デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 





クロード・ロラン「タルソスに上陸するクレオパトラのいる港の風景」(1643)

ルーヴルではクロード・ロランの絵も充実していて、とりわけ港の風景が目を引いた。
クロード・ロラン(1600-1682)は本名クロード・ジュレといって、フランス生まれだが生涯のほとんどをローマで過ごし制作を続けた。
プッサンやクロード・ロランの時代ぐらいからか、近世から近代までは、フランスやスペインの画家にとって、イタリアの風景は憧れそのものだったといっていいだろう。余談だが、フランスではローマ賞という、1位を獲ればイタリアへ国費で留学できる賞があったほどだ。留学中は絵画や彫刻の制作だけではなく先輩画家との交流や古典を学ぶきっかけもでき、大いなる立身出世の土台作りに邁進できたという。
さて、クロード・ロランの絵のことだが、この人の絵はタイトルの意味よりも風景の美しさに魅せられる。逆に言えば、物語の主題や隠喩は端の方に追いやられていて、人物は理想的な風景の添加物としか見えない。上の絵でさえ、クレオパトラとアントニウスらしき人物がかろうじて分かろうというものなのに、下の絵ではユリシーズ(オデュッセウスのこと)やクリュセイスやクリュセイスの父親である神官は、どこに埋もれているのかすら分からないほどだ。


ロラン「クリュセイスを父親に返すユリシーズ」(1644)

ロランにとって歴史や古典的な物語は、絵の中心には据えられていないんだなぁと思った。画家にとっての最大の関心は、廃墟や港や岸壁の風景をいかに理想的に描くか、それだけだったんじゃないか。画家が描くのに参考にしたとされる場所に立ってみると、あるはずの無い神殿や岸壁を絵の中に案外たやすく発見できてしまうというくらい、現実世界ではなく絵の中で”理想の現実”を追求した(まるで言葉のあやみたいだが)のがロランの絵ではないかと思った。
となれば、いろんなパズルのピースを当てはめて、きれいに見えるバランスを考えればいいだけなのか?と思う人もいるかもしれないが、それだけでロランの絵の魅力は語れないだろう。決して手を抜かれることのない芸の細かいところが私はとても好きだし、また驚かされる。小さく描かれる数多い人物の配置や、豊かな木々、雲、波、そして太陽(光線)などの束の間の輝き方なくしては、風景の公式のような理想的なもの、そして見ている側の感動は生まれないと思うのだ。
プッサンが演劇的な配置で理想を追求したとするなら、ロランは大きな風景を丸ごとそれも隙の無い配置で理想の世界を描き出したのかもしれない。


ロラン「夕日の海港」(1639)

フランス語のタイトルでは"Port de mer au soleil couchant"となっていた。


ロラン「ローマのカンポ・ヴァチーノの風景」

上はロランの「ローマのカンポ・ヴァチーノの風景」という作品(カンバスであり)を版画にしたもので、カンバスの方と並べてみると、左右対称になってたりするので、おもしろかった。

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ルーヴルにあるプッサンの作品については、今回で終り。(次からは一人の画家について、なるべくコンパクトに書きます…)


「詩人の霊感」(1630/31)

これも芸が細かい作品だと思った。昨今の詩人が崇拝する存在として「芸術神」があるが、ギリシャ神話ではアポロンとかミューズなどが芸術の神で登場することが少なくない。
上の絵は、いかにも芸術神ですという感じの中央のアポロンが、右手に羽筆を持って詩を紡ぎだそうとしている詩人に、今まさにインスピレーションを与えている(アポロンの冠が詩人にかけられようとしている)ところだ。左のミューズ(詩の女神)の名はカリオペといって、彼女も叙事詩をつかさどる存在なのだ。
ちなみにアポロンの足元にある三冊の本は、「イリアス」「オデュッセイア」「アエネイス」…プッサンのこてこてな古典好みが分かるような絵だった。


「キリストと姦淫の女」(1653)

