ぱたぱた仙鳩ブログ

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庚午事変 追悼式と講演会

2015年05月04日 | 日記

5月3日(日)朝から、淡路島の洲本市に行きました。「益習館の集い」のメンバーの方がわざわざ車で迎えに来てくれました。最初に伺ったのが、洲本市の市役所の近くにある「国瑞彦護国神社」です。

ここは、明治3年(1870)5月13日に起きた庚午事変の最も激戦の場所に、当時の藩主である蜂須賀茂韶によって建てられた神社です。慰霊のための神社なので、門が北向きです。この事件では、未明に徳島藩兵約100余名が大砲4門で洲本に行き、突然攻撃して、淡路の家が14軒全焼、即死15名、自殺2名、重軽傷者20名となりました。廃藩置県をめぐる混乱の中で各地で起きた内戦の一つです。それまで藩で協力して栄えていた徳島藩でしたが、これにより、淡路と徳島の間には心の溝ができて、結局、淡路島は兵庫県に移管されることになり現在に至るわけです。神社の中には、後に茂韶によって、洲本城の玄関がそのまま移されて迎賓館として使われていた「金天閣」という立派な遺物も、残されていました。門の造りがあまりにも立派で驚きましたが、江戸時代にはお殿様しか通れない門だったそうです。

この後、神社の社務所で、事件の犠牲者を慰霊する儀式が行われ、私も参列して玉串を捧げさせていただきました。最後に「益州館の集い」の代表、淡路市の副市長さん、そして徳島から「蜂須賀桜と武家屋敷の会」の代表がそれぞれの立場でご挨拶をされました。事件から145年が経ち、蜂須賀桜を洲本の神社に植えることで、恩讐を超えて再び徳島と淡路が手を取りあうべき時が来ているのだと互いに確認されました。たいへん感動的なお話でした。

これに引き続き、神社の神域内に蜂須賀桜の苗が2本植えられているところで、代表者による植樹の儀式が行われました。

素晴らしいプログラムで、企画力の高さを感じました。淡路の皆さんは頭の良い方が多いと思います。

午後には、「益習館とゆかりの学者たち」と題する私の講演会がありました。これは開始1時間前に準備をしているときの状況です。既に来られている方がいて、熱心さに驚きました。開始時には会場が人で埋まり、約100名の観衆の前で、パワーポイントと資料を使って、1時間半の熱弁をふるいました。終わった後も鋭い質問がいくつか出されました。昨年11月に行なった話を少し整理してさらに少し情報を加えましたが、聴衆の方の関心度が高く、熱心に聴いて下さったので、話し甲斐がありました。終わった後はシャツの襟が汗でびしょびしょに濡れていましたので、自分でも驚きました。

終了後は例によって、関係者の皆さんと慰労会に出させていただき、またいろいろな話ができました。帰りは洲本から徳島まで車で送って頂きましたが、既に深夜でした。忙しい1日でしたが、多くの方とお会いでき、良い場面にも立ち会えて、充実した時間でした。