8月19日(金)です。18日に長野から徳島に移動し、本日は休みを取っています。実家で片付けをしている際に、父親が没間近に使っていた珈琲カップを弟が出してくれました。没直前には2番目の弟が面倒を見てくれていたのですが、私は死に目には会えませんでした。5年ほど前に、八寸先生のご指導で作った藍色の珈琲カップを父の日のプレゼントで贈っておきました。その後の2019年秋に実家が水害で床上浸水に遭い、そのカップも混乱の中で処分されたと思い込んでんでいたのですが、その災害を乗り越えて、父がそれを使い続けていたことに驚き、また嬉しく思いました。
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多分、今まで自分で作った珈琲カップの中では最も上手くできた作品だったので父親に贈ったのですが、大切に使っていてくれたことに嬉しくなりました。3月末に亡くなり、死に目には会えなかったのですが、このような道具を通じて父とつながった気がした瞬間でした。人の気持ちというのはこのような物一つでもつながっていくのだなあ、と感慨にふけりました。これも一種の芸術作品ですが、上手・下手を超越して人の気持ちを動かしていくのだと思います。ここにこそ芸術の価値があるのでしょう。このカップは、母親に時々使ってもらえるよう、弟に頼んできました。
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