「罪を一切犯したことの無い者だけが、彼女に石を投げよ」と姦淫の女をキリストがかばう場面である。映画でのリアリスティックな見方が強い私からすると、さすがにこの場面はプッサンの絵のような小奇麗な場所ではなかったろうと思ってしまった。でも舞台劇ふうに見るなら下の「井戸の傍のリベカとエリエゼル」も同じように人々の配置は絶妙だと思う。


「サビニ女の掠奪」(1631/32)

これはローマ建国の王ロムルスによる、ローマに女性があまりに少ないという理由だったかなんかで、隣のサビニ村の女性たちをローマの祭りに誘ったのをいいことに、ローマの男どもが女性たちを自宅に強引に連れ帰り、村に帰さなかった策謀?伝説に由来する。伝説では、その後ローマとサビニとで戦争になったが、さらわれた当の女性たちがローマで既に結婚して悪い待遇を受けてないから争いはやめてと懇願し、収まったとか。
この絵は掠奪の瞬間なわけだが、印象に残りはしたのに人物が多すぎて、落ち着かなかった。それに王様自身の存在感がどこか希薄な気が。


「井戸の傍のリベカとエリエゼル」(1648)

創世記のエピソードで、アブラハムがイサクの妻を探してアブラハムの生国に連れてくるように、忠実な召使エリエゼルをつかわし、エリエゼルは神の加護を祈り、イサクの正妻となるべき娘には彼に水を与え、彼のラクダに水を飲ませることで、それと分からせてくれるように神に祈った。
絵はエリエゼルとリベカが出会った場面だ。主役の二人より周囲の女たちの目の方が印象に残った。


「ナルキッソスとエコー」(1629/30)

この絵を見ると哀しくなってしまうのだが、美しい絵であることには間違いない。エコーはゼウスの浮気を知ったヘラがその現場を抑えようとした直前に、ヘラとの会話を長引かせゼウスを逃がした。彼女はヘラの怒りを買い、ヘラからおしゃべりを封じられた。許されたのは相手の最後の言葉だけを繰り返すことだけだった。
やがて彼女はナルシズムの由来である美少年ナルキッソスに恋するが、女嫌いの彼はエコーを突っぱねる。失恋したエコーは何も喉が通らず、ついには声だけになってしまう。
絵でのエコーが、もう声だけになろうとしているかのように、淡く描かれているところが不気味といえばそうかもしれないが、二人の哀しい物語をここまで上手く描いている作品は、これを除いてないのでは?と思う。


「ギター遊奏の宴会、高貴なバッカスの祝宴」(1627/28)

(訳に自信がないのでフランス語のタイトルでは、Bacchanale a la joueuse de guitare, dit aussi La Grande Bacchanale となっていることを併記しときます)
プッサンの絵で事前にぜひ見たいと思う作品を見れて心底感動したが、解釈のため大昔の文学作品を事前に知ってなければ意味が分からない作品というのは、実は心を落ち着けて見ることが難しいかもしれない。
でも、プッサンの絵でも最後に拙訳の題で紹介する「バッカスの祝宴」は、見ていて気持ちが落ち着いた。バッカスは酒の神なので、ブドウや酒の類の解釈もあろうが、私はこの作品に親しい仲間でピクニックやキャンプに出かけて「ええ気分」になっている垣根なしの状態を思った。そして牧歌的な宴とはこんな風なことをいうのかもしれないなぁと。

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一人の画家にこだわっていると旅程が先に進まないとは知りつつ、今回も長々と書いてしまった…。


プッサン「花の女神、フローラの勝利」(1627/28)

