次の目的地は福岡県にある大野城です。
吉野ヶ里より高速を使って約30分、太宰府に到着しました。
太宰府政庁跡
大宰府は7世紀後半に、九州の筑前国に設置された地方行政機関です。
中国や朝鮮半島に対する外交と防衛を主任務とすると共に、西国諸国を管轄する役目を持っていました。
この太宰府を防衛するために後方の山に築かれたのが大野城です。
太宰府展示館
福岡県太宰府市観世音寺四丁目6番1号
開館時間;9:00~16:30
休館日;月曜(祝日の場合は翌日),12/28~1/4
佐賀城に続いて、ここでも学芸員の方から詳しい説明をしていただきました。
百名城スタンプはここで押すことができます。
なお、太宰府政庁跡すぐ西に無料駐車場があります。
バイクで十数分、水城(みずき)跡に移動します。
663年、日本は百済に味方して朝鮮半島で唐・新羅連合軍と戦った(白村江の戦い)が大敗してしまいます。
中大兄皇子は、唐・新羅が博多湾から大宰府に攻め込むことを想定し、万一の場合に備えて翌664年に水城を築かせました。
水城は、博多湾方面からの攻撃から大宰府を守るための堀と土塁です。
土塁は、高さ10m、幅80m、長さ1.2kmあり、堀には水が貯えられていました。
土塁には2箇所に開口部があり、そこに門がありました。
東門の礎石
展望所から眺めてみました。
角度を変えて見た様子です。
665年、さらなる防衛拠点としてとして大野城を築きました。
四王寺山の尾根に延々8200m以上に及ぶ土塁めぐらし、土塁が谷にかかるところでは、石垣を築くという壮大なものでした。
当時の日本にはこれほどの築城技術はなかったので亡命百済人の指揮のもと作られた古来朝鮮式の山城です。
しっかり見学するためには、本格的な登山となります。今回は要所のみバイクで移動して見学しました。
百間石垣
日本書紀の時代にこれだけ立派な石垣が築かれたこと、それが1300年以上たっても残っています。まったくもって驚きです。
土塁
太宰府口楼門跡
大野城の正門でこの上に楼門があったとされています。
礎石の間隔からみてかなり大きなものであったことが予想されます。
門のまわりの石垣
戦国時代には大野城とは別に岩屋城という城が設けられました。
大友氏の家臣・高橋紹運はここに籠もり、九州制覇を目指す薩摩の島津氏と激戦を交えました。
最終的には、紹運以下763名全員が討死または自害して戦いは終わりましたが、島津軍も撃退され続け、おびただしい数の兵を消耗してしまいます。
島津氏は態勢の立て直しに時間を要し、九州制覇という島津氏の夢が叶わなかったばかりか、その後、九州に上陸した豊臣軍20万によって薩摩本国への撤退を余儀なくされました。
本丸跡
大野城市・太宰府市が一望できます。
高いところから水城を見たかったのですが、あいにくガスが出てよくわかりませんでした。
太宰府政庁跡はかろうじて確認できました。
遠くで雷が鳴っています。
このあたりで、切り上げてホテルへ向かうことにしました。
本日の宿泊先のホテルグランティア太宰府
この日は炎天下に3つの城を歩き回る予定でしたので、最終目的地の大野城の近くに宿を取っておきました。
しかも、天然温泉です。
繁華街からは離れているので、夕食もホテルの中のレストランで済ませることにしました。
ちょっと豪華でしたね。
暑い中お城巡りが大変だと思います。
今回のお宿はちょっとだけ奮発でしょうか、このグランヴィアってルートイン系列なんですね、ルートイン系は大浴場があるのでツーの疲れなどに良いですよね。
しかも、当時は天満宮に行くぐらいで、大野城の存在なんて知らなかったもんなー。
こうやって古のこと学びのは、楽しいです。もちろん!橋吉さんから教えて頂ける範囲内ですが(^^;;
悔しいのでこっそり見ていたのですが、「これでもか!」と言うくらい回られてますねぇ~滞在日数を勘違いするくらいのめまぐるしさです!(笑)
九州への船旅、良いですねぇ~夏休みに長男は私と似たようなコースで走ってきましたが、よほど日頃の行いが悪いのか、5日間滞在してキャンプは1日だけで予算を大幅にオーバーしていました!私はやはりホテルと旨い物と温泉の大名旅行が良いと思います、また行きたいなぁ~
炎暑の中バイクで走って お城は延々歩いて・・
お城が見えるとターボがかかってくる体質に更に研きがかかったようです
脱帽です
空豆
おっしゃるとおりルートイン系です。私がホテルを選ぶ基準は①無料駐車場がある(安心してバイクが停められる),②大浴場がある,③価格です。
普段は定食程度のビジネスマン向け夕食付きプランがあるのですが、お盆中の土曜日でしたので用意されていませんでした。というわけで今回はごちそうコースになりました。
私も以前、天満宮のみ行きました。
大野城があるところは「大野城市」、近くのインターチェンジは「水城IC」と現地へ行ってみるといまだに地名に使われていることがわかりました。
日本百名城訪問は地元から始めました。はじめの頃はガソリン代+入場料でも千円程度で済み、お手軽な趣味でした。しかし、九州・東北・北海道となると現地までの交通費だけでもたいへんな出費です。せっかくですからなるべくたくさんいってみようと思いました。
安く上げるならばキャンプです。ただ、今はネットなどで調べれば随分お値打ちなビジホを調べることもできます。ご長男は少しずつそういったことを実体験して学んでいかれることと思います。向上心のなくなったオヤジはもうぐたぐたです。
タケさんへのコメントにも書いたように、せっかくのチャンスですから頑張ってみました。
おっしゃるように、ターボがかかるようです。現地に着くとわくわくしますし、石垣を見たりすると疲れを忘れてしまいます。今回は足の指にマメができてしまいました。普段はとてもじゃないけどマメができるまで歩きません。