首記新年会が2月3日⦅土曜日)11時45分から、JR目黒駅近くの目黒庄や408号店で4年ぶりに開かれた。
佐渡市から菊地佐渡市真野行政サービスセンター長や高野初代元佐渡市長が遠路駆けつけてくれ、本年90歳になられるという方や、若い人も見られ、構成を観ますと75歳以下の人が40%近くあり、まあまあではと思う新年祝賀会であった。来賓2名、一般51名、総勢53名とのこと。
4年ぶりに開かれるため役員の中は初めての人ばかりだったので、数か月前に準備委員会が結成され、開かれる会を楽しいものにするため策を練ったようだ。
新年会は、第1部と第2部に分かれ、第1部はKさんが司会進行を務めた。
Kさん慣れないため、プログラムでは先になっていた能登半島地震被害への全員起立での黙とうが会長の開会挨拶の後になってしまった。
N会長は、開会挨拶の中で①世界遺産の件 ②読売ジャイアンツにいる真野出身の菊地選手の件 等4点のことをあげて話し、協力をお願いした。
次いで、K司会者は、全員の起立を促し、能登半島地震被害への黙とうを行った。
続き、菊地佐渡市真野行政サービスセンター長が指名され演壇に立った。
菊地佐渡市真野行政サービスセンター長。
菊地センター長は、まず能登半島地震についての被害、灯篭やお墓が倒れたこと等についてお話しし、最近の動きについて特に、商工会が金井、新穂、畑野、真野の4つが合併すること、真野新町では新しい店が数多く開店していること等数多くのことを話された。
次いで、高野初代元佐渡市長が演台に立った。
高野初代元佐渡市長。
高野元佐渡市長はまず数年前の世界遺産登録の国内申請状況について話し始めた。そして数年前に各町村の合併状況を知っている人たちから話が上がり本を出版することとなり編成委員会が立ちあがった。
その本は非常に身近な人が書いているので興味のある方は読んでみてくださいとの挨拶だった。
同級生のH氏が立ち上がり、高野編纂委員長の出版本について補足説明をした。
司会者は第1部が終了したことを告げ、休憩に入った。
しばらく休憩ののち、第2部に入った。
第2部の司会進行は、同じKさんですが、司会慣れしておりスムーズ。
W大先輩による乾杯で会は和む。
全員による乾杯。
しばらく歓談する。
郷土真野出身の読売巨人軍の菊地選手のビデオが始まるが、その前にビデオ撮りのきっかけとなったことについてH氏(先の人と別人)が話し始める。
ビデオは、短いもので質問形式だったがいろんな人が携わり実現したとのこと、残念ながらビデオであってもすべて写真撮影禁止とのことだった。
次いで、アカネ会による両津甚句、佐渡おけさ等が始まった。
あかね会による佐渡民謡。
高野元市長の三味線の伴奏によるNさんの佐渡おけさ独唱。
高野元市長の三味線の伴奏によるNさんの佐渡おけさ独唱。「やはり実物の三味線伴奏はいいね」の声が聞こえる。
ビンゴが始まる。Kさんの司会でビンゴ賞品提供の説明があり早速開始。
始まってしばらくするとリーチの声がかかる。賞品が盛り沢山出ている。私も25,6年前の真野中学の旧校舎廊下階段手すりの記念品や記念バッジ等数点寄付していると高野さんに伝える。特に旧校舎廊下手すり記念品は想い出あるもの。トキバッジも宮田亮平先生が監修したもので4点ほど出した旨を報告する。トキは高野さんが市長時代に中国から寄贈されたもので、餌代稼ぎにとしてバッジを作成したと聞いている。大変よくできているもので、今でも胸襟につけているが人に聞かれることがある。
平成10年真野中学校舎改築記念品。
トキバッジ。
なんと、高野元市長はビンゴが上がり、その賞品に私が出したトキバッジを持って席に帰ってきた。胸襟に着ける。ケースと説明書は、菊地センター長にあげる。
ビンゴの終わりに近づいても先ほどの真野中学解体時の廊下階段の記念品が残っている。私がマイクをとる。「この作品は25,6年前のもので『真野中学校』の焼印がある。これについて、高野元市長からちょっと説明してもらいます」と言って高野元市長にマイクを渡す。
高野元市長が苦労して作った時のことを話し出す。 もらいたいと私に来た人がいたが残念ながらこの作品は私が持って帰りました。
ビンゴガ無事終了。
まず、N夫婦による合唱が続く。
女性コーラスが素晴らしい。2~3曲歌う。
なお、2~3の独演があったが、話に夢中になって・・・。
だいぶ時間も経過。午後3時も周り、和やかな会も終了に近づく。
中締めに戸田顧問が壇上に。またお会いしましょうと話され閉めた。
久しぶりに楽しい会となった。