橋本屋吉次郎電子日誌

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石垣山城

2010-06-15 | お城巡り(続日本100名城)

石垣山城は、豊臣秀吉が1590年(天正18年)の小田原征伐の際に小田原城の西にある笠懸山につくった城です。
小田原城から見えないように林の陰で築き、完成後に木を伐採し、一夜にして築城されたかのように見せて驚かせといわれ、石垣山一夜城または太閤一夜城とも呼ばれています。

現在は石垣山一夜城歴史公園として整備されていますが、アクセス路がわかりにくいです。
下記サイトからパンフレットをダウンロード(PDFファイル)できますから、これを参考にするとよろしいかと思います。
http://www.city.odawara.kanagawa.jp/__filemst__/6805/ichiyajo-pamph-090605.doc.pdf

石垣山農道とよばれる道の脇にありますが、

ミカン畑の間の坂道であり、心配になってくるかも知れませんが、

ところどころ、道沿いにこのような表示がみられれば正解です。

意外と道幅があり、駐車場も広いので四輪でも安心していくことができます。

全容はこんな感じです。

駐車場横の南曲輪です。この石垣を見ただけで期待が持てます。



石垣山城は関東で最初に造られた総石垣の城だそうです。

二の丸跡です。

一段高くなったところが、

本丸の跡です。


ここからは小田原が一望できます。北条攻めには格好の場所であったことがわかります。

小田原城もこの通りよく見えます。


本丸の隅には天守台もあり、櫓や天守閣を備えた近世城郭であったことが、推測できます。


二の丸の北東を25mほど石段を下っていきます。

そこは、井戸曲輪とよばれていた場所です。もともとあった沢を利用して水くみ場となっていました。


秀吉はここの水を汲んで茶会を催したのでしょうね。

小田原攻めは秀吉の勝利で終わり、この際に伊達政宗も傘下に入ったのでここで天下統一が成し遂げられた記念すべき場所と言えます。
歴史的にもかなり意義のある城だと思われるのに、この城の存在は知られていません。
私は遺構がほとんど残されていないと思っていたのですが、かなり良好な形で石垣が残っていて意外でした。

小田原城を訪れてこの地の人々の北条氏に対する思い入れの深さがわかりました。それに対し侵略者である秀吉の城は認めたくはなかったのかも知れません。
しかしながら歴史的にも遺構的にもかなり見応えのある城跡でした。

                   石垣山一夜城歴史公園
          神奈川県小田原市早川字梅ケ窪1383番の11番

コメント (10)
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