まだプッサンかよと自分でもツッコんではいるが、この絵も「アルカディアの牧人たち」と同じぐらい、私にとってはぜひ見ておきたかった絵なのだ。
私が旅好きになった最大の誘引は作家のドストエフスキーとプルーストの小説なのだが、そのプルーストの小説に『失われた時を求めて』という作品がある。作品の第一篇「スワン家の方へ」の第三部で主人公が、いつか田舎町で出会ったジルベルトという少女の名を再びパリで耳にした時、尋常でない想像力を発揮し一気に彼女に対する気持ちが膨れ上がる場面がある。その描写のイメージのもととなっている絵の有力な説として挙げられているのが「花の女神、フローラの勝利」なのだ。とはいえこれには異論もあって、私としてはどちらかというと異論の方に説得力があると思っている。
なにはともあれ、説は説としてあるのだから、見ておくに越したことはないわけで、これまたいろいろな神々が登場している作品を凝視した。
フローラは「花の女神」だから、結局はボッティチェリの有名な「ヴィーナス誕生」や「春(プリマヴェーラ)」のように、冬が終わって春が訪れるよ、それを祝おう、勝利に見立てようというテーマに近い感じなのだろう。まるで「春が絢爛豪華なお車で乗り付けてきました。それ、みんなで祝え!」といわんばかりだ。
でもプッサンはフローラを祝福している周囲の神々にも、各々のエピソードを踏まえた(暗示した)事物を描きこんでいる。列の先頭(左端)にヴィーナス、それにつづくアドニス、身をかがめるヒュアキントス、フローラに水仙をささげるナルキッソス、アポロンに心を奪われ太陽の方向を向く者となる右下で身をかがめるクリュティエー…「アルカディアの牧人たち」と違って窮屈な話かもしれないが、隙がないとも思えた。でも、ちょっと見方を変えたら、神々の大名行列とも思えるので、昔の人も大名行列みたいな同じようなものをイメージしていたのかもと考えると、ちょっとおもしろいような気がした。


学校の宿題だろうか、真剣に登場人物を書き写していた

これまで紹介してきたプッサンの自画像がルーヴルにある。


「自画像」(1650)

背景として用いられ描かれている数枚のカンバス、そして壁の位置は本人と近いはずなのに、この理知的で厳格ともいえる存在感はすごい。というより重ねられたカンバスで狭い場所?の奥行きまで表現する技巧を見てとるべきなのかも。


絵画の寓意か結婚の暗示か

左端に少し描かれている女性の頭には、目を形どった冠が乗っている。当時の研究者によればその目を被った女性もしくは目は「絵画の寓意」だそうだ。
『失われた時を求めて』読了後に、保苅瑞穂著『プルースト-夢の方法』という本をおもしろく読んだとき、カバーにこの部分が用いられていた。カバーのデザインは誰のものだったかは知らないが、今から思うと小説の後につぎつぎと手を出した本にて触れられていた絵のイメージも、私を旅へと駆り立てた誘因になっていると思う。私にとってルーヴルはそんなイメージの宝庫だと思える。


こちら鮮明な画像です


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プッサン「アルカディアの牧人たち」(1639年頃)

これはプッサンの円熟期の代表作というだけでなく、もし西洋絵画100選といったものがあったなら、それに入って然るべきと思う。(と思ってたら入っていたよ(笑))
何が良いかと言うと、詩や歌や絵画で用いられているテーマの中で、とくに中世後期から謳われていたテーマを、詩情豊かに絶妙なバランスで絵にして見せたところだといえば、いいのか。
そのテーマはズバリ「メメント・モリ」(死を想え)といえる。(10年ほど前に、ミスチルの歌かCDを思い出した方もいるかもしれない。そう、それです!) 普段は大して気に留めないことなのに、意外にそこらじゅうに蔓延っているような身近で普遍的なテーマといえるのだろうか。


"アルカディアにもまたわれあり"

