デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 




前31年、クレオパトラ・アントニウスの連合軍に勝利したオクタウィアヌス(のちのアウグストゥス)はインペラトルという戦争遂行を認められた称号を自分一人だけのものとし、軍の最高指揮権を一手に担っていたわけだが、その総数は30万人という膨大なものであった。
いくら戦いに勝ち国が平和になったとはいえ、そのような数の常備軍となると国が持たないし、かといって彼らを単に失業させてしまうと社会の不満分子になりかねない。アウグストゥスは、これまで将軍たちから給料を受け取っていた彼らを、今度は国家が面倒を見なければならなくなった問題に対し、全軍を50パーセント近く減らすという策を講じて問題解決に当たる。



ではどういう対策をとったのか。
アウグストゥスは、15万人近い失業軍人たちに地中海沿岸の各地に都市を建設させ、都市が完成したあとは、土地を与えてその都市の上流階級として住み着かせる対策をとったのである。ヨーロッパの地中海沿岸都市に住居だけでなく水道や道路、劇場、浴場といったローマ時代のインフラの遺跡が残るのはそのためである。アウグストゥスがローマ帝国全土に120もの都市を建設したのは、こうした失業者対策のためであった。



ハドリアヌス帝はローマ帝国の属州をくまなく見て回る旅をおこなったが、アウグストゥスの時代以降につくられた属州の都市ごとに浴場はあったわけだから、風呂を恋しがるようなことはなかったのではないかと思う。公共浴場は庶民的な値段で入れたというが、皇帝が視察に来たときには無料になったのかもしれない。



アウグストゥスの時代とは事情が異なり、カラカラ大浴場はカラカラ帝の人気取りのために造られた側面がより大きい。歴代の皇帝たちは庶民的な値段で入れる公共浴場を競って無料開放しているが、カラカラ大浴場もその例に漏れないようだ。

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