デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



相国寺(しょうこくじ)の近くは、まま
よく通るのだが境内に入ったのは初めてだ

相国寺の境内にある承天閣(じょうてんかく)美術館で開催されているリー・ダークスコレクション浮世絵最強列伝展に行ってきた。先月からの暑さ故、行くまでが大変だった。


烏丸通りから少し入るだけで
喧騒がなかったかのように静か



承天閣美術館への入口。
けっこう奥まった所にある






奥が入口。こぢんまりとしているが
落ち着いた雰囲気のいい美術館だった

ここ数年、なんだかんだで浮世絵の展示会に足を運ぶ機会に恵まれている。その度に私は江戸の歴史や文化についてほとんど知らないことを自覚させられるのだが、それはそれで新しいことを知りたいと思うきっかけにもなっているので楽しい機会であることには変わりない。出かければ、北斎のシリーズのみならず、予想外にもゴッホが模写したという、外連味(ケレンミ)が強くなりだしている時期の歌川広重の梅の木から人々を覗くような絵も見れたりする。
今回の展示会で興味深かったのは渓斎英泉の「江戸金龍山浅草寺観世音境内図」で、風景を縁取る形でアルファベットやローマ字を散らした文様を用いている作品だった。そういった文様は蘭字枠というそうだが、天保期ともなると浮世絵にも外国語の文字が現れるとは驚きだった。ちなみに作品の風景の表現は西洋の風景画の手法を意識したものになっていて、浅草寺境内が描かれているにもかかわらず、外国っぽかったところも面白い。
江戸の町で浮世絵に描かれるというのは一躍有名人になる、そうでなくとも少なくとも評判が立つことだったろうが、「有名浮世絵師の誰々があの店のあの娘を描いた」となれば娘だけでなく店も繁盛しただろう。しかしそれも行き過ぎてしまったこともあったのだろうか、「寛政5年(1793)、同8年(1796)美人画の中に町芸者や水茶屋の娘の名前を表すことが禁止された」と解説のある作品もあった。ただその作品には町芸者や水茶屋の娘の名前はダメでも遊女名は差し支えないとされたので辻君の絵にあえて「戯画」と書き加えられていた。まさに下に対策有りなたわむれを感じた。

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