「アルカディアの牧人たち」の中央に描かれているのはお墓だが、そこには"ET IN ARCADIA EGO"と彫ってあり、その意味は、"アルカディアにもまたわれあり"である。アルカディアというのはギリシャのペロポネスス半島中部の峨々たる山岳地帯で、紀元前の古代ローマの詩人ウェルギリウスが独創したイタリア的な牧歌の理想郷のことだ。アルカディアに何がわれありなのか、それは死のことである。要するにどんな理想郷に住んでいようが死は必ず訪れる、幸福は儚(はかな)いことを強調するとともに心して生きよ、というのがこの絵の重要なテーマである。
銘文を囲むように半ば驚きの表情で読む3人の牧人(たぶん羊飼い)と、彼らに諭そうとするかのように右手を牧人の肩に置きつつ、全てを悟りつつも思念しているかのようにうつむいて、視線をどこかの一点に向けた女性(時の女神)がいる。"アルカディアにもまたわれあり"の「われ」は、左ひざを地に着けて右手の指を銘文をなぞっている男の右腕の影にも象徴される。影の形は「鎌」になっている。これは刈り取るとか死神などの「死」の象徴なのだ。
この絵については、ずっと前から実物を見たいと思っていた。澄んだ空気や風景、そしてこれ以上に適切な人物配置はないと思わせるようなバランスを追求した姿勢に、プッサンの妥協は感じられなかった。理想郷にあって当たり前のこと(真実)を認識することを、さほど気に留めないような牧人たちの表情には、好奇心や驚きはあっても憂いなど感じられない、いや感じさせないことが、ここの住人の特徴かもと思った。また理想郷にも時の流れがあり、いずれこの銘文のように(彼らの)歴史が刻まれることを見透かしたような謎めいた女性の表情は神秘的だった。そして何より絵全体が、いかなる時代でも語られるあたかも「人類には、かつてこのような理想郷があった」といわんばかりの懐古趣味が表現する理想の土地のモデルみたいで、その空気を吸ってみたいと思わせる力を作品から感じた。

この絵の前にいるとき、日本人旅行者のおばちゃん二人が近くにいた。お二人は初めてのパリへツアー旅行で来ていて、自由時間に2時間ほどルーヴル内を見学するというパターンで、館内を迷っているうちにプッサンの部屋に来たとのことだった。自由時間に「ガイドブックに紹介されている作品探し」で時間を浪費し疲れたといったニュアンスのことを言っておられた。
差し出がましく思ったが、この絵とプッサンの自画像について見ておくことをお薦めし、その理由を語らせてもらった。絵について語れて気持ちよかったかといわれれば、そうだったと正直に認めるほかない。でも、お二人のルーヴルでの「モナ・リザ」「ミロのヴィーナス」「サモトラケのニケ」以外での印象に、この絵がことがあったならうれしい限りだと思う。

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理知的で精神を重んずる…などと書けば、えらく退屈な話になるように思えてしまうが、そんなことをベースにした哲学や法律や小説の書物なら辟易しても、絵となったらそうは感じることなく、たとえ少しぐらい恣意的であっても抵抗を感じるどころか美しいと思うものがある気がしている。とくにフランスのバロック美術を代表する、ニコラ・プッサン(1594-1665)の描いた絵を見たときなんかがそうだ。ただ、以前にも書いたように、プッサンの絵にはとても惹かれるのだが、鑑賞にあたっては非常に手ごわい。
ルーヴルにはそんなプッサンの描いた傑作が充実している。下の絵は「四季(春夏秋冬)」を表していて、プッサンが晩年に描いた風景画として有名なのだが、この連作がルーヴルの特別めいたようなスペースに、対角線上に展示されているのを見たとき、かなり重宝されていると感じた。(絵の横幅は160cmぐらいある。)


「春~アダムとイヴの青春~」

下手な画像で申し訳ないが、画面中央に知恵の木の下で青春時代を送る、アダムとイヴの姿、そして右上には神のいるところが描かれている。要するに旧約聖書の「創世記」にあたる。


「夏~ルツとボアズ~」

これは旧約聖書に出てくる嫁と姑の話である。姑のナオミが夫と息子を亡くし独りになった。嫁のルツは姑のナオミによく尽くすが、ルツ自身も夫(ナオミの息子)を亡くしていた。ナオミはルツに故郷へ帰って新しい人生をやり直せと言うが、ルツはナオミと生きていくと決心したので、二人はともに過ごす。やがて二人はナオミの故郷ベツレヘムに帰るが、そこにはナオミの亡き夫の親類である大地主ボアズがいた。
ルツはボアズに、ナオミを養うため落穂拾いをさせてくれと懇願し、ボアズは彼女の姿勢や心意気に打たれ彼女を厚遇し、のちのちルツとボアズは結婚してその子孫には二代後にダヴィデが…といったまるで講談か浪曲か義太夫に出てくるような「美談」の一場面がこの絵なのだ。
画面の手前で跪いて、落穂拾いを願い出ているのがルツ、その左がボアズというわけだが、この絵の人物配置といい、キリスト教でいうパンを象徴する豊かな穀物の描きかたといい、「四季」のなかでもこの絵は抜きん出ているものがある。


