接岸
時間的なものもあり、すぐに復路の船に乗った。
山水画のような光景は朝だけだったようだ。
逆光で、百済滅亡に思いを馳せる
ような気にはならなかった。これも
旅行先でのあるあるなので仕方ない。
「百済」の旗がはためく
倭国の初めての対外戦争となった白村江の戦いは、百済滅亡の3年後の663年に起こった。
百済復興を目指す百済遺民・倭国の連合軍が、唐・新羅連合軍と戦った舞台は白村江の河口(現在の白馬江(または錦江(クムガン))河口付近)なので、これらの画像の場所ではない。だが、この白馬江をずっと南南西に下った所が戦いの舞台だったことを思うと古代日本ともつながりがあるんだなと思った。
正直に書くが、現地にいた時の私の頭の中では、百済滅亡と白村江の戦いが「同じ」だった。さすがに白村江の戦いのなかに「落花岩のエピソード」なんて無いことは分かってはいたが、それでも私のなかでは滅亡と戦いが混然としていた。
下船した
テント?パビリオン?
午前の間に同じ通りを歩いて2往復した割には見たものは限られているので、旅の効率だけいえば不効率すぎるかも。時間的なものを考えるとクドゥレへは、宿から歩いて行ける距離だったのだが、やっぱりバスが来ていたら乗りたかった。
コンビニの7イレブンがあったので、7,300ウォン分の昼食を買った。胃袋を落ち着かせるため(妙なチョイスだと思いはすれど)、おにぎりなどのほかにイチゴヨーグルトと牛乳も買った。
宿に荷物を受け取りに戻った。少し早かったので宿の椅子に座って昼食にした。まもなく朝の女性スタッフが出てきてくれて荷物を出してきてくれた。ありがたいことに私の昼食で出てしまったゴミも宿で処分してくださった。重ね重ねお礼を言った。お腹が落ち着くまでの間、Wi-Fiを使わせてもらって、スマホの画像のドライブへのバックアップをさせてもらった。
名残惜しかったが、扶余市外バスターミナルへ向かった。