デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



魯迅の第一創作集は『吶喊(とっかん)』と呼ばれていて、その作品群の中に有名な『故郷』などがあったりするのだが、魯迅の第二創作集に『彷徨』という作品群があってその内容についてはあまり知られていない。
今回、『彷徨』に収録されている『祝福』『酒楼にて』を読んでみたのだが、もし魯迅作品に関心があって『故郷』以降の魯迅の筆の冴えや円熟味を感じ取ろうとするならば、『祝福』『酒楼にて』の二品は読んだほうがよいように思った。
とくに『祝福』は最近までの中国、いや地方によっては現代の中国でも同じような現象が見られるのではないかと感じた。

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サオ・チン・チャー(大ブランコ)

バムルン・ムアン通りを東に歩いていくと、サオ・チン・チャーという巨大な鳥居みたいなものが見えてくる。サオ・チン・チャーのすぐ傍にワット・スタットという王室寺院がある。


高さは21mになるという



昔はこのブランコでヒンドゥー教の儀式が行われて
いたそうだが、あまりにも高く揺らすためにブランコ
に乗った司祭が墜死する事故が起こっていたという。


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バムルン・ムアン通りは昔の雰囲気を残す仏具屋街の通りとガイドブックにあったので、行ってみた。


店の中はあらゆる仏像や仏神の像や
アクセサリーで埋め尽くされている



けっこう車が通るのであまり
気ままにふらふら散策できない






今からすると、数珠の一つぐらい
買って帰国すればよかったと思う。


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このバス停の広告にはホンダのバイクが

ここでバムルン・ムアン通りへ行けるバスを待っていたが、ぜんぜん来ないので歩いていくことにした。








新しい建物と昔ながらの建物、今風の
自動車と昔ながらの乗り物が混在する

Fuang Nakhon通りだったように思うが、日本でも有名なコンビニでコーラを買ったあと、郵便局に立ち寄り切手を買おうとしたら、窓口でタイ語で何かいわれて買えなかった。翌日分かったのだが、順番の札(番号札)を取っていなかったようで、直接窓口に訊いたところで相手にしてくれなかったようであった。ワット・プラケオで多めに勝っておけばよかったと後悔したが、明日にもチャンスはあるだろうと思って、バムルン・ムアン通りへ歩を進めた。

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なんだかんだいって、旅行中のトラブル発生率がやたら多い国というのはあるように思う。スリに遭いそうになったり、高額な商品を買わされたり(実際の商品価値は買った額の半分とか十分の一など)、一緒にご飯を食ったら飲み物に睡眠薬を入れられていて身包みはがされたり、頼んでもいない物を出されて「サービス」と言いながらあとで高額請求されたり、高価生地の服を安く仕立ててもらう予定で金を払ったら帰国後に届いた品はボロ寸前、などといったガイドブックに載っているような事例だ。
私個人が「あぁ、こいつらガイドブックの事例だな」というのに遭遇したのは、ワット・ポーに面するタイ・ワン通りとサナーム・チャイ通りの角でたむろしているトゥクトゥクの運転手らの口車のパターンである。事前にガイドブックを読んでいたので騙そうとしてるな、というのはすぐ分かるので相手にしなかったが、彼らの手口(外国旅行ではよくある)を書いておきたい。
まず彼らは親しげに「出身国はどこ?」とか「この国は何度目だ?」などと訊ねて声をかけてくる。楽しげな雰囲気を演出したら新聞を広げて見せて、「いまこの町ではこういうデモ(もしくは暴徒)があって彼らは警官隊と衝突し、観光客も巻き込まれ非常に危険なのだが、君は知ってたか?」とデモ隊が写っている現地の新聞記事を指さす。
こちらが「知らない」といえば、「今、君が歩いて行こうとしているのはデモ隊のたむろしている方向だからとても危険だ。行くのはおすすめしない」と、あたかも心配してやっているぞと言わんばかりのことを言い出す。
こちらが「本当に?」と懐疑的になると「本当だ。この町を観光しないでアムパワー(バンコク郊外の水の都といわれている町)はどうだ? 1000バーツで行くよ」となぜか水の都の古ぼけた写真を取り出してきて勧めてくる。
こちらが「興味ないし行かない」と返事して、さっさと道路を歩いて渡りはじめると、「ベリー・デンジャー!No!」と大声で言って引き止めようとするが、当然道路を渡った先に「危険なデモ隊」などいるはずがない。
こういった勧誘で騙そうとするパターンは決して珍しくない。旅のトラブルのwebサイトやガイドブックに目を通せば事例として載っているから心配ないといえばそうなのだが、まじめで他人の話を鵜呑みにしてしまう御人好しの人が旅行先での不安からついつい騙されることがあるのもまた事実なのである。
私を騙そうとしてきたトゥクトゥク運転手のおじさんは「危険なデモ隊」という不安を煽ってきたが、国によって、また町によっては「新聞記事にあるとおり列車事故が起こって鉄道は使えない(その記事は何年も前のものだったりする)」、「列車に乗る前にチケットにスタンプを捺さねばならないが、それは別の建物の窓口」、「駅のチケットカウンターのコンピュータシステムがダウンして、チケットは別の臨時販売所で売られている」などと、列車やバスに乗ろうとしていたりチケットを買いたいと思っている旅行者の心にダメージを与える、あたかも真に迫ったような嘘をかまして、法外な値段でチケットを買わそうとするパターンも多い。ようするに、

