山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

知識?語感?時代?

2016-03-04 07:36:04 | 日記
前記事に引き続きよくわからないこと。

つまり、50代のオバサンなのに知らないことがすごく多くて、
20代や30代の人のほうが、ちゃんと知っていることが多々ある。

だから、若い人は私なんかよりすごく知識があるんだと思っている。

それで、同等に話していると、なんか、あれっ?と思うことがある。

書類なんかもそうで、
私の知らないことをきちんと書いている。論じている。説明している。

ところが、この言葉、こういう使い方するか?と思ったりする。

若者が日本語を間違っていることも多々あるが、
よくわからないことも多い。

たとえば、

「要するに」と普通言うところを「要すれば」と書いてある。

「要すれば」とは、昔は「必要であるならば」という意味だったと思うが、今では「要約すれば」という意味で、
「要するに」と同じ使い方をしている。

文章の校正をしていて、この「要すれば」を「要するに」に変更する権限はない。

個人的な語感の違いということになる。

また、正式な書類に「百歩譲って~~としても、」とか、書くかな?と思う。

こちらがかなり譲歩して検討しても、やはり納得できません、というような内容の正式な書類である。

「百歩譲る」とは、そうとう大げさな表現だと思う。

こっちが、あなたのことを考えてこんなに譲歩してみても、やはりあなたの言うことは間違っているのです

つまり、相手が完全に大間違いですよ、というようなニュアンスになるのではなかろうか、

百歩譲っても、アンタの意見は受け入れられないんだよ、ば~か みたいな・・・

しかし、現在、若者の語感では、「百歩譲っても」が普通であって、一歩や三歩や五歩や十歩では、まるで譲ったことにはならないそうだ。

なんかわからないなあ~~





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