9月29日(日曜日)、佐和田地区にある「ホテル浦島」宴会場において、真野中学第8回卒同期の「傘寿の祝いの会」が開催された。
今回が最後の同期会との触れ込みで、島外から14名、島内から13名合計27名の参加。
私は、当日午前7時に東京の家を車で出発、当祝いの会に参加した。その模様等についてお伝えします。
午前7時過ぎに家を出発して、練馬ICから関越高速道路に入る。途中石打サービスエリアで一休みして、その後は新潟港まで一気に突っ走る。走行距離約330km。所要時間3時間30分ほどでした。
乗船まで時間に余裕があるので、5年ほど前に亡くなったゴールデンレトリバーの生家に向かったが、あいにく留守。新潟港に引き返す。
12時35分、新潟港を出発。一路両津港に向かう。
15時前には、両津湾に入る。予定通りの時刻15時5分に上陸。
本線を通って真野の実家に向かう。兄嫁が温かく迎えてくれた。
仏壇前で帰ってきたことを告げ、合掌。
まだ、開催時刻まで間があったので、真野御料に向かう。
真野御料入口。
真野御料は順徳上皇の火葬塚。首を垂れる。
実は、高校卒業して佐渡を離れてからは、帰郷するごとに必ずお参りしている。一度も欠かしたことがない。
御料入り口前の売店横には佐渡の銘石「赤玉」を展示している。素晴らしい石ばかり。
売店のS奥さんは、いつも金紛の入った茶を入れて迎えてくれる。実家とは、長いお付き合いで昨年亡くなった大奥さんもいつも私を気持ちよく迎えてくれた。本当にありがたい。
新町通りにある同級生のN氏宅前に車を止め、仲の良かったN氏に会う。元気な様子。
今日の同期会に欠席されると聞いているので彼を誘うが、「いや、いや」の一点張り。
諦めて実家に立ち寄ったのち会場に向かう。
もう受付が始まっていた。
佐渡在住で今回大変苦労なさって開催にこぎつけた世話人K氏と首都圏の在住の同期会世話人が受付をしている。 席はくじ引き。1番を引いてしまった。
定刻の午後5時30分、K氏の司会で祝いの会が始まった。
今回の祝いの会の世話役Kさん。とても元気そうな姿。
まずは、黄泉路に旅立った同志に対して、黙とう。
次いで、今回の世話人代表ということで、Tさん(元佐渡市長)があいさつに立った。
Tさんの挨拶。
Tさんは、ここまで生きてきたことに感謝を述べ、楽しい会にしようと協力を呼び掛けた。
次いで、首都圏の世話役をしているNさんが乾杯の音頭。
Nさんによる乾杯の音頭。
着席した出席者の皆さん。 (ブログ仲間のNAOさん、右側の2番目の席にいる人があなたの親戚のIさんです。私の横の席でしたのでつい思い出してNAOさんに電話、Iさんとも話されてよかったですね。彼も大変喜んでいました)
お酒の寄付も出席者数にしては多い。寄付した人の名前が「あの世での同期会」となっているものもある。
久しぶりですので、顔は何となく判るのだが、女性の名前が出てこない。
ビールを注ぎ一巡して、やっとすべてがわかった。たいへん和やか。
そのうちに同期の二人がはりごまの演技を始める。練習をしたのか二人の息はぴったり。
また、Tさんの三味線に導かれて佐渡おけさが始まった。
有志による佐渡おけさ。
席のあちこちでは、昔話に花を咲かせていた。懐かしいなぁ~。
約2時間30分の予定時刻もあっという間に過ぎる。
今度は、新潟から出席の世話人K氏が締めの簡単な挨拶。
Kさんの締めの挨拶。
これが最後の同期会ということでしたが、名残惜しそう。
佐渡在住の女性たちから、いちじくやお菓子等お土産をたくさんもらった。
また、下記のような記念品を作ってきた人がいたようで・・・。
根付でしょうか。 名前が「さちえ」と入っていますので、埼玉から参加の女性と判明。ありがとう。
会場を3階の部屋に移し、二次会が始まった。出席者は約半分の14~5名。
ここではやはり、今後の同期会をどうするかの話となった。
「今度は米寿に会おう、いや、長すぎるから3年後にしよう」とかの意見、「3年後の世話役をやってもいい」という人も表れ、会の名前は、「生き残りの会としようか」など、和気あいあいとなった。皆同期ゆえ、気を許している。
佐渡在住の先のTさんはじめKさん、Mさんも島外の人と一緒にこのホテルに宿泊となっている。島外から来た人に「楽しかった」との心遣いのようだ。つい甘えてしまったが、とてもありがたい。
やはり同期は、良いものですね。