デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



塩野七生 作『ギリシア人の物語Ⅲ』(新潮社)、読了。

先進的過ぎたアレクサンドロス大王(アレクサンドロス3世)の生涯でもって閉じた「ギリシア人の物語」シリーズ。第一巻から振り返るに、民主制の現実と問題点、それをめぐる人間のどうしようもない弱点や習性について考えさせられっぱなしの読書だった。それでいて今回は旅行先で出会った絵画や彫刻と関連付けて思い出にふけるような気にはなれない(笑)。
いつもとこうも異なるのは『ギリシア人の物語Ⅲ』が「塩野七生最後の歴史長編」であるからだろう。「ローマ人の物語」全15巻の最終巻に、書き上げられたのには体の健康が維持されたこと様様で、健康を保てたのは古代ローマの神々のおかげみたいなことが書かれていたように思うが、私が都市国家ギリシアの終焉やマケドニア王国の興隆と大王の生涯について感銘を受けたことより、塩野氏のように『ギリシア人の物語Ⅲ』にいたって、言いたいこと、表現したいこと、成し遂げたいことがあるならば、まずは体力、世に問いたいことが多けりゃそれだけ長生きしなけりゃならんな、としみじみ感じさせる重みの方が遥かに勝っていて一作家の生涯の真実に圧倒されてしまった。おそらく作者は「そんな個人的な感傷より本の内容について考えてくれ」と思うだろう。
巻の最後の方に画像で紹介されているヘレニズム時代の彫刻の「ミロのヴィーナス」などの傑作を見て、これらがヘレニズム文化の幕開けに大いに影響を与えたアレクサンドロス大王以後に制作されたことは年表を見ればすぐに分かることだが、作品が残った背景に大王の遠征がなければ得られなかった政治的安定があったことを新たに発見できた気になった。それはまた芸術作品の鑑賞に際し、展示室内で目にする制作年・発見場所・制作者・数行の作品解釈の情報でもって「鑑賞のノルマ」をこなした気になりそういった軽いカタルシスを得ておしまいにするのはなんと勿体無いことかと反省させられたということでもある。
十代の頃、私は“世界の七不思議”ことフィロンによる「世界の7つの驚異的な建造物」の7つをすべて挙げられることを自慢にしていた。しかしそれは単に暗記しているだけのクイズ脳から出る具体的イメージの乏しい人工的な音に過ぎなかった。7つの驚異的な建造物はヘレニズム時代の建築・建造物の(粋を集めた)ものだし、フィロンのリストはアレクサンドロス大王の足跡を追うような旅の記述でもあると漸く分かった。

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