一泊二日で足利氏館(栃木県)・金山城(群馬県)・鉢形城(埼玉県)・八王子城(東京都)の一都三県城巡りに行ってきました。
いつものように午前三時に出発し、朝駆けです。
愛知県から関東へ向かうとなれば、東名・新東名または中央道経由と思いがちですが、ここは敵(誰のこと?)の裏をかいて上信越道・北関東道を使って侵攻しました。
朝方、足利市あたりはにわか雨があったようですが、すんでの所でかわせたようでカッパに着替えることもなく、無事、足利氏館に到着です。
足利氏はこの地を本貫とする源氏の流れをくむ武家一族です。
のちに、足利尊氏が室町幕府を開いたことは説明するまでもないでしょう。
もっとも尊氏は京都で生まれたという説が有力みたいです。
足利氏館は12世紀の半ばに足利氏の祖である源義康が居館を構えたのが始まりです。
やがて伽藍を整備して、足利氏の氏寺となりました。
現在は鑁阿寺(ばんなじ)となっています。
中世、武士の居住地は周囲に堀を巡らし、門に櫓を配置するなど、実質的に城としての機能を備え、館(やかた/たち/たて)とか屋形(やかた)とよばれました。
足利氏館の周囲も堀と土塁に囲まれています。
そして、東西南北に4つの門が配置されています。
南に位置する山門、屋根付きの反り橋が架かっています。
東門
西門
西門横の土塁断面
結構大きく、堤防のようです。
北門
それぞれの門には「史跡 足利氏宅址」の石碑が建てられていました。
北門を入ったところに駐車することができます。
また、足利学校南東に観光駐車場も用意されています。
先に述べたように現在は鑁阿寺となっているため、ここから先は寺の紹介となります。
本堂
本堂脇にはお守り・お札の販売所があります。
わかりにくですが、ここで日本百名城のスタンプを押すことができます。
樹齢550年の大銀杏
向こうに多宝塔がみえます。
鐘楼
不動堂
経堂
御霊屋
本殿に源氏の祖を祀り、
拝殿に足利歴代将軍の像を祀ってあるそうです。
大酉堂
足利尊氏が祀られています。
大黒堂
宝物を収蔵していましたが、やがて足利家伝来の大黒天を祀り大黒堂と呼ばれるようになりました。
足利氏館(鑁阿寺)
栃木県足利市家富町2220
足利氏館(鑁阿寺)の南東には中世関東における事実上の最高学府であった足利学校があり、徒歩で移動、見学してきました。
次回は足利学校の紹介です。
SevenFiftyです。
>上信越道・北関東道を使って侵攻しました。
この道を使う発想すら出てきませんでした。
午前3時出発じゃ寒かったんじゃないですか。
>次回は足利学校の紹介です
はじめは懐かしい木造校舎でも見るのかと思いました。
検索したら違っていましたね。
これは一つ賢くなりました。
栃木はどうも徳川の東照宮のイメージが強すぎて、
足利氏ゆかりの地を巡るなんてことを
今までしたことなかったなー
今回は足利氏を勉強させて頂きますd(^_^o)
足利はフラワーパークくらいしか知りませんでした。橋吉の紹介で行ったつもりです。
JHのハイウェイナビで検索しましたが、この経路は出てきませんでした。遠回りになるからです。しかし、所要時間は東名経由に比べ10数分しか違いません。これは計算上であって、実際は関東に近づいてもガラガラなのでむしろ早いと思われます。また、首都高を使わないだけ安いです。ただし、駒ヶ岳あたりはとても寒かったです。これは中央道経由でも同じですね。
足利学校はずいぶん以前から名前はだけは知っていました。現地では「世界遺産にしよう」というのぼりが立てられていました。詳しくは次回。
わたしも東照宮と宇都宮ぐらいしか思いつきません。足利氏は知っていましたが、足利という地名の出身と言うことも知りませんでした。次回は足利氏のグルメ(B級ですけど)も登場予定ですのでお楽しみに
今回は2日で4城めぐるボーナスステージでした。おかげで、関東は制覇できました。関東・甲信越というくくりでは新潟の新発田城を残すのみです。