「秋~収穫~」

イスラエル民族の約束の地カナンの葡萄が描かれている。それにしてもデカイ。これは巨大植物というわけじゃなく、キリスト教の円熟の譬えとか、キリストの最後の晩餐で飲まれる葡萄酒とか、そういうものの象徴らしい。でもこの絵からは、そう説明されないと、そんな発想は出てこなかったというのが正直なところだった。


「冬~大洪水~」

こんな場所に放り出されたら、生きておられないと思える。ノアの箱舟の話で有名な大洪水のイメージ、要するに最後の審判のイメージである。画像では確認しづらいが、奥のほうでは箱舟や画面左には悪を象徴するヘビが描いてあったりする。

というわけで、春夏秋冬をテーマにしつつも、ただ特定の土地の生業を風景画として描くだけでなく、寓意をかなり盛り込んでいるのがプッサンの絵の特徴なのだ。
現地ではよく英語で館内ガイドを聞く団体の傍にいて、ヒアリングすらまともにできないのに、解説を聞かせてもらった。そのなかで、ロケーションやアレゴリカルやらバイブルやらそんな単語をたくさん聞いた。聞いている人たちも眉間に皺寄せて聞き入っていた。

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前回は一つの絵について、長々と書いてしまった。あまり長すぎるのもどうかと思うので、今回はなるべく端折る。


ハンス・ホルバイン(子)「カンタベリー大司教ウィリアム・ウォーラムの肖像」(1527)



ハンス・ホルバイン(子)「アンナ・フォン・クレーフェの肖像」(1539/40)

エラスムスとかトーマス・モアとか社会科の授業で習うような有名人を描いた画家に、ドイツ・ルネサンスで活躍したハンス・ホルバイン(1497/98-1543)がいる。
ホルバインの絵で「墓の中のキリストの屍」という作品があるのだが、それを以前に画集で見たとき、相手がキリストであろうが容赦しないリアリズムを感じたのが印象深かった。以後、ホルバインの描く肖像画は正直不気味系というか怖くて、あまりじっと見ていられなかったが、絵に力があるのは今でもよくわかる。
さて、上の二人だが一人目の大司教はエラスムスとトーマス・モアの友人であり、ホルバインが一回目にイギリスに渡ったときに後援した人だそうだ。
ホルバインはのちにイングランド王ヘンリー8世の宮廷画家になるのだが、インテリで美食家で統治力にずば抜けていたヘンリー8世は、ある面では妻や側近を離縁・刑死・処刑したりと苛烈なところもあったらしい。そんな王様に仕えたホルバインはさぞ震えた?のだろうか…
二人目の肖像の女性はドイツより嫁ぐことになったヘンリー8世の4番目の妻だ。絵は「お見合い写真」の用途で描かれたようだが、当時の肖像画で正面から描いてよいのはキリストの姿や男性の権力者だけだったので、この女性の正面像は例外中の例外かもしれない。
他、有名な「エラスムスの肖像」などがあったが、写りが悪かったので紹介できない。残念…。


ヒエロニムス・ボッス「愚者の船」(1500頃)

気持ち悪く怖いけど幻想的で惹き付けられる絵ってある。特にスペインのプラド美術館にある「悦楽の園」で有名なボッスの絵は、まるでヒッチコック映画の幻想シーンを一枚の絵にした感じなのだ。
「愚者の船」は腐敗した聖職者を寓意で告発していてルターの宗教改革も近いことを思わせるといった見方が強いが、この絵は人間の無意識の強迫観念を描いている点で恐怖心をあおられる。この手の絵が既に15世紀に存在していたというだけでも驚きだ。


