デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



谷崎潤一郎の墓と紅枝垂

 …タキシーを拾って平安神宮に向った。
あの、神門を這入って大極殿(だいごくでん)を正面に見、西の廻廊から神苑に第一歩を蹈(ふ)み入れた所にある数株の紅枝垂(べにしだれ)、―――海外にまでその美を謳われていると云う名木の桜が、今年はどんな風であろうか、もうおそくはないであろうかと気を揉(も)みながら、毎年廻廊の門をくぐる迄(まで)はあやしく胸をときめかすのであるが、今年も同じような思いで門をくぐった彼女達は、忽(たちま)ち夕空にひろがっている紅の雲を仰ぎ見ると、皆が一様に、
「あー」
と、感嘆の声を放った。この一瞬こそ、二日間の行事の頂点であり、この一瞬の喜びこそ、去年の春が暮れて以来一年に亘(わた)って待ちつづけていたものなのである。
谷崎潤一郎『細雪(上)』(新潮文庫) p178~179

哲学の道の記事というより、哲学の道から東に一筋入った法然院の墓地の谷崎潤一郎墓を久しぶりに訪ねた記事になる。
『細雪』で描かれる平安神宮の紅枝垂ではないが、やっぱりこの画像には姉妹が平安神宮を訪れるあの場面を引用したくなった。
墓の横に寄り添うように植えられている紅枝垂が咲いていた。春に墓地を訪ねたことがなかったというのもあるが、墓石の横に植えられているのが紅枝垂だと、実はこれまでずっと気づかなかった。
谷崎潤一郎の墓についてはかなり以前にも触れたことがあるが、今回、この紅枝垂の存在に気づけたこともあって、植えた人がいかに作家が京都を愛していた気持ちを大切にし、作家を敬愛していたか、窺い知ることができたように思えた。




お参りもした。

法然院の墓地からも山に登れるが、そのルートをずいぶん久しぶりに使った。

火床から

良く晴れた日で、夕日もきれいだった。


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