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デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 




カラカラ帝は、弟ゲタを母の目の前で殺させ、弟の名前や肖像の出ているものは文書でも絵画でも彫刻でもすべて抹消させ、ゲタに好意をもっていた2万人もの人間を粛清し、自分の妻を流刑に処し、わざわざ流刑地の妻を殺させた。
また、帝国の全自由民に市民権を与えた。市民権を与えられた者は、個人の権利は増大はするが、それは同時に相続税や奴隷解放税を納める義務が生じるので、カラカラ帝の目的は税の増収であったことが分かる。
カラカラ帝は、ローマ市民権というブランドを価値無きものにしてしまった。市民権をもつ魅力やローマ市民であることが有名無実化していくことは、市民感情に重大な影響を与えたことは想像に難くない。市民権が特別なものじゃなくなれば、社会におのずと個人主義がはびこってくるのであった。



カラカラ帝は各地の騒乱を治めるため、帝国内を転戦はしていた。軍事では勝利をおさめていたので、兵士たちからは人気があったようである。



カラカラ大浴場は217年に一応の完成を見たが、同じ年の4月、カラカラ帝は親衛隊長マクリヌスの陰謀に遭い、29歳で暗殺されてしまった。






カラカラ大浴場の機能が停止するのは537年。ローマに侵攻した東ゴート族によって浴場に水を提供していたマルキア水道が破壊されたことによる。

キリスト教がヨーロッパに広がると、公共浴場で汗を流したり娯楽に耽ったり社交の場を形成するような習慣はどんどん廃れていった。
哲学者や頭の固い宗教家による「品性の問題」はあろう。しかし、現在でも、ドイツのスポーツジムに行けば、男性用の更衣室と女性用の更衣室はつながっている場合が多いとのことだし、北イタリアのアルト・アディジェ地方の多くのホテルのサウナ内では、シャワーを含めたどの設備も男女共用であるだけでなく、服の類を身につけることも、水着を着用することも禁じられているといったところがあるのである。以前書いたローマの食事のマナーの内容と部分的に重複することであるが、暴力犯罪や性交渉の働きかけといった性犯罪に対して律する精神とともに風呂の裸は性的な裸ではないという良識・習慣のもとでの浴場設備の男女共用というのは、非常に合理的なシステムであることは再考に値することではないかと思う。ローマの遺跡を歩き、またそれについて調べるとともに現代はわざわざ自分で自分の首を絞めすぎているところもあると思える。

(旅程としてはアッピア旧街道につづく。)

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