旅行者の心にダメージを与える
  → (騙す奴が旅行者に)救いを示す
    → 「救われた」旅行者は法外な値段など二の次

というメカニズムなのだ。しかし、こんな風に単純化してしまうと不安産業に金を払ったり異常なまでに宗教にはまったりする過程と何ら変わらないなぁと思ってしまうのは極端か。


道路を渡った先のサラーンローム公園。ここで少し休憩した。ここに本当に
「危険なデモ隊」がいたら、それはそれでおっかなびっくりだろう(笑)



少年たち。学校帰りのようだった。


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人と比べたら王様の仏塔の大きさがよく分かる









猫が気持ちよさそうに毛づくろいしていた



ワット・ポーにはいろいろな国旗が並んでいた


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いつも『源氏物語』を読みに行っているカフェで、50歳半ば以上には見えるおじさんとおばさんがなんらかのもつれ?のせいで別れ話を始めだし、怒鳴りあいに発展するという場面をすぐ近くで耳にした。奇しくも、私と、その50歳半ば以上には見えるおじさんとおばさんが来店するタイミングが同じで、おじさんがどういった交通手段で来店したか、目にしていた。
別れ話からの喧嘩が始まる前に『源氏物語』の「御法」を読み終えていたので、読書気分が台無しにはならなかったのが救いだったのであるが、決して広くない店内では男女の修羅場の喧嘩の内容はよく聞こえてくるので、口癖や口調や内容まで聞きたくもないのに嫌でも耳に入ってくるのであった。
他人事だから放って置くことに越したことはないし、実際関わらないのだが、ここ数ヶ月『源氏物語』を読んでいると、おじさんの方の口癖や口調や言い分が、「話し合い」と銘打っておきながら相手の話を一切聞いていないことが分かるような、また自分本位・自分優位に常に立とうとして相手の言うことをさえぎるように延々としゃべり続けるまさにお話にならないタイプであることが、周囲の人にも感じられるようで、過去にどんな間違いがあったにせよ50代のいい男ならもっと光源氏みたいにどーんと構えて相手の不満を受け止めて、堂々とせんかい!と思えてしまった。(男であろうが女であろうが、そういった店内にたれ流れる「話し合い」の場では、いつも以上に自分本位になりがちなのはわかるんだが…)
もちろん店員も他の客も、その「話し合い」に辟易し、どん引きであった。こういった修羅場に、年に何度か遭遇するのであるが、今回の場合、来店時におじさんの方が乗っていたバイクを私が退店時に見たとき、なんだかより一層おじさんがどういった性格で気心が知れた頃合にどういった「本性」が顕われてくるか分かったような気がした。一言でいえば自分のバイクがパートナーや周囲の人間よりも大事であって、その趣味が高じて結果的に周囲との金銭トラブルが生じようが身近な人の気持ちを傷つけようが構わない、それでいて自分の行動を棚に上げて周囲との人間関係を自分が思うとおりにつなぎとめておきたいエゴがむき出しになったことで、今回のような他の客や店員が耳を覆わんばかりの「話し合い」になったのだろうと。
そういえば、「話し合い」のおじさんとおばさん、最近よく来店していたなぁ。思い起こせば前兆は確かにあったように思う。こちらがいくら読書に集中していたとはいえ、嫌でも聞こえてくる「話し合い」の内容を自分なりに吟味して物語を引用してみたくなるほど、店の端のほうで仲介人らしき人に対して自分の主張ばかりを押し付けているような内容がこちらにも聞こえてきていた。今日、怒鳴り合いにまで発展したわけだから明日はもっとひどく?と一瞬思ったが、たぶん明日からは来店しないのではないだろうかという希望的観測が私の中で勝った。

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大晦日に供えられた果物類いくつか
が野生動物に食われたようであった

三が日の三日目が日曜でまた気温が上がったこともあり、けっこう人が登ってきていた。


団体の登山者の中には、このCMを意識してカメラに写る人もいて
やっぱり話題の選手とテレビのCMの力ってすごいなと思わされた



いつもよく顔を合わす常連の方々とも新年の挨拶を
交わすことができた。普段どおりが何よりだなと思った。


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糺の森に露店が。年に数度の光景?

新年早々、頼まれたことで無償で良かれと思ってしたことが悪い結果になったり、その他理不尽なことが続いたので、昼間の人手よりは落ち着いた雰囲気になっているであろう日が沈んでからの下鴨神社への初詣。この神社へこんな時間帯に詣でたのは何年ぶりだろうか…。












斎という漢字や天皇陛下と宮家の御内帑金御下賜(ごないどきんごかし)の高札(こうさつ)、蹴鞠のお知らせを見て、あぁやっぱり『源氏物語』の世界って今もどこかしらで脈々と繋がっているというか、存在しているのを感じた気になり、なぜだか元日からのついていなかった出来事など気にならなくなった。『源氏物語』に意識が向いて気分転換できたのかもしれない。





今年の干支、申



本殿よりも先に厄除けのほうに詣でた



バイトの巫女さんも大忙し



晴れ着の人も



日が沈んでからの参詣は人混みに
イラつかずに済んだのでよかった。


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