今日は、どうも先日亡くなった文芸評論家、福田和也氏の著書を読んでみたいという思いが湧いて来た。
ネットで色々検索してみると、文芸評論家とは言っても、この人の著書は、一定の文学作品の評論に限らず、もっと広い範囲での文化や歴史などについて分析や私見を書いているのかな?と思った。
で、最初図書館に行こうと思っていたのだが、どうしても期限内に読むことはできない性分なので、とりあえず本屋さんに行ってみることにした。中身を見て、気に入った本があったら買ってしまったほうがゆっくり読めるからだ。
ところが、本屋さんに行くと、この人の著書は全然見当たらなかった。
「最近亡くなった文芸評論家の本」などという理由で、いきなり読みたくなる人なんかやはりいないのかな?店員さんに聞くのもなんか気が引ける。
本屋さんも、最近亡くなった人の著書をいきなり並べるなんてことはしないだろう。
やっぱり図書館に行くことにした。
・・・
図書館のパソコンで検索をかけると、今度は軒並み貸し出し中。
あ、やっぱり亡くなった人の著書を読みたくなる人っていうのは、結構いるみたいだ。
また、多くは「保存書庫」にあるという。
私は、この保存書庫っていうのが、どうも苦手である。閉架にあるんだったら、無いのも同じことにしている。いちいち保存書庫から出してきてもらうのは、抵抗があるし、勝手に気軽にパラパラとめくってから、決めたいのである。
色々検索していると、普通の開架式書棚にもいくつか存在することがわかったので、そこへ向かった。
そして、「東京の流儀」と「村上春樹12の長編小説」の2冊を借りることにした。
この他には、「旅のあとさき」っていうのがあって、これはタイトルに引かれたのだけど、「ナポレオン」や「イタリア・エジプト」という、私にはよくわからなさそうなものだったのでやめておいた。
・・・
さて、それでカウンターの貸し出し窓口に向かったのであるが・・・
これまでいつも利用していた人間のいる窓口は、今は予約図書の人だけが使うものだそうで、書架から持ってきた本を普通に借りる人は、なんとセルフ貸出機を使えとのことなのだった。
なんだかわけがわからないが、画面の案内に従ってやってみた。
まずは、図書カードのバーコードをかざして読み込ませた。
次に借りる本の冊数を入力。2を選択した。
そうしたら、不思議なことに、手に持っている本のタイトルが画面に表示されているのである。
なんで?
先ほど、検索機で本のデータを印刷したからだろうか?
しかし、データを出した本と、借りる本は違うのである。しかも、データを印刷したときはログインしていないので、その時点では私自身は認識されていないはずなのだ。
不思議に思って画面を見ていると、本を台の上に置けとの表示が出ていたので、いちおう置いてみたのだが、やはり置く前から、この2冊の本がしっかり感知されていたのであった。
どうやら、バーコードから電波が発せられているらしいのだ。ほんとか?
・・・
そういえば、コンビニだかスーパーだかでも、商品を手に持ってくるだけで、何を買おうとしているのかが判別されるため、レジを通す必要がないなんていうシステムをテレビでみたことがあった。
そんな仕組みなのだろうか?
本当に恐ろしいことである。
今後はバーコードをかざさなくても、人間にICチップを埋め込んでおけば、その人間が判別され、お金も払わずにものが買えたり、後で自動的に口座からお金が引き落とされたりするようになるのではないだろうか。
図書館の本も、何もしなくてもゲートを通り抜けるだけで、貸し出し手続きができちゃうとか、便利というよりも、誰がどこに何してるかを全部把握されてる管理社会というのか、少々不気味である。
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