子供の頃のことを思い出すと、そういえば、私が経験した習い事と言えるものは「ピアノ」と「そろばん」だけだった。
「そろばん」というのは、読み書き計算という生活必需技術みたいなもので、趣味とは言えないので、やはり「ピアノ」だけが習い事だったと言えるかもしれない。
今では、小さいころからテニス・サッカー・卓球・空手・水泳などのスポーツを習う人もいるし、バレエ・新体操・フィギュアスケート・日本舞踊や絵画などを習う人も多い。昔も居たのかな?
昭和40年代頃の田舎では、現代のような習い事をしている人はほとんどなく、ピアノ以外にはせいぜい習字程度だったと思う。習字を習っている子はさすがに字が上手だった。私は昔も今もへたくそ。
唯一、ピアノというものを習えたのは、それでも幸運だったのかもしれない。
しかし、今思うに、すべてが姉のために用意されたものだから、楽譜とて自分用に買ったものは1つも無かったと思う。
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ユーチューバーのピアニスト、フォルテ君が、グッズを作ったそうで、Tシャツと、ピアノを習いに行くときの手提げバッグを販売するらしい。
それを見ていて思いだしたんだけど、私はピアノの先生のところに通うのに、どんな入れ物に楽譜を入れて行ったんだっけ???
いや、全く思いだせない。
そろばんを習ってたときのことは思いだす。
最初に買ってもらったピンクのカバン。そろばんを差し込むと飛び出るので、そこの部分はファスナーを開けていた。
それは、横長でそろばんを横に挿していた。
その後、そろばん塾で黄色いおそろいのカバンが配布されたので、それを使っていた。それは、縦型でファスナーなどはなく、そろばんを縦に入れていた。
ピアノについての記憶は・・・
高校の時、電車でピアノ教室に通っていたときは、必ず帰りに教室のそばの大きなスーパーによって、グリコのセシルチョコレートと明治ブルガリアヨーグルトを買って帰った。
その頃は、髪の毛が長く、高校へはおさげの三つ編みにしていったが、土曜日だけはピアノに行くので高校に行くときも三つ編みにしなかった。
何でだ? 今になってみると変な習慣。
いったい、どんなものに楽譜を入れて行ったんだろう???本当に何も思いだせない。
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先週実家に帰ったときに、実家の母にどういう経緯でピアノを習い始めたのか、どうやって4人の先生を見つけたのか聞いてみたのだが、何も覚えていないそうだ。
それに、私は姉に比べると才能がまるでなさそうだったと母がまた言うので、ムカついた。
当時、ピアノをやめろやめろと言われ続けていたことを話すと、その当時の月謝が6000円から7000円に上がり、家計を圧迫していたので、母は切にやめてもらいたかったそうだ。
40年以上も前に、月謝7000円は確かに高い。
その頃、大人になったら月に1万円ずつ返すから続けさせろと親に言いながら続けていたのだが、結局ピアノの月謝は1円たりとも親に返していない。
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本物のピアノを弾きたいなと、このごろ思う。
特に実家に帰った時はヒマだから、昔のように実家で弾きたい。
ピアノは重くて2階に上げるのは大変である。(運送屋が上げるけどね)
ピアノは値段も高くて、昔も今も、私の力量では買う経済力もない。
ピアノはうるさいから、昔のように住宅が密集していない頃なら良いけど、今だと近所から苦情がきそうだ。
実家の壁には防音の資材が入っているけど、窓は普通のサッシなので音が漏れる。
グランドピアノはどうやって出し入れしたのかと思ったら、足をはずして窓から出し入れしたそうだ。
(入れるときは最初から外れ状態で、トラックで運んできたってことか。)
ピアノっていうシロモノは、結局私にはもう縁のないものなのだなあ。
そもそも昔から、親や姉の用意したものに寄生していたにすぎないのだ。
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私は、最近、電気屋に行って電子ピアノを弾いた。
ヨドバシカメラには楽譜も用意してある。
♪まあるい緑の山ノ手線。真ん中通るは中央線。新宿西口駅の前、カメラはヨドバシカメラ。♪
ヨドバシカメラの歌(ピアノ)