デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



先月、ハドリアヌス帝の時代を背景にした「テルマエ・ロマエ」というアニメ作品を見た。それは浴場設計技師ルシウスを主人公にした、、古代ローマの薀蓄が傾けられかつギャグ要素をふんだんに盛り込んだ作品なのだが、それを見ていて「ローマ人の物語」に描かれなかった決して少なくないはずの無名の人々について、自分は目を向けていないかもしれないと思った。
「ローマ人の物語」には栄達に満ちていようが悲惨な末路であろうが、描かれている人物は負の業績を残したとしても有名であるという「栄光」を勝ち得ている華々しい人物たちばかりが多く登場するけれども、ローマ帝国は、指導者や上流階級の人々だけでなく、名の知られていない人が日々働いていたからこそ、繁栄を享受していたわけであって、その名の知られていない大多数の人々が実際にどういった仕事をこなしていたか知るために手に取ったのが、タイトルの本である。
この本を読めば、現代の人間が機械に任せている仕事を、古代では人間がやっていたことが分かるだけでなく、現代と古代は実は驚くほど似ていることも分かる。労働は現代も古代もけっして楽なものではなく、虐げる人間に対し虐げられる人間は常に不満をもっていたわけだし、自由民がする仕事と奴隷身分の者がする仕事には区別がついていたわけだし、仕事には人々の生活の衣食住を支えるものだけでなく、娯楽や賭け事に情熱を燃やす人のために生まれた仕事もあったわけだ。
先月、アッピア旧街道の墓所のなかの解放奴隷ラビリイ一族の墓で、詳しく調べずに軽々しく制度について書いたが、解放奴隷の身分にあった人々がどのような職に従事していたのか、また従事することが多かったのか、私はもうちょっと想像力を働かせるべきだったかもしれない、と、この本を読んで思った次第である。

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