12月16日(日)、京都で開かれた書論研究会に行ってきました。
14:00に始まる前に少し時間があったので、10月に行って気に入った宇治の万福寺にもう一度行きました。
拝観のあと、食事をして帰る途中に、塔頭(たっちゅう)の一つである宝蔵院に立ち寄りました。塔頭とは次のサイトに説明があります。
http://kotobank.jp/word/%E5%A1%94%E9%A0%AD
ここのことは全然知らなかったのですが、木庵の門下の鉄眼(てつげん・1630~82)が開いた寺院です。4年ほど前に篠崎小竹のことを調べに大阪に行ったときに、「鉄眼寺」の名で有名な瑞龍寺に立ち寄り、ご住職と話をしたことがあったので、名前を思い出して寄ってみました。詳しくは下のサイトをご覧ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%89%84%E7%9C%BC%E9%81%93%E5%85%89
宝蔵院には、鉄眼が13年の歳月をかけて完成した大蔵経の約6万枚の版木が保管されています。これは寺院の裏手の倉庫一杯に積み上げられていますが、圧倒される量です。ここでは今でもこの版木を刷って印刷が続けられていました。
この版木一枚で刷った形式が現在の原稿用紙および日本の明朝体活字の原型だと知って驚きました。数えてみたら本当に縦20文字、左右の枠に10行ずつあって、原稿用紙の形式でした。活字も、美しい明朝体です。
これが日本の印刷興隆、そしてメディアのスタートだそうです。
江戸時代の初期に明の文字文化が、長崎と宇治の2か所の万福寺を通して導入されたことは、書道のあり方とも大きくかかわってきます。ちょっと感動しました。住谷瓜頂住職が丁寧に説明してくださいました。ありがとうございました。