上赤坂城(楠木城)はわかりにくいところにあります。
私のナビでは「赤坂城」と設定できるだけで、それは下赤坂城を示しておりました。
住所を調べても「大阪府南河内郡千早赤阪村桐山」とあるだけで、番地がわかりません。
このあたりだとおもわれる広域農道を走って、ようやく表示を見つけることができました。
ここから、しばらく農道を走ると行き止まりになります。
車を3台ほど駐車できるスペースがあり、ここに駐車して
山道を20分ほど歩きました。
石仏がお出迎えです。
一の木戸跡
二の木戸跡
このような現地説明板がなければわかりません。
三の木戸跡。
そろばん橋。堀切をいくつか渡り、でこぼこになっているのでこのような名前がついたのでしょうか。よくわかりません。
四の木戸跡
茶碗原。右に進むと本丸、左へ進むと二の丸です。
本丸につきました。
下赤坂城にもまして、見晴らしがいいです。
もちろん、例の塔もバッチリ見えます。
二の丸。杉林になっていました。
それほど大きな城ではないが、下赤坂城を出丸、上赤坂城を本丸、千早城を詰めの城とするならば強力な砦となり、土地勘のある正成軍が鎌倉幕府軍に対し、十分持ちこたえたのもうなずけるような気がします。
いよいよ、最後の目的地の千早城へ向かうことにします。
丹生都比売神社も、そこだけならばお供できます。「二つ鳥居」も行かれるようならば「この坂道を登るんだよ」と道案内だけいたします。
私は1月に来たとき山道を歩くのが苦で駐車場で引き返しました。
先日訪れた時もパス。
でも正成公のファンとしては制覇せねばいけませんね。
銀翼で来られたんですね。このあたり大阪府と思えないくらいのどかな所でしたでしょう。
言われなければ分かりませんねぇ~なんとなく人工物?みたいな?この時代はまだ大規模な城郭、石垣みたいなものでは無くて、本当に自然の地形を生かした砦、程度のものだったんでしょうねぇ、本当、良くたえましたなぁ~太平記によると、弟と共に夜討ち朝駆け、あらゆる戦略を尽くして戦ったとありますね!
↑同様、何が、どうなっているのか良く分かりませんでした。さらに大阪府とは、広いんですね~。
この日も蒸し暑くバイクに戻ると汗ぐっしょりになっておりTシャツを着替えました。この後の千早城でも着替えたぐらいなので、並の運動部のトレーニング並みです。相当な好き者でないかぎり着いてこない方がよいでしょう。
岸和田城はこんなことないので是非ご一緒願います。
さすがにこれからの季節は暑いので秋になってからが良いでしょうか。棚田も色づいて変化しているかと思います。
折りたたみ式の登山用ステッキを使いましたがアレはなかなか良いです。上り下りが楽になるだけではなく、蜘蛛の巣を払うにも使えます。あと、水とタオル・着替えは必需です。
まだ、石垣を積む技術はなかったと思います。ここでの戦いでは、偽の塀を作って敵に突撃させたり、石や糞尿を投げつけたりとあらゆる抵抗を試みたようです。
ここはかなりの上級編です。建物はおろか、石垣も堀もありませんので、わかりにくいです。ただ、案内板があるので、「言われてみれば・・・」と感じることはできます。
愛知県から大阪までバイクで・・・ロングロングツーリングですねぇ?
これまた凄いです。
付近には「猪出現注意」なんて看板がありましたから油断できません。
亀山まで東名阪道、そこから下道で2時間半ぐらいです。意外と近いですよ。