梅雨空の中、デミオで龍岡城、高島城と信州の城めぐりに出かけました。
まずは、龍岡城のガイダンス施設である「五稜郭であいの館」に駐車。
五稜郭であいの館
所在地: 長野県佐久市田口2975-1
開館時間: 9:30~16:00
休館日: 火曜日,年末年始
入館料: 無料
続日本100名城のスタンプはここの入口脇で押すことができます。
龍岡城については、現地案内板をご覧下さい。
函館の五稜郭同様に西洋式城郭を参考につくられています。
本来は五芒星の頂点に砲台を置く、堅固の要塞になる予定でしたが、建築途中で幕末を迎えてしまいました。
また、大きさも函館の五稜郭とは比べものにならないほど小さなものです。
城主の松平乗謨はいったいどんな思いで築城されたのでしょうか。
奥殿藩は、三河の小藩であり陣屋(奥殿陣屋)しか持っていませんでした。
城を持つことは長年の夢だったとおもいます。
しかし、西洋式城郭を研究するほどの先進的な方だったので、幕府が瓦解し、新時代が訪れることはうすうす感じていたのではないでしょうか。
大急ぎで、築城し、未完成で幕末を迎えたこの城はそんな想いをはせさせます。
大手門跡です。
城内には小学校が置かれています。
なんでも、移転する予定があるとか。
8年前に訪れたとき、写真を撮っていたら、休み時間の児童が「写真撮ってるの?」言って近づいてきました。
「昔ここがお城だったこと知ってる?」と聞いたら、
「うん!知ってるよ。」と答えてくれました。
おそらく今は、平日の校内に入ることも撮影することも児童と話をすることも難しいと思うのです。
世知辛い世の中になりました。
唯一の現存建築物である「お台所」
本丸の周囲はところどころ石垣に覆われた土塁が巡らされています。
黒門跡
堀沿い反時計回りでを歩いてみました。
黒門を越えると堀はなくなってしまいます。
石垣の上部には、ヨーロッパの築城技術である槹出工法(はねだしこうほう)がみられます。
他には函館五稜郭,鶴岡城,人吉城,品川台場でしかみられません。
もっとも、今回、3回目の訪問で初めて気づいたのですが・・・
このあたりは堀が未完成で、石垣の脇まで畑になっています。
さらに、畑にすらなってない土地も・・・
まあ、堀といってもこの程度ですから、長い竹を2本かけりゃ簡単に渡れそうで、あんまり意味はなさそうです。
その割には、角が多く、造るのも大変だったろうと思います。
通用門
通行止めになっていました。
一周して大手門に戻ってきました。
おまけ
龍岡城へ向かう途中、上信越道東部湯の丸サービスエリアで休息しました。
昼食には早かったですが、ついつい香りに誘われて蕎麦をいただくことにしました。
舞茸野沢菜そば
大きな舞茸がごろごろ入っており、これに細かく刻んだ野沢菜が味のアクセントとなり大変美味しゅうございました。
佐久なんですね!?
未訪問ですが、西洋風の五稜郭がこんなところにも♪
龍岡城も函館五稜郭も形はよく似てますが、大きさがまるで違います。龍岡城が小学校ならば、五稜郭は大学です。ここは続日本100名城の一つです。
今更ですが、上から全体が見えるとより一層立体のイメージがつきます。
実は、近くの山の上から見下ろすことができるそうです。この日は小雨交じりでしたから、山登りは断念しました。
函館以外に五稜郭があったなんて知りませんでした!規模は小さいと言え五稜郭と言う形状にはそれなりに城郭としての利点があるのでしょうねぇ、ただ格好いいデザインと言う訳ではなさそうですね、松平乗謨公は幕府の重職にも付きそれなりに時代の変化にも敏感で来るべき戦乱に備えていたのか、もしかしてひょっとして外国と幕府の関係なんか考えて自分にもチャンスがあるか?とか小さな野心があったかもしれませんねぇ~?
城を守るとき、城のまわりの塀に対し直角の方向が矢でも鉄砲でも撃ちやすいです。であれば、直線ではなくあえてでこぼこにする方がいろいろな方向に対応できるわけです。「横矢がかり」といってこの考え方は日本の城にも使われていますが、西洋の城はこのため多角形をしているものが多いです。さらに角に大砲を置くことでより堅固かつ封建領主の象徴になっていったと考えられます。
松平乗謨公の気持ちは今となってはわかりませんが、小説や映画にすると面白いかもしれませんね。