そう言えば、眼病にご利益があるお寺が新聞で紹介されたことを思い出し、ネットで調べてみました。
明眼院(みょうげんいん)は、愛知県海部郡大治町にある802年開山の天台宗の寺院で、また日本最古の眼科専門の医療施設でもあるそうです。(なお現在は、医療行為は行っていません)。
その名声は朝廷にも伝わり、1518年には朝廷の依頼を受けて、後柏原天皇の眼病を治療し、次いで1632年に後水尾天皇の皇女の眼病の治療にあたったことから、天皇の賞賛を受けて勅願寺の格式が与えられたそうです。
大名の小堀政一(遠州)や画家の円山応挙、国学者の本居春庭(宣長の嫡男)なども同院で治療を受けたとされています。
大治町役場のすぐ近くに、その寺はありました。
立派な仁王様ですが、かなり痛んでおり、牢屋にいれられているように見えます。
今となっては、寂れた寺ですが、本堂の、
菊のご紋が格式の高さを示します。
多宝塔です。
残念ながら本堂も多宝塔も中に入れません。
というか誰もいません。
裏にある庭園も荒れ果てていました。
そのなかに、あったのがこれです。
江戸時代に弾圧を受けた犬山のキリスト教徒30数人が運び込んだキリシタン灯籠です。
足の部分を十字架とマリア様に見立てた信仰の対象にしたのでしょうか。
困窮するものを見捨てられないとして密かに安置することを許して、この事は明治維新まで寺の極秘とされていたそうです。
こんな灯籠もありました。なんか曰くがあるのでしょうか。
寺の石垣塀の上には枯れ草がいっぱいでしたが、
なぜか結ばれておりました。何か宗教的な意味があるのか、子供のいたずらなのか、罠なのかわかりません。
所在地;愛知県海部郡大治町馬島北割114
せめて、「チルチルミチル」にしといて下さい。
昨日は、母と嫁さんと3人で行きました。息子は友人と映画を見に行きましたのでアリバイが成立します。
きっと、姨捨に行くと勘違いした母が帰り道をマークするためにやったのでしょう。
すみません、てっきり先生が草を結わえたものと思っていましたが、息子さんの仕業だったんですね。(笑)
このあたりに江戸時代にキリシタン信者がいたことは知りませんでした。この寺の存在を知ったのも半年くらい前に偶然新聞で見かけただけです。まだまだ、知らない文化財があります。
だから、草を結んだのは私じゃないって!(笑)
この寺ができたころの経済・文化の中心は近畿であり、このあたりは東国といわれていたとおもいます。
そんな僻地に格式の高い寺があったのは意外です。
草を結んだのは私ではありません。
もったいないです。道路に案内板がないですし、キリシタン灯籠もネット予習したからわかりましたが説明板も設置してありません。寺が財政的に苦しいなら、教育委員会などでPRするといいと思います。
愛知にもキリシタン信仰者というのがいたのですね。当時ならば九州内だけかと思っていました。
最後の草は先生の仕掛けた罠だと推測します(笑)
案外、身近に面白い所があるものですね。
道端の灯篭のいわれまでは分かりませんでしたが
最後の結んだ草は、直ぐに先生のいたずらと推察出来ました。(笑)
へぇ~・・ですね、いろいろ有るもんですね~
もう少し受け入れ態勢を整えていても良さそうなもんですね、住職の講和とか、眼病に効く湧き水が有るとか、歴史は有りそうなのに観光地化していないのですね、神戸市が聞いたら「もったいない、50万人は呼べるのに!」と言いそうです。