デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



ラーマ5世騎馬像を別角度から

ラーマ5世ことチュラーロンコーン王が即位したのは15歳の頃だった。父王が早くに亡くなったからだが、そのころのタイは有力貴族が権勢を誇っていた時代だったので、若き15歳の王には摂政が置かれていた。つまりチュラーロンコーン王が自分の意志で政権運営を行うことは難しく、改革をしようにも断念せざるをえなかった。
1880年代に入ると有力貴族が相次いで死去し、王は再び改革を進めた。有力貴族がいたことで分権的だった統治体系を名実ともに集権化するため、中央集権化のための省庁改革、教育制度の確立、徴兵制の導入など矢継ぎ早に実施していった。チュラーロンコーン王による中央集権化への改革をチャックリー改革というそうだ。



国内の改革のみならずチュラーロンコーン王はタイ国王として頻繁に外国へ出かけた。王がアジア圏の植民地国の近代化の進捗状況や近代化の見本となる事物を見聞したことはタイにとって大きかった。1897年と1906年にはヨーロッパを訪問し、各国の王室とも交流を深めた。見聞と交流を深めるため国王として自ら外国を精力的に訪問したのはタイでは初めてのことだった。チュラーロンコーン王はまさにタイ近代化の立役者なのだ。


鳥が去らない(笑)


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