デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



PC遠隔操作 「私はサイコパス」と片山被告 4人の誤認逮捕に「やったと思った」(産経新聞) - goo ニュース

正直、私は片山氏が無罪である可能性が残っていたことに「希望」を心に抱いているところがあったので、残念な気持ちである。
ただ、誤認逮捕され自供までさせられた人が実際に存在していること、ここまで事態がこじれさせた捜査の過程や証拠の開示の仕方、マス・コミへのリークとそれを報じたマス・コミにも大きな問題があったことは忘れてはならないと思う。
ちなみに片山氏の弁護人、佐藤弁護士の2014年05月20日の会見は動画で見れるが、そこで佐藤弁護士が1時間40分以上ある会見の後半に、公判開始からこれまでの顛末から得られる教訓を今後の刑事事件でどう生かすか触れている。もしご関心のある方は会見の模様をご覧になっていただきたく思う。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )














先日の雨上がりの日、登ってみたら多くのカラスが飛んできていた。一枚目の画像の数分前はもっと多かった。カラスたちはまるで会話しているかのようだった。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




加地伸行 著『儒教とは何か』(中公新書)読了。

個人的には加藤徹氏の『貝と羊の中国人』を読み、その断定口調の影響を自分の中で和らげるため、かつ、そもそもの日本人のものの考え方や中国人のものの考え方に共通する、東北アジア文化圏の「常識」の意識はどこからきているのかをより深く知るために手に取った。ちなみに東北アジア文化圏の「常識」の意識はどこからきているのかについては、友人がとても詳しくその友人との会話で、『儒教とは何か』を薦められたという経緯もある。
内容については私には敷居を高く感じてしまう記述もあったものの、やはり私も儒教文化圏の国の者ゆえ、非常によくわかったし、よくわかってしまうことが(まだまだ精神的には若造ゆえ)悔しくてならなかった。書かれている日本人が日常の行動や考え方の根拠としているもの、行動原理みたいなものが私にも大いに当てはまり、いくら外国旅行でカブレたところで、儒教文化圏で育っていることは否定しようが無い。本に対して、くそう、おもしろいじゃないか(笑)と読後即、内容に脱帽した。そして自分はまだまだ儒教文化圏の古典に明るくないことを思い知らされた。
また本を読んで、とっくの後の祭りだが、祖母の葬式の際、我が家の寺と「対峙」した時の自分の主張は、島田裕巳氏の『葬式は、要らない』の知識と自らのインドに行って自分なりに仏教について偏頗に突き詰めたことによる自惚れであったことを反省した。せっかくなので未練の上塗りをさせてもらえれば、祖母の葬式の前に『儒教とは何か』を読んで東北アジアの人々が持つ死への見方についていろいろな知識を深めておきたかった。そうすればもっと大人の対応ができたことだろう。
なにはともあれ、『儒教とは何か』が決定的なものを私にもたらしたわけではないが、おそらくこれで寺との関係をよりはっきりさせることができると思う。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




ファンに衝撃、住民驚き=ASKA容疑者逮捕で自宅前―任意同行時、ろれつ回らず(時事通信) - goo ニュース

なぜこのタイミング?と正直いぶかっている。昨日、PC遠隔操作ウイルス事件が新たな展開を見せたかもしれないニュースが流れたその翌日にこの「大御所歌手のインパクトあるニュース」が流れるのは、あまりにもタイミング良すぎる。
率直に言って、片山氏の事件のほうが警察や司法、ひいては国民にとってよっぽど重大なことのはずだ。このタイミングで「大御所歌手のインパクトあるニュース」が流れるということは、ひょっとすると余程世間の関心を片山氏の事件に向けさせたくないのかもしれない。もし世間の関心をコントロールする意図がある衝撃ニュースならば、もう使い古された手法であることを、片山氏の事件の関係者および「広報」はいいかげん学ぶべきだ。
私のこの邪推が間違いであることを心の底から祈っている。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




