3月15日(木)、気候が良くなって散歩をすると体調も良いので、今日も散歩に行きました。ここは、平安時代に菅原道真が半年ほど滞在したという伝説が残る場所です。現在は薬師寺という名ですが、昔は「菅原寺」と呼ばれていました。ここは真言宗のお寺です。最近、ここに弘法大師の遍路修行像が建ちました。42歳の時に四国遍路のコース決めをした時の像かと思います。四国にはあちらこちらにこの像が建てられています。托鉢用の鉢に大きなメロンが奉納されていました。
ここの手水鉢は自然石を彫りこんで作った美しいものです。龍の口から水が出ています。
隣には天神社があります。江戸時代には、このように寺院と神社が隣接して置かれ、寺の住職が神社の管理もしていた場所が多いです。「神宮寺」と呼ばれる寺院は殆どがこの形式です。この神社には後に、千本の松が植えられたそうです。
神社の本殿の屋根には、菅原氏の紋章、梅のマークが付けられていました。その下には松の飾りがあります。
蜂須賀桜がここにも咲いています。ヤマザクラの系統を継いでいるので、花と共に葉も出始めます。
椿も咲き始めていました。
菅原道真が京都から大宰府に左遷される時、船で移動する途中に嵐にあって、ここまで流され半年ほど滞在中に、ここに学校を建てて地域住民に勉強を教えたという伝説があります。
実際の史実にはそのような記録は残っていないので、そこに滞在したのは道真ではなく、彼の一族か、家臣などの関係者だったと思われます。しかし、平安時代にここに学問の種が蒔かれたことは確かのようで、江戸時代になるとこの神社に武士も集まって定期的に連歌会などが行われ、文化の殿堂となっていました。さらに明治維新で学制が敷かれたときに、この境内に小学校が建てられたいうことです。現在はこの神社の南側に「千松小学校」が建てられています。
学生時代に日本史で学んだことは、身近な生活の中で、思わぬ形で関係してくるものです。