デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



作業自体は例年どおりこんな感じ

今年の五山の送り火は少ししか見なかった。薪の問題ではごちゃごちゃと後味の悪い顛末があったけど、今年も多くの人が消し炭を拾うべく、早朝から大文字山に登っていた。かくいう私も朝の5時半過ぎには登り始めていけれど。


朝まだきとは言えないが、車はがら空き


護摩木を受け付けていたテントも閑散としている




朝6時にもかかわらずけっこう人が


お経をあげているおばあさんがいて挨拶もした


朝日が差す1


朝日が差す2


朝日が差す3


6時半ぐらいになるとけっこう人が登ってきた



以下は8月15日、すなわち送り火の前日の画像であるが、私個人はこちらの方が興味深かった。



↑は銀閣寺の門の前に設けられた護摩木の受付所である。送り火前日の8月15日に来たことがなかったが、こんなテントが建っていたとは知らなかった。





護摩木を買った人は、それに故人への思いやお経など、さまざまなことを書き入れる。書くためのテーブルには墨汁や筆が置いてある。

送り火前日の火床はどうなっているのか興味を持ったので登ってみることにした。

火床まであと少しという地点まで登ると、普段動いていないものが音をたてていた。











上の五枚で分かるとおり、荷台をあげるケーブルが動いていたのである。下で書かれた護摩木が積まれて火床まであげられているのだ。
ちなみに大文字を除く4山は人力で薪をあげている。



















火床はいつもなら登っても何の変哲もないところに、飾り物やお供え、上げられた護摩木、送り火のための燃料その他が置かれていた。


下山。かなり暑くて夏はきつい。

 
五山の送り火は、お盆に降りた故人の霊が天に帰っていく道を、迷わないよう地上におる者が松明で照らす、という意味がこめられた行事である。つまり、故人の霊は16日の夜までいてくれて、帰り道が分からないから火で帰り道を照らすことになっているから、15日に登った私は霊たちに囲まれて戯れていたことになるはずだ。やっぱり霊も道が分からなくなる夜よりは、明るいうちにやってきているはずなのだから(笑)。
下山し、もう一度、護摩木受付所に寄った。そして以下の料金を見て、ふと考えてしまった。


葬式のあり方うんぬんについて、今年何度か書いているが、上の料金表を見た途端、私が逝ったときは、これでいい!と思ったのである。
逝った私を偲ぶ人がいたとしたら、お盆の時期にこの護摩木になんか書いて、遺灰の一部でも混ぜてくれれば(気持ち悪かったら混ぜなくていいが(笑))、私はもうそれでいい。護摩木を買うまでの足労と数百円で事が済むんだし、送り火が始まったらそれを眺めてくれりゃうれしい。そして翌朝でも後日でも自分の足で登山し消し炭を拾ってくれたら、それだけで後に残る人間の気持ちが込められているではないか。
お盆だからといって、半強制的な押し掛け坊主から、ペースの速い、聴いても意味さえ分からないお経を、またお経自体歪曲された内容になっているものを聴かされ唱えさせられた挙句、数千円以上のお金を持っていかれるよりは、自分の足を使って、自分の手で故人へのメッセージを書きに行き、自分の目で送り火を眺める、そこまでしてくれたら、供養として充分すぎると私なら思う。翌朝、いいトレーニングにはなれど、体がきつければ登らんでも構わない。ただでさえ暑いのだから(笑)。

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