デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



タイトルにある2.5というのは、現在第三巻の「バッカスの宴」は読み終えた、という意味である。

訳者の亀山氏は第五巻の解題で、以下のように書いている。

「 思えば、ドストエフスキーの作家としての傑出した力量は、登場人物のどのセリフにも真実があると思わせながら、しばしばそれとは正反対の内容をもつセリフによって裏切られるが、裏切られた「真実」もまた、かぎりなく「真実」をはらんでしまう点にある。登場人物は、真実のいくつもの層をそれぞれの役割に即して語っている。ポリフォニー性とは、真実のさまざまな層同士の対話ということになる。」
『カラマーゾフの兄弟5』(光文社古典新訳文庫)p253

本当にそうで、私などからすれば、いけ好かない登場人物がいたとしても、完全に悪と決め付けれないところに、以前はスッキリしなかったが、今は↑に書いてあることを、よくぞドストエフスキーはやったなと思うのである。語り手が終始愛称で呼ぶアリョーシャも絶対的な聖人ではないし、小説の舞台で起こるいろいろな事件について話を膨らませる虚栄心の強いご立派なホフラコーワ夫人も、実際にいそうな人物というだけではもの足らない強烈な個性自体に真実味を覚えるのだ。
この作品はいくつかの層でなりたっている。扱っている内容はソープオペラ、昼ドラと大して変わりがない。TVだったら10分で済んじゃいそうな、作中で起こる中心的なエピソードは3日内に起こっている。
ちなみにこの作品は文庫で4冊と少しの分量ある。3日間で起こった出来事は文庫二冊半以上もの分量で描いてあるということになる。おそろしく込み入った内容であるにも関わらず、それでもなお「真実を真実らしく見せるためには、ぜひとも真実にすこしばかり嘘をまぜなくてはならない。人間はいつもそうしてきたわけです」と、読者にあえて揶揄させるような余裕すら感じさせるところが憎い(笑)。
あと、約1.5冊分残っているが、読み終えたらまた感想を書きたい。

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文の意味がまともに伝わるよう、若干加筆修正いたしました。(23:24)

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