加地伸行 著『儒教とは何か』(中公新書)読了。
個人的には加藤徹氏の『貝と羊の中国人』を読み、その断定口調の影響を自分の中で和らげるため、かつ、そもそもの日本人のものの考え方や中国人のものの考え方に共通する、東北アジア文化圏の「常識」の意識はどこからきているのかをより深く知るために手に取った。ちなみに東北アジア文化圏の「常識」の意識はどこからきているのかについては、友人がとても詳しくその友人との会話で、『儒教とは何か』を薦められたという経緯もある。
内容については私には敷居を高く感じてしまう記述もあったものの、やはり私も儒教文化圏の国の者ゆえ、非常によくわかったし、よくわかってしまうことが(まだまだ精神的には若造ゆえ)悔しくてならなかった。書かれている日本人が日常の行動や考え方の根拠としているもの、行動原理みたいなものが私にも大いに当てはまり、いくら外国旅行でカブレたところで、儒教文化圏で育っていることは否定しようが無い。本に対して、くそう、おもしろいじゃないか(笑)と読後即、内容に脱帽した。そして自分はまだまだ儒教文化圏の古典に明るくないことを思い知らされた。
また本を読んで、とっくの後の祭りだが、祖母の葬式の際、我が家の寺と「対峙」した時の自分の主張は、島田裕巳氏の『葬式は、要らない』の知識と自らのインドに行って自分なりに仏教について偏頗に突き詰めたことによる自惚れであったことを反省した。せっかくなので未練の上塗りをさせてもらえれば、祖母の葬式の前に『儒教とは何か』を読んで東北アジアの人々が持つ死への見方についていろいろな知識を深めておきたかった。そうすればもっと大人の対応ができたことだろう。
なにはともあれ、『儒教とは何か』が決定的なものを私にもたらしたわけではないが、おそらくこれで寺との関係をよりはっきりさせることができると思う。
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