実家のお姉さん、甥っ子が私たちを迎えてくれた。

 早速、仏壇の前に座り手を合わせ近況を報告した。

 続き。

 

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ふるさと佐渡に行っていました。

2024-08-19 18:54:40 | Weblog

 去る14日から今日19日まで6日間ふるさと佐渡に帰ってきました。

 車(プリウスPHV)で往復。先ほど帰ってきました。大変疲れましたので、報告は、明日からにしたいと思います。

 鼓童アースセレブレーションに2日間観しょうしたこと、世界遺産登録された佐渡金山現地を改めて見学、同期生との会合そして実家近くの松林でトキが木に留まっている状況とその林から飛び立っていく姿を実際に観た等いろんなことがございました。

 それらを順に報告したいと思います。ご期待ください。

 

 

 

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逗子海岸へ

2024-08-03 11:10:59 | Weblog

 昨日は、オレオちゃんの2か月に一回のトリーミング。

 午後4時前に出発して逗子に。

 逗子はやはり、海岸近かのせいで東京より気温が2~3℃低い。

夕日がきれい。

夕焼けが素敵。

 いつも取っている昼寝をしなかったせいか、疲れがひどい。リビングで横になってウトウトとなってしまった。10時前に夕食をとる。

 今日のオリンピック成績、フェンシング女子団体銅メタル素晴らしい。柔道斎藤、残念。

 3日朝、逗子海岸を散歩。

 レオちゃん、毛を短く切ってもらい、素敵な足。地元で散歩しているとき、後ろから来たお姉さんに「モデルさんが歩いているようだ」と褒められたことがあった。長い足で素敵に歩く姿は確かにきれい。散歩しているときには人に吠え付くことはない。言うことをほとんど理解する頭の良い犬です。

 夏休み土曜日のせいで、海岸では、ボートやサーフィンが多い。

 

 9時になろうとしているので、遊泳可能地区には入れなくこの場所に集まっているようだ。

 穏やかな天気。逗子湾には、ボートが多く出ている。

 今日も良い天気になるようだ。ゆっくり休もう。 

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「佐渡島の金山」世界遺産登録に決定。

2024-07-27 14:17:48 | Weblog

 インド・ニューデリーで開催中の国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産委員会は、27日、ふるさと佐渡の「佐渡島(さど)の金山」について、世界文化遺産への登録を協議した結果、世界遺産に登録することが決定されました。

 日本時間、7日13時40分から新潟県が現地からパブリックビューイングで流したのをPCで見ていて、ブルガリア委員から修正案が流れた(結果は賛成だった)ので耳を澄ませて聞き入った。他には意見がなく、司会者は登録を決議。 手を叩いて喜んだ。

「佐渡島の金山を世界遺産へ」と運動が始まってから長い道のりだった。

 この感激は何とも言えない。

 お盆の8月には、佐渡に帰る予定。故郷で友と祝いたい。

 

 

パブリックビューイングで流れたものをカメラで収めたもの。

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