デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



流行に乗る形で村上春樹の『ノルウェイの森』を読んだ(以下、ネタ割れ注意)。記事はまとまってませんので書き散らした形で、とりあえずそのままにしときます。

感想は以前書いた『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の感想と6割ぐらい重複するように思う。今生きて活躍している作家というのもあり、私が村上春樹作品について普段人と話す際は、辛口評価になってしまっているだろうと思うが、おもしろくない作家だとは思っていないので、そこはわかってくれたら嬉しい。

作品内で主人公のワタナベが手にしている小説に『グレート・ギャツビー』『魔の山』『車輪の下』などがある。物語内で事ある毎に、その場面や関係する人物像を喩えるような役割を担っているのがこれらの小説なんだろうと思うが、いかんせんタイトルだけで「あからさまな隠喩」として用いているのは、あまり好きでない。
最初のハンブルク空港に降り立つ場面や、メキシコのうんぬんがなかったら、『ライ麦』の主人公が説明的に独白しているような作品だと、全体を通して感じた。単にワタナベが述べる時代の風潮についての見解が、『ライ麦』の主人公のそれに似ているように思えただけも知れないが。
緑とワタナベのやりとりはおもしろかったし笑えた。まるでデビット・リンチの不条理映画の登場人物の会話みたいで、私は既視感を覚えた。ただ、個人的に先に『海辺のカフカ』を読んでたので、登場人物たちの会話はいかにも村上春樹作品らしいな、とえらそうに思いながら読んでしまったのは、自分に対して少し残念だ。
『海辺のカフカ』で大島という人物を出してるぐらいだから、『カフカ』より前に書かれた作品であるならレズビアンのテーマがあってもおかしくないな、と思っていた。レイコが出てきたときにレズビアンをめぐる描写もどこかであるかもと思ったら、案の定だった。
正直、緑の姉の存在も、緑の嘘かもしれないと思う。
強制退場させられた割には、突撃隊の存在の用い方が巧みだ。
信じ難いほどの献身的な性格の持ち主で、緑の理想とするキャラが二人(ワタナベ、レイコの夫)出てくるが、レイコの夫の方は、作品のなかではある意味「常識人の超人」として映ってしまう奇妙な感覚を覚える。彼は行動だけみれば永沢と対極にあるのかもしれないが、怪物的なまでの一途な精神と意志をもっている点では似ているように感じた(あくまで小説内で)。
『ノルウェイの森』は、なんだかんだいってBildungsroman(ビルドゥングスロマン)で、その点『魔の山』を意識したんじゃないかと思う。

『ノルウェイの森』を読んで、村上春樹作品の特徴や人気の秘密は、

・描かれるエピソードや会話が既視感(きしかん)に満ちていること。
・読者が期待するような会話の応答や物語の展開を、斜め上にさらりとかわして関心を惹き続けること。
・登場人物たちは個性的だが、スカした諦観を身にまとっていること。個性の芯みたいなものが欠落し、生命感に満ち溢れていないこと。
・偽善の告発や禁忌事項に容赦がないこと。それが苦労人や孤独者や社会的マイノリティの視点から語られること。
・作中内の事物、環境や小道具までもが、時代の雰囲気を反映していること。
・性行為の描写が多く、登場人物の口を通して性的行為に対する考え方がたくさん出てくること。
・基本プラトニックを期待しないこと。
・やたら人が死に、寂寥感と暗さがあること。

そして一番目とダブるが、村上春樹作品の偉大なところは、歴代有名作品や映画や歌のなかに登場するどこかで読んだり聞いたことのあるエピソードの統合させて、どんな言語に訳されても通じる平明さを意識した文体を用いて簡潔に書いているところだなと、『ノルウェイの森』を読んで改めて思った。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )