いつも『源氏物語』を読みに行っているカフェで、50歳半ば以上には見えるおじさんとおばさんがなんらかのもつれ?のせいで別れ話を始めだし、怒鳴りあいに発展するという場面をすぐ近くで耳にした。奇しくも、私と、その50歳半ば以上には見えるおじさんとおばさんが来店するタイミングが同じで、おじさんがどういった交通手段で来店したか、目にしていた。
別れ話からの喧嘩が始まる前に『源氏物語』の「御法」を読み終えていたので、読書気分が台無しにはならなかったのが救いだったのであるが、決して広くない店内では男女の修羅場の喧嘩の内容はよく聞こえてくるので、口癖や口調や内容まで聞きたくもないのに嫌でも耳に入ってくるのであった。
他人事だから放って置くことに越したことはないし、実際関わらないのだが、ここ数ヶ月『源氏物語』を読んでいると、おじさんの方の口癖や口調や言い分が、「話し合い」と銘打っておきながら相手の話を一切聞いていないことが分かるような、また自分本位・自分優位に常に立とうとして相手の言うことをさえぎるように延々としゃべり続けるまさにお話にならないタイプであることが、周囲の人にも感じられるようで、過去にどんな間違いがあったにせよ50代のいい男ならもっと光源氏みたいにどーんと構えて相手の不満を受け止めて、堂々とせんかい!と思えてしまった。(男であろうが女であろうが、そういった店内にたれ流れる「話し合い」の場では、いつも以上に自分本位になりがちなのはわかるんだが…)
もちろん店員も他の客も、その「話し合い」に辟易し、どん引きであった。こういった修羅場に、年に何度か遭遇するのであるが、今回の場合、来店時におじさんの方が乗っていたバイクを私が退店時に見たとき、なんだかより一層おじさんがどういった性格で気心が知れた頃合にどういった「本性」が顕われてくるか分かったような気がした。一言でいえば自分のバイクがパートナーや周囲の人間よりも大事であって、その趣味が高じて結果的に周囲との金銭トラブルが生じようが身近な人の気持ちを傷つけようが構わない、それでいて自分の行動を棚に上げて周囲との人間関係を自分が思うとおりにつなぎとめておきたいエゴがむき出しになったことで、今回のような他の客や店員が耳を覆わんばかりの「話し合い」になったのだろうと。
そういえば、「話し合い」のおじさんとおばさん、最近よく来店していたなぁ。思い起こせば前兆は確かにあったように思う。こちらがいくら読書に集中していたとはいえ、嫌でも聞こえてくる「話し合い」の内容を自分なりに吟味して物語を引用してみたくなるほど、店の端のほうで仲介人らしき人に対して自分の主張ばかりを押し付けているような内容がこちらにも聞こえてきていた。今日、怒鳴り合いにまで発展したわけだから明日はもっとひどく?と一瞬思ったが、たぶん明日からは来店しないのではないだろうかという希望的観測が私の中で勝った。
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