デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 





昼の12時まで寝ていた。
会社の仲間に教えられた京都駅の地下の服屋に服を見に行ったが、店員になれなれしく話しかけられて興ざめした。
二時半にようやく本日始めての食事をした。胃が一気にもたれた。
店員が話しかけてこない服屋をいくつかまわり、2着で3000円のポロシャツを買った。
イノダコーヒーで職場でやっている試験の勉強をしようとするも、頭がボーッとしてやる気がおきず、カナレットの画集とクレジットカードの規約を何気なしに見て時間を過ごした。知識として何も得ないままの勉強だった。
帰ろうと思ったのになぜか四条に引き返し、ジュンク堂で立ち読みし寺町の電化製品店で節電電源タップを買った。
頭が重く感じ出し、家に帰ろうとした。地下鉄から降りたときの雲具合で、四条に引き返さなければよかったと後悔した。
自分の中では恐ろしい休日だった。無性に旅に出たい気がしている。

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会社で嫌なこと(とはいっても自分のミスから発生しているので仕方ないのだが)気分を切り替えるため大阪へ。
途中、阪急の車窓からの空模様を見て気分を切り替えねばと思った。久々に見る感じの太陽と雲の具合。デジカメを毎日持ち歩いてよかったと思った。
以前にも書いたが、私の好みの空模様は、雨上がりと、雄大な雲が流れているとき、そして雨の前の日の夕暮なのだ。昨日写したのは雨の前の日の夕暮れの典型だった。













おまけ。夜景ショットにチャレンジ。



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4月半ばだったが、ミズバショウの新聞の記事につられ、また「江戸の誘惑」展も見るために六甲と神戸に足を運んだ。
六甲高山植物園まで行くまでにケーブルカーに乗ったりしたが、ケーブルカーなんて何年も乗ってなかったので、とても懐かしい気がした。





とても味がありました






マクロモードで撮影



ショウジョバカマ



ショウジョバカマ

六甲高山植物園は季節的に当たり外れがあるようで、今回はミズバショウのみが目玉という感じだった。(ミズバショウの画像は次回登場)

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一ヶ月前の画像を紹介することの多いこのblogで、ひさびさにタイムリーなことを書いちゃいます。



テレビなどでも話題になっていることだが、違法駐車取締り業務の一部民間委託が始まり、今日はじめてその現場を目にした。ご覧の通りギロっと睨まれたが警察の人ではなかったようなので、何も言われなかった。
ご存知の通り、この民間委託には様々な議論がある。私が心配なのは人間は仕事にケチをつけられると感情のコントロールが働かないことが往々にしてあること。取り締まる側も仕事だし、仕事で一時駐車せざるを得ないときに取り締まりに遭う側も仕事をしているわけで、ましてやこれから蒸し暑くなってくる季節に互いに衝突したら悲惨なことになるのではないか…。ゲートボールでも殺人が起こってしまうのが人間だ。日常の糧である仕事となれば…。

町中では美化キャンペーンとして携帯用灰皿を配っていた。そのキャンペーンにたすきをかけて参加していたのが彼女(きっと本物の舞妓さん)で、暑い中がんばっておられた。



キャンペーンに参加したボランティアのおじさんたちは、もっぱら彼女と写真に写るのが最終目標だったようだ(笑

映画『ダ・ヴィンチ・コード』を観た。ネット上である程度予習していったらたのしめる映画だし、違う意味でもたのしめる映画だった…。私は過去に神話を扱った作品『ト○イ』について酷評してブラピファンに怒られたことがあったが、今回はそこまでじゃない。実際、作り方もうまいし、映像がとても美しく、今すぐにでもフランスやイギリスに行きたくなるように撮られている。
ただ、作品自体は「キリスト教のネタ映画」として観たほうがいい。ならきっと楽しめるだろう。

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昨年、トーマス・マンの『ヨゼフとその兄弟たち』を読み、今年の春に同じくマンの『ファウストゥス博士』を読んだのだが、よくよく考えればどうしてマンの作品を読もうと思ったのかといった動機をしばらく忘れていた。
映像詩のジャンルを拓いた映画監督にアンドレイ・タルコフスキーという人がいて、以前『タルコフスキー日記』という本を読んだことがあるのだが、その中で監督が何度か映画化したいと綴っている作品の中に、マンの『ヨゼフとその兄弟たち』と『ファウストゥス博士』があって、どんな作品なんだろうかと思っていた、それが今回の読書につながったのだ。
タルコフスキーはもう他界しているので、作品が監督の手によって映画化されることはない。
『ヨゼフとその兄弟たち』と『ファウストゥス博士』を読んでみて、やっぱり監督が映画化した作品を見たかったと思う。とくに『ヨゼフとその兄弟たち』はきっと大長編になっただろうなと想像しつつ、『ファウストゥス博士』では「あいつ(悪魔)」をどのように描くのだろうかと怖いもの見たさをはらませつつ。

ところで『ファウストゥス博士』自体の感想なのだが、、、難しかったけどおもしろかった。解説にもあったことだが、この作品には音楽芸術における「打開」がテーマになっていて、そのテーマは作品の骨子である悪魔と手を結ぶ主人公とその芸術作品を生み出す創造力、そしてドイツの中世の民衆本で現代のドイツ人の心にも深く?根ざす(文化といってもいい)「ファウストゥス博士」といった“ドイツ臭さ”が、密接に見えづらいが作品の根幹に絡み合って流れるように語られていて、よくこんなふうに書けるなぁと、驚愕した。そしてストーリー自体、古典を踏襲していることもあってか、とてもおもしろい。ファウストゥスというのが、どんな話なんかいな?といったことを知っていたら、よりたのしめるだろう。
あと、注目すべきはマンが作品のなかで、ナチスドイツが連合軍に追い詰められていくことにふれ、故国に対する哀歓と愛情・ドイツ精神の素晴らしさともろさを葛藤を隠すことなく「自伝」として綴っているところだ。作品のストーリーも大事だが、作者の苦悩もぜひ読んでいただきたい。そこには天才のマンじゃなく、人間のマンがいる。

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