鶏林からすぐの月城へ
上にあがれる
月城は新羅の王宮があった城址だ。新羅時代(斯盧国時代)の第5代の王「婆娑尼師今」が即位22年目になる101年にここに城を建てて首都を移し、それ以来新羅時代の王の居所になった。
月城の上から
さて、斯盧国(サログク)が新羅になるのは4世紀後半だが、城などまだない時代のこの地には、どこかで聞いたような、神話かよ、と思わせる話がある。
斯盧国の(新羅第5代の)王「婆娑尼師今」の先代の脱解王(タレワン)が幼い頃、この地には既に瓠公(ホゴン)が住んでいた。この地を気に入った脱解は瓠公の家の側に、密かに砥石と炭を埋め、「この土地は祖先からの土地なので立ち退いて欲しい」と瓠公に言った。寝耳に水の瓠公は当然怒ったが、裁判になって脱解が「私の祖先は鍛冶だった。瓠公の家を掘ればその証拠が出てくる」と言って、砥石と炭を掘り起こし、瓠公を謀(たばか)ってまんまと土地をせしめた、というものだ。
洋の東西を問わず、土地をせしめるこの手のエピソードはよくあるし、神話・宗教の口伝・聖典にも似た話が載っていたりするなぁと思った。
個人的には、のちに瓠公は脱解王の家臣になったから、(裁判になったとはいえ)案外、脱解が子ども?ながらに謀っていたことを本当は分かっていた可能性もあるのではないか、いろいろ思惑があり「(裁判も織り込み済みで、将来有望な人物に)貸しをつくった」という解釈も可能かもしれない、と考えている。
雲が少しでも切れてくれたらなぁ、夕景の瞻星台を見たいなぁと、期待してもう一度来た道を引き返したが、夕日には恵まれなかった。
石氷庫に行こうか迷ったが
パスし、瞻星台から東に歩いた。
雁鴨池の方へ国道7号に合流する手前に露店があったが、その横に目を惹く鳥瞰図があった。
CGを用いた昔の東京(高麗王朝は三京制ないしは四京制をとっていた。そのこともあって高麗時代の慶州は東京と呼ばれていた)を鳥瞰した復元図じゃないかと思う。
(ストリートビューでは高麗時代の1300年頃の鳥瞰図2017年4月撮影の分で似た鳥瞰図が表示されるが、私が写した画像とは異なっている。たぶん数年以内にいっそうの適切化を図った鳥瞰図を私は目にしたのだろう)
画面の下半分に弓形に流れている川は月城の南を流れる南川だろうし、左の古墳群は今の大陵苑だろう、また右端の8層か9層くらいある塔は皇龍寺の塔か。月城を中心にしたかつての高麗時代の整然とした東京(慶州)の姿に驚くばかりだった。