デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



レプリカと写真も撮れる

特別展「始皇帝と大兵馬俑」を見に、国立国際美術館へ行ってきた。
本物の兵馬俑を見たのは今回が初めてだったが、紀元前3世紀にしてなんたるリアリズムだろうと驚嘆する他なかった。
兵馬俑のほかに印象に残ったものとして、鍍金蒜頭壷(ときんきんとうこ)と両詔権(りょうしょうけん)、墓誌、そして取水口・L字形水道管・水道管・五角形水道管などがあった。鍍金蒜頭壷は壷の口がニンニクのような形になっている壷なのだが、九州から出土する弥生時代の袋状口縁壷が鍍金蒜頭壷を模したものであるという説明を読むと大陸からの影響に思いを馳せるのに十分な展示品だった。
両詔権というのは始皇帝と二世皇帝が度量衡の詔を発したことを示すものだ。度量衡や文字・貨幣の統一というのは地味なようだけど絶大な権力でもってしか手をつけることができない改革だし、文明をはかる上では決して欠かすことのできない要素である。
墓誌は始皇帝陵の造営の労役に従事しそこで死亡した人の墓で見つかったもので、実際に工事をしていた人がいたという生々しさを感じることができた。始皇帝の時代って、工事に従事した人の死などなんとも思わないような冷酷無比な時代というイメージがもたれているかもしれないが、そういった先入観に対して風穴を開けてくれるような感じがした。
そして、兵馬俑に勝るとも劣らないぐらい個人的に印象に残ったのは、咸陽宮殿址から出土した取水口・L字形水道管・水道管・五角形水道管であった。咸陽宮殿で用いられていた単なる水道施設の一部といってしまえばそれまでだが、ローマの水道橋跡や浴場跡のことを思うと、古代の土木の工事に用いられた現物を見れるというのはなかなかない機会だと思うのだ。よくぞ日本に持ってきてくれましたと思いつつ、まじまじと見つめた。
非情に充実した展だった。以前、紀元前15世紀の古代エジプトから古代ギリシア、古代ローマ時代の紀元後3世紀ぐらいの間が、文明と人類の知性と肉体的能力のトータルの面で最高点に達した時期、といったようなことを書いたが、東洋では秦から三国の時代がある意味古代文明の最高点ではないかと、展を見ていて勝手ながら思った。(おそらく多くのつっこみがはいるだろうが(笑))

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先日のものから数ヶ月前のものまで、山で撮った
ものの溜め込んでいた画像をこの機会にアップ。




























どの画像も特定のタイトルをつけるには微妙なものだったかも。

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11月でも陽光はきつい






こういう角度からだとローマの
古代遺跡のようにも見えるかも。



この崩れた部分が寺院のどの部分なのかわからなかった。
解説の模型と照らし合わせればよかったと少し思っている。






チューディーをまた見上げる









角度を変えて見てみてもどういった
建物だったのか想像するにも難しい


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ビールをやめて口あたりだけがビールみたいなノン・アルコール飲料にして1ヶ月以上経った
不思議なもので、いくら飲んでも酔わないノン・アルコール飲料でも物足りなさを感じなくなるものである。もう一ヶ月、ノン・アルコール飲料でいこうと決めた。

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お供え用の器がある



せっかくなので中に入らしてもらった



昔はここからチューディーの中に入れたのだろうか



礼拝の場になっているようだ





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古代ギリシャ墓地に処刑とみられる人骨80体、反乱未遂か(ロイター)
柳瀬尚紀さん死去=英文学者、ジョイスなど翻訳(時事通信)
台湾総統、先住民族に謝罪=過去400年の差別行為(時事通信)

触れたい話題が一気に三つも報じられた日だ。
一番注目したのはなんだかんだで台湾からのニュースであった。ここ最近、なんどか台湾に関する本について書いているし、また白先勇の作品を読み始めたこともあって、どうしてもこのニュースに目が行く。
過去400年の差別行為はオランダ、清朝、日本、内省人、外省人、いろいろな国と人々の行為が複雑に絡み合っている。
日本統治時代とこのニュース関連でいえば、私は最近その時代に台湾を舞台に書かれた文学作品がいくつかあることを知った。特に佐藤春夫と台湾について知っているという人は少なくないだろうし、佐藤春夫作品を読むことで差別行為についてより詳しく知れるという意見もあるだろう。
それにしても、私が目を見張るのは、過去400年の差別行為を台湾政府が謝罪するまでの早さである。こんな言い方は無粋で不遜に映るかもしれないが、戒厳令が解除されて30年も経っていないのに、この台湾政府のメッセージが流れることに私は驚くのである。台湾がどの国にも例を見ないかたちで発展を遂げてきただけでなく、戒厳令解除後のある種の成熟のスピードが速いのも他に例を見ないように思う。
もちろん、政治的な謝罪と社会の現実における差別意識・情感および格差の撤廃の実現性とは異なる。しかし世界には第二次大戦後でさえも独裁体制の国家でないにもかかわらず、先住民への政治的な謝罪さえ二の足を踏み、あげく先住民に対する迫害の歴史を無かったことにしようとする国があったし、また現実にあるのである。それを思うと今回の台湾総統の謝罪は成熟という概念について考えさせられるきっかけになるように思う。