ピュジェの中庭

薄暗い絵画の展示室にいるときの気分を一新したいとき、いくつかある中庭を見てみた。明るくてとてもよかった。ちなみにピュジェの中庭にはフランスの彫刻がずらりと展示されている。

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ヤン・マセイス「バテシバの水浴」(1562)。横は2m近くあります。

ルネサンスは15世紀のイタリアで花開いたが、ネーデルラントといわれた今のベルギーやオランダにあたる地方で15世紀に興った新しい芸術運動は北方ルネサンスと呼ばれる。そこからいろんな都市で芸術作品が誕生したが、その中に16世紀のアントワープで活躍したヤン・マセイスという画家がいる。上の絵は以前から知っていたのに、マセイスのことは帰国してからアントワープで活躍した画家だったんだ、と知った。
さて、上の絵のバテシバというのは旧約聖書に登場する女性である。ペリシテ人のゴリアテを倒したダヴィデが王様になったあとの話で、ダヴィデはある日、人妻であるバテシバの水浴姿を見てしまい、熱を上げて自分の妻にしたいと思った。ところが相手は人妻、なんとか彼女を娶りたいと思ったダヴィデは、部下である彼女の夫ウリアを戦場に行けと命じて死なせてしまい、念願の彼女を妻にするのだが、ダヴィデと彼女の子供には不幸ばかりが…という有名なエピソードのヒロインがバテシバである。
絵の場面では左上のバルコニーから王様ダヴィデが彼女の姿を見てるのがわかる。画像ではボヤけて表情まで写ってないが、ここに描かれたダヴィデははっきりいって思わず覗いてしまったというより、覗きが好きな単なる助兵衛みたいなのだ(笑)。
左に描かれている「王はあなたを招待しました」と言いに来た使者の反対側の女性二人が面白くて、一人はバテシバを見上げてまるで「奥様、チャンスです。やりましたね(もしくは、王様もお好きだねぇ)」といわんばかりの微笑をしているし、もう一人の女性はまるで見ているこちら側にバツの悪い思いをさせるかのように正面を見据えている。中心のバテシバはこの瞬間に「微妙に」ほほえんでいる。
そして、二頭の犬。私はこの犬らがダヴィデと、バテシバの夫ウリアの力関係を表していると思うのだ。左の大きい犬(ダヴィデ)はいくら子犬(夫ウリア)が吠えても、いつでも凄まじいダメージを与える一撃を繰り出せる構えをとっている。要するに運命は権力で決せられることを表現しているのかもしれないと思ったのだ。(あと背景の町はどこかとか、シルエットになっている木は何の木かなど興味は尽きない)
一枚の絵の中に、いろんな要素を盛り込んで描く画家ってすごいなぁと思った。

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作品を年代順に追って見るなどということはできなかったので、次はいきなりドイツ・ロマン派のカスパル・ダーヴィド・フリードリヒ(1774-1840)の作品を探した。


フリードリヒ「カラスの木」(1822年頃)




上の2作品がフリードリヒの作品だが、題名がフランス語で書いてあってよく分からない。でもこの木や夕暮れ、船着場に出る雲がかかった月の描かれ方はフリードリヒの特長が本当によく出ていた。

「メディシスの間」以外にも、ルーベンスの作品は本当にたくさんあり、特に「エレーヌ・フールマンの肖像」(2m近くある!)が素晴らしかった。


「エレーヌ・フールマンの肖像」1630年代

ルーベンスは最初の妻イサベラ・ブラントが世を去ってから更に仕事の虫になったが、1630年に16歳のエレーヌ・フールマンと再婚した。ルーベンスは亡くなるまで彼女と幸福に生活したが、絵にもそれが窺えると思う。それにしても、エレーヌは黒い服を着ているのに、なんと彩りが豊かなんだろう!

