デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



司馬遼太郎 著『ロシアについて』(司馬遼太郎全集53、文藝春秋)読了。

勉強になる作品だ…。
読んでいて、私は18世紀後半~20世紀初頭のロシア文学作品およびそれに登場する地の旅行体験から、ついついロシアの歴史を西洋史的な見方でもって眺めがちなんだなぁと自覚した。サンクト・ペテルブルグとモスクワを中心にした大ロシアとロマノフ王朝のロシア史、ロシア革命後のソビエト連邦史と最近のロシア帝国の時事的な本を主に手にしてきた程度に留まっていたといえる。
ロシアは広大すぎるので、ロシアの国内の歴史といっても西側の歴史と東側の歴史がある。日本とロシアを介する人物として18世紀の大黒屋光太夫や、江戸時代の後半のペリーの黒船の前にロシアの船が北海道や仙台に来て幕府と接触したことぐらいしか聞いたことのない私にとっては、司馬氏の『ロシアについて』にある日本とロシアのみならず、草原の国モンゴルとロシア(と清朝)との関わりについての割合が多い記述を一から理解するのは骨が折れるなと思わざるを得なかった。『坂の上の雲』を書くためにいろいろなことを調べた司馬氏は、並大抵じゃないなと改めて思う。
ストロガノフ家がイヴァン雷帝の時代からロシアの歴史に関わってることも初めて知ったし、江戸幕府がロシアという国の存在を「ヲロシヤ」として認識したのはいつごろか、またロシアが日本を情報として知ったのがいつごろか、そんなこと考えたことも無かった。(ちなみに著書に出てくるストロガノフ家と料理で有名なビーフ・ストロガノフのストロガノフ公爵との関係はよく分からない。関係あるかもしれないし無いかもしれない(笑))。
著書の中ではモンゴル帝国の興隆と衰退にロシア帝国と清朝がいかに関わっているのかも触れられている。その内容にも、私も含め多くの人がアジア史のある側面として埋もれていること知らされないことが多いのだと感じた。
ただ、これはもう書かれた時代が違うゆえ仕方が無いのだが、作品がモンゴル帝国やモンゴル帝国後のいくつかの汗国が野蛮だったというイメージから免れていないところにはどうしても目が行く。もし司馬氏が20世紀末や21世紀に入ってモンゴルの地で出土した遺跡がもたらす最新の研究内容を踏まえていたら、モンゴルについての記述はどんな風になっていたろうと想像をたくましくしてしまった。

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