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塩野七生著『ギリシア人の物語Ⅰ』(新潮社)読了。

『ギリシア人の物語Ⅰ』の後半は主に第二次ペルシア戦役をめぐるテミストクレスとスパルタのパウサニアスの話になるのだが、いろいろ混ざった「コリオレイナス」ですか?といわんばかりの内容のように感じた(笑)。ローマ建国の時代の話を典拠にして書かれたシェイクスピアの「コリオレイナス」の内容とは歴史的背景や舞台もあえていえば人物像も異なっているので同一視はできないことは分かってはいれど、似た話は古今東西あるのだろう、というか「コリオレイナス」が似た話になってしまったというべきか。

「この世を救ってしまえば救世主に用は無い」というわけではなかろうが、テミストクレスとパウサニアスの絶頂期から下降をたどる記述はやるせない気持ちになった。しかし彼らの次の世代の歴史家の書いた内容が、2300年後の世界の研究者たちによって検証され、特にパウサニアスにとって汚名返上と相成ったのは個人的にホッとした気持ちになる。
テミストクレスについてはまた書きたいことができたので、次回に。

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ペイシストラトスの肖像(ヴァチカン博物館)


塩野七生著『ギリシア人の物語Ⅰ』(新潮社)で“再会”できたもの第二弾。

一人あたりGDPが4000~6000ドルのレベルに達すると、多くの社会は必然的に民主化へと向かうだったか、新興国では中間層の割合が低所得層人口の2倍以上の水準に達すると民主化への動きが活発になってくるだったか、そういった個人所得と国の体制の変化の兆しみたいな法則を中心にすえて、世界各国の「民主化を求める革命」を報じるニュースを目にすることは、今となっては珍しくない。また国や都市の産業を発展させ経済的に豊かにした指導者については、日本でも戦国時代以降、枚挙に暇が無い。
そんなこともあってか、『ギリシア人の物語Ⅰ』で描かれるアテネのペイシストラトスの改革による功績は目新しく映るわけではない。しかし、経済的に豊かにならないと手をつけることのできない体制の変化や社会改革というものはあるのは分かるし、その先例が紀元前546年のアテネで現代の人間にも分かる形で存在していることには、やはり目を見張るものがあった。

町全体が博物館になっているようなローマ市内にヴァチカン市国があるが、そのヴァチカン博物館は見たいものが多すぎて困る博物館である。
上のペイシストラトスの胸像に出会ったのはヴァチカン博物館の「ミューズの間」で、きっと古代ギリシア好きにはたまらないセクションなのだが、実はというかいつもどおり、当時の私はこの胸像が誰なのか分からないまま画像に収めた。その頃はギリシアの歴史家や作家・詩人、数学者・天文学者、発明家、古代ローマの政治家や軍人、そして神々の像などを追い求めていたが、ギリシア語やラテン語が読めるわけでなし、とにかくソクラテスやプラトン、アリストテレス、エピクロスやルクレティウス肖像…etc、誰の肖像でもいい、あとで有名な哲学者や思想家であると判かったらいいな、という程度の気持ちで部屋の隅のほうではあるが誇らしげに展示されている上の像に見入っていた。
以前の記事にて

現地にいた頃、この作品についての思い入れは、そこまで強かったわけじゃない。予習して得た知識が人工的な音や記号の域を出ないままで作品を目にしたのは相変わらずであったが、見ておいたものが後々に新たな印象とともに甦える体験も決して悪くないものである。

と書いたが、当時はペイシストラトスはおろか古代ギリシアについても「予習して得た知識」すら持ち合わせていなかった。あれから何年も経って「下手な鉄砲数撃ちゃ当たってた」体験を得るのは今回が初めてではないし、またしても同じようなことを書いてしまうなぁと思いつつも、知識を得る前に見る目を持つ者は見よというのは酷な話であるし、今になって分かることが目の前に立ち現れることはほろ苦くも歓びであると改めて思うのである。

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