偉大な画家は後世に多大な影響を与えるものだが、それは後の画家にとって苦悩の始まりかもしれない。自分の描く作品に先人の影響が強すぎると、結局は歴史に埋もれてしまう運命をたどることが多い。
下の作品を描いたアントニー・ヴァン・ダイクもルーベンスから多大な影響を受けた(実際ルーベンスの工房にいて助手をしていた)一人だが、のちに英国国王チャールズ1世の首席宮廷画家となった彼の肖像画はルーベンスの動的な描き方とはちょっと違い、静謐さというか穏やかで落ち着いた演出がなされていると思う。そしてモデルの心理や性格を直観力で描き出す抜群のセンスはヴァン・ダイクならではのものだ。





代表作の一つ「狩場のチャールズ1世の肖像」

上の絵は後のイギリスの肖像画に影響を与えた。レノルズやゲインズボロみたい、と言われたらそんな気がする。
ところでチャールズ1世はこの肖像画のモデルになっているころ絶頂期だったが、のちに徹底した専制政治を行った。それが貴族や市民に清教徒革命へと突っ走らせる原因となった。チャールズ1世は処刑され、この絵は後にフランス国王ルイ16世に買い取られたのだが、ルイ16世もフランス革命で断頭台で処刑されてしまう。
そう考えると、これはいわく付の絵ともいえる。ヴァン・ダイクは王の憂いだ表情にその運命の暗示を感じ取っていた??


「ジェームズ・ステュアートの肖像」

ジェームズ・ステュアートはチャールズ1世の親戚で仲のいい友人。こんなに傍に寄れたのは、親交が厚かったことを意味しているのかも。

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いよいよ、楽しみにしていた絵画鑑賞に。一日では到底見れるものではないが、なるべくたくさん見たし、見ておきたい分についてはなるべく画像に残した。もちろん、見逃した作品もたくさんある。

さて、ルイ14世と聞けば「朕は国家なり」という言葉を吐いた人物として聞いたことがあると思うが、ではルイ14世はどの年代の人かというと、1638年生まれで1715年没というから、近い人といえば、万有引力の発見で有名なアイザック・ニュートン(1643年~1727年)ということができるかもしれない。私の場合、歴史の本を読んでも、その認識って曖昧なもので、これを聞いたとき「えっ!そうなの?」と意外な気がした。(小説好きの人間として一言付しておくと、シェイクスピアや、『ドン・キホーテ』を書いたセルバンテスは1616年に亡くなっている。私は上のことを知るまでルイ14世はシェイクスピアよりも前の人だと思っていた…)
ところで、ルイ14世の祖母にマリー・ド・メディシス(1573年~1642年)という人がいる。上の年代でいえば、シェイクスピアが生まれて十年後ぐらいに生まれたのがマリーである。
ド・メディシスという名前から察せられるとおり、マリーはフィレンツェのメディチ家からフランスに嫁いで来た人である。彼女の生涯はルーベンスの手による連作絵画で表され、それがルーヴル美術館のメディシスの間に展示されているのだ。


メディシスの間



右の絵「肖像画の贈呈(アンリ四世が将来嫁となるマリーの肖像画を贈られている)」
(中央と左の絵についてはまた調べます…)

「マリー・ド・メディシスの生涯」は圧巻だった。この連作を仕上げるのにルーベンスは数年かけたそうだが、それにしても一人の生涯を24枚もの絵に仕立て上げるとは常人には理解しがたいものがある。それに絵に盛り込まれた神話が彼女の生涯を「脚色」しているのだが、短い年表でもいいので彼女の生涯のエピソードを知っておけばもっとよかった気がしている。


絵画を模写する生徒もいるのです。



外はいい天気だった。


楽しみにしていたレンブラントの作品が展示されている部屋にきた。


トビトの家を去る大天使ラファエル

レンブラントの絵はその精密さにも圧倒させられるのだが、なんといっても時にドラマチックな主題で感動させられることがあるので好きだ。これは旧約聖書の外典の「トビト記」に出てくる話で、信仰の篤いトビトという人が盲目になり大天使ラファエルの助けで再び目が見えるようになった話を描いてある。場面は大天使ラファエルがトビトとその息子トビアスに正体を告げて飛び立つところで、トビトは大天使にひれ伏している。大天使の威光を白で浮かび上がらせているところが素晴らしかった。


