デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



再びやってきた












「滝」の部分









「滝」の部分の全体図はこんな感じ

この画像を撮った時、私の中で沸々と幻の滝がなぜこれらの奇岩と自然の岩が混在しているのか、その答えになるかもしれない仮説を立ててみたくなった。
改めて幻の滝を見て、仮説を思い付く前にまず頭に浮かんだのが、ローマの旧アッピア街道沿いにあるマクセンティヌス競技場跡であった。紀元4世紀、ローマ帝国の皇帝であったマクセンティヌスは競技場の建設をすすめていたが、コンスタンティヌス帝との戦いで敗れ戦死したことで競技場の工事は中断、そのまま長い時が経ってしまい遺跡になってしまったのがマクセンティヌス競技場跡である。
マクセンティヌス競技場跡のことを思い出した私は、今の幻の滝の場所でも、昔、誰かの命令で、かつて幻の滝の木の根の周りの壁面から石が切り出されたのではないか、あたかも滝つぼを構成しているかのような奇岩はそもそも壁面についていたものではないかと思ったのである。
奇岩がもし切り出された岩ならば、それを麓まで運ぼうとしたのか、それともこの場所に新たな建物を築くための土台にしようとしたのか、そのあたりは何ともいえない。ただ、私は石を切り出したものの石を使う側の人間が戦の展開や政策の変更、経済的に困難、単に運ぶのに難しい、いい石を採れる他の場所が見つかったなどの理由で、運搬や工事を続けるにも岩の用途の目処が立たなかった、なので切り出された岩が放置され、当初の目的が忘れ去られてしまい時が流れ現在に至ってしまった、という仮説を立てたくなったのだ。こういったことは実際起こりうる話だと思うのである。


ここも石を切り出した跡?













こういう想像はどうだろう。室町時代、戦に備えて大文字山に築城した中尾城の奥に更なる城や砦などの軍事的な施設を築こうと急ぎ命令が下されたが、戦いが始まってしまったので早々に工事は中断した。その跡がこの場所なのかも…。
実際のところは分からないので、また個人的に調べる機会を持つだろう。ただ、もし奇岩が人為的に切り出された岩であるならば、それがこれほどまでに自然の岩とうまい具合に混在し「配置」しているのは、ちょっとした奇跡かもしれない。少なくとも珍しい場所であるように思う。

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(追記):弊ブログの幻の滝リンク 1_2_3_4_5_6_7_8_9

(更に追記):こちらで想像の内容を少し現実味を帯びたものに訂正?しています。

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