【速報】PC遠隔操作ウイルス事件、"真犯人からのメール"に片山被告がコメント

もし昨年のこの件で書き込みをした人物が、今回のメールの作成・送信者と同一人物で、過去の誤認逮捕を引き起こした"真犯人"であるかもしれないなら、少なくともPC遠隔操作ウイルス事件の捜査を担当した人たち以外の警察関係者は全力で今回の件を捜査すべきである。
裁判の経緯を追っている詳しい人いわく、ひょっとすると片山氏の有罪と刑が確定してから、"真犯人"が名乗り出る可能性も残っているゆえ、捜査関係者と司法はより慎重に色眼鏡を介することなく、ひょっとすると自分たちの権威を失墜させるかもしれないことを恐れずに、今回のメールの件も含めて勇気を持って真実に一歩一歩近づいてほしいものだ。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




塩野七生著『皇帝フリードリッヒ二世の生涯』(新潮社)の上巻は先月には読み終えていた。
フリードリッヒ二世はラテン名でフェデリコ二世とも呼ばれる。フリードリッヒはいかにもドイツを思わせる名前だけれども、彼の前半生は今のイタリア半島やシチリアととても縁が深いので、フェデリコ二世という呼び方ももっと普及しても良いように思う。
フリードリッヒ二世についてはここ十年ほどでも十字軍関連のTV番組で採り上げられたり、同じくTVで世界遺産となっている城が紹介されたり、いくつか彼の伝記も本で出ていたりしているので、私も全く知らないわけではなかった。
なので、私の興味はおおよそ知っている歴史の人物について塩野氏がどのように書くのかに移った。個人的にはフリードリッヒが教皇と対峙するにあたり悪賢さを発揮する記述がとても印象に残っている。

下巻は今年中に読了できればと思う。

  ***

下巻の感想はこちら

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





ここ数週間同じような画像ばかり続いたが、今回で一旦終わり(笑)。
このような仮説を立ててみたこともあって、まだ数冊であるが大文字山に関する本を探し軽く繰ってみた。しかし、幻の滝の歴史に関する記述には出会えていない。





やっぱり人為的な感じがする









これは明らかに人の手が(笑)







更なる勝手な想像として、樹木の回りに見られる積み石は、今に残る奇岩で工事をしようとした際、樹木が倒れてきそうになっていたのを補強したのが目的?などと思った。しかし冷静に考えれば、たぶん奇岩が現れた?時期と、樹木の土台を支えるかのように石が積まれた時期は、異なっているだろう。後者は最近積まれたように感じた。


幻の滝を後にする


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





こちらのつづき。「人為的」に感じられる部分を探しにまたやってきた。
















コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




アルヴェス、バナナ投げた男の情状酌量求める(AFP)

このニュース自体はもう忘れられた感がある。
しかし、私個人は以前、このような記事を書いて以降、日本や中国のこと、儒教に関するおもしろい本を読む機会にめぐまれていることもあって、欧州サッカーで時々起こるアルヴェスが巻き込まれたような件に対する報じ方やその処罰、またそもそものこういった件の起こり方の傾向についての西洋と東洋の違いをどうしても感じてしまう。
それにしても差別を受けた当の本人が、その影響力を差別した人の更生のチャンスに生かすというのは、いい大人でもなかなかできることじゃない。だからこそニュースになるのかもしれないが。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




ちょっとした新入生歓迎会らしかった



なんか絵になるんだな




昨日は日曜日だということもあって、平日の夜よりは当然のことながら人の多かった大文字山火床であった。
夕方に来れた日に時々お見かけしていた、剃髪で首から法螺貝をかけるスタイルで山伏の修行をしている若いお坊さんと、団体客がいてにぎやかですねと共感するところもあって初めて話した。
山道を歩きながら法螺貝をコンスタントに吹くという修行をしているとのことだが、昨日は(運がなかったらしく)山道の途中で「騒がしいです!」と登山客に「苦情」を言われ、それから吹くのを遠慮して火床まで登ってきたという。音に配慮するのはストレスが溜まるだろう。私もギターを触る者ゆえ、気持ちを察することはできた。
お坊さんと一緒に下山した。「苦情」を言う人が通らなさげ、かつ分かりやすいルートを紹介したら、京都に来てまだ長くなく山も登り始めて間もないこともあり、存じませんでしたとのことだった。これからひょっとすると山のいろいろなところで法螺貝の音が聞けるかもしれないと思うと、ちょっと楽しみである。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


« 前ページ 次ページ »