レンブラントの風景画だと思って撮っておいたが違うものだった…。



エマオの晩餐

これもレンブラントの作品。聖書にはキリストが亡くなって三日後に復活することを信じない弟子の前に、キリストが現れるという話がある。二人の弟子にパンを与え、弟子がキリストに気づいたときにはキリストの姿が見えなくなっている、その直前だろうと思うが、この絵のキリストは本当に周りの人と比べても明らかに何か異質なものがあって、まるで電球が消える前のようなそんな感じがした。

レンブラントの作品は他にも「息子テオの肖像」「自画像」「手紙を読むバテシバ」など名作があったが、職員さんの目が気になったので画像には残せなかった。


フランス・ハルス「ジプシー女」

上はフランス・ハルスの作品だったが、タイトル失念。すごく生き生きした絵で、とても印象に残っているのだが…。
(後日調べたら、「ジプシー女」という題で親しまれているとあった。でも描かれているのは娼婦だとか。なるほど流し目をよく見ると…)
--------------2007年1月15日0:34追記--------------

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ルーヴルは広いので、ツアー旅行でくるにはもったいない場所だと思う。
次にきたのは彫刻の間でたぶんギリシャかローマ美術の部屋だったように思う。


三美神(紀元前1~2世紀、大理石、105cm)

いいですねぇ。「典雅」「愛嬌」「歓喜」を表した三美神の姿。紀元前からこの形式が今に伝わっていると思うと、これは美を考えるうえで根底にある審美の感情の一つかもしれないと思ってしまう。三美神は後世に絵画でも描かれていて、特に有名なのはボッティチェリの「春~プリマヴェーラ」やルーベンスの「三美神」などがあるように思う。


眠るヘルマフロディテ

↑のヘルマフロディテというのは、オリンポス12神のヘルメスとアフロディテの間に生まれた美しい息子のこと。でも、ここでは彼は女性のごとく彫られている。ひょっとすると、ヘルマフロディテは後にサルマキスというニンフと交わり、体が統合しアンドロギュノス(両性具有)になることを暗示しているのかもしれない。
ところで、彼が伏しているベッドと枕は、「アポロンとダフネ」の彫刻でも有名なジャン・ロレンツォ・ベルニーニ(1598-1680)が制作したものだそうだ。つまり、この作品は紀元前2世紀後半のオリジナルによるローマ時代の模刻と、バロック時代の巨匠が制作した装飾との「合作」なのである。


解説のヘッドフォンを貸し出す職員さん。忙しそうにしていた。

美術館のパンフレットにはルーヴルが誇る歴史で必ず習うような有名な展示物が親切に強調されている。紀元前18世紀前半のバビロンのハンムラビ法典といえば「目には目を。歯には歯を」が有名だが、それが彫られているのが下の石碑だ。


地道に彫ったんだろうなぁ…

言葉は時代によって使い方も意味も変わってくるが、時に解釈も誤って伝わることがある。少なくとも私は、誰かの歯を折ってしまったからといって、被害者に対し自分の歯でもって償ったなんていう話を聞いたことが無い。償いの方法は意外に現在にも通じているものもある(懲役や罰金など)。
ひどいのはやっぱり「歯を折られたなら相手の歯を折って復讐してよい」と誤解しているパターンかも。いくらなんでも法典なのだから、復讐を奨励して煽ってどうするの?と今なら学校で習った解釈にチクリと言ってやりたい(笑

いろんな展示物を集中してみていると、ちょっと気分転換したくなる。窓の外を見てみるのもお薦めかもと思った。


ルーヴルは外観だけでも立派な美術品なのです


   ***

(上の女神たちの彫刻については分かり次第、後記します。)

----------2007年1月11日22時11分内容を追記・訂正----------

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