山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

フォルテ超名曲ピアノツアー2025

2025-02-07 19:05:07 | 音楽


(プログラムの表紙)

先週、ユーチューバーピアニストのフォルテ君のピアノコンサートに行きました。
一度行ってみたいと思っていたのですが、たまたま近隣地域のホールで開催されることを知り、これはチャンスと出かけていきました。

2月1日の夜だったのですが、買ったのは10月。ずいぶん先のことだと思っていたら、あっというまに当日になりました。

ユーチューブ動画で日程を知り、4500円かあ~、どうしようかな~と悩んでいたら、夫が行けばいいじゃんというので、すぐに買いました。(自分だけ。夫は行きません。)
すぐに買ったので、端っこですが、前のほうの列が買えました。

さてさて、行ってみると地下の小ホールで200名弱の定員です。当日券も少しあったようですが、満席でした。スタッフはほとんど居なくて、無人のカメラが舞台の上と客席の後部に設置してありました。

チケット切りの女性(1人)は、物販も兼用だったようです。
ユーチューバーも大変ですね。

この日の演奏曲は、

ラフマニノフ/鐘
ベートーヴェン/月光第3楽章
ベートーヴェン/悲愴第2楽章
シューマン=リスト/謹呈
シューマン/トロイメライ
リスト/ラ・カンパネラ
ショパン/エチュード10-1
ショパン/バラード第1番
ショパン/バラード第3番
ショパン/英雄ポロネーズ
ショパン/スケルツォ第3番

でした。

フォルテさんのコンサートが面白いのは、トークがあることです。
そんなに長いトークではありませんが、ちょっとしたエピソードやその曲に関する思いなど楽しい話がテンポよく入りました。

実際、演奏は音大を出た大量の人々に比べれば上手ですが、だからと言って世界的なピアニストほど上手ではないことは明らかです。
私は、そういうことはあんまりわかりませんが、それでも一流かそうでないかの微妙な演奏の違いはわかります。
繊細さや奥深さっていうのかな、そういうのが超一流の人と比べたら足りない。
あといつも感じることは、テンポが崩れることです。これは常に同じテンポで引くわけではないけれど、それでも崩れてほしくないところでテンポが変わります。
あと、左手が強すぎるというのはたびたび感じます。今回のステージでも、バランスとして、右手(高音)がもっと強くあってほしい感じることがありました。
これは、素人の私の個人的な勝手な感想です。

でも、フォルテさんの立ち位置っていうのは、普通のピアニストとしての価値ではないのです。
彼は教育学部です。ピアノを勉強している人たちに役に立つ情報を提供してくれます。
今回もピアノを習い始めた息子のたっくんの話や自分が小さいころのこと、親子の会話など、楽しいエピソードを聞かせてくれました。
演奏曲に関することや、曲に対する思いなどを話してくれました。
そういうトークが入るところが、私のような庶民にはとっつきやすく楽しいです。

ちょっと気になるのは、演奏のときにタブレットの楽譜を見て演奏することです。
でも、これは楽譜ナシにしなければいけないということはないと思います。
すべて楽譜を見て弾いているわけではないと思いますので、あれば安心だと思います。
人前で弾いて、あるとき頭が真っ白になってしまうこともあるかもしれません。
そういうリスクと隣り合わせで演奏することが精神的によいこととは思えません。
一種の保険で、いざというときに楽譜を見ることができることによって、安心して演奏に打ち込めればそれでいいんじゃないかと思います。

楽譜があれば、たくさんの曲を弾くことができるでしょう。
なんでも完璧に暗譜しないといけないとなると、演奏できる曲も限られてしまうと思います。

だから、無理に完璧を達成するのではなく、できる条件でできる活動を精一杯やればいいんだと思います。

そして、あと思ったのは、例えばべートーヴェンの月光や悲愴だったら、1~3楽章をセットで弾いてもらいたいということです。やはり3つの楽章そろってひとつにテーマをまとめている曲だと思うので、好きな楽章や得意な楽章を1つずつ選ぶっていうのはちょっとまとまりがないのでは?と思うのでした。

べートーヴェンのピアノソナタは、以前、フランソワ=フレデリック・ギイという人の演奏会に行ったことがあるのですが、この人はベートーヴェンのすべての曲を弾きこんでいるような人で、やはり良かったなと思います。

まあ、フォルテさんにはフォルテさんの方向性というものがあって、みんなになじみのある名曲を弾くっていうのは、それはそれでよいとは思いますけど。

私が今回一番気に入った曲は、最後のショパンのスケルツォ第3番でした。
これは、あまり聴いたことがない曲なのですが、ダイナミックでフォルテさんにぴったりの曲だと思いました。

この曲をフォルテさん大学の時に弾きたかったそうですが、先生がなかなか弾かせてくれなかったのだというエピソードも話してくれました。

フォルテさんが、ユーチューブで新しい曲に挑戦し、練習をし始め、だんだん完成させていくっていう経過を見せてくれるのも楽しいです。

最後の曲は感動しました。

フォルテさんは演奏が終わり話が終わると、どの場面でもさっさと舞台から立ち去っていき、あまり客席の反応を見る様子はないので、これは意外な感じがしました。

最初は「本日はお忙しいところ・・・・ありがとうございまっちょ」などと言っていましたが、おわりは「ありがとうございました」と普通の言い方でした。
あまり砕けすぎるようなことはなく、また客席とのやり取りはないのでした。

客のほうも最後の曲が終わったら、ブラボーとかアンコールなどと叫ぶ人がいるかと思ったら、シーンとしています。

そういう声はないのですが、フォルテさんがすぐ出てきて「哀しみのワルツ」という物販で売っている楽譜の曲を弾いてくださり、あとは舞台上でポーズをとって話をしながら撮影タイムを作ってくれました。物販で売るものなどの宣伝をしました。

ここで、私も電源を切ってあったスマホを立ち上げたのですが、それがなかなか立ち上がりません。

ストレージがどうのこうのとかいう表示が出て、それからカメラの操作にしようとしたのですが、撮影できませんとの表示。結局、フォルテさんが撮影のためのポーズをとってくれている間にはスマホの操作ができずシャッターがきれませんでした。

こんなことなら電源を切らなければよかったです。(でも演奏中に万が一、音でも出たら大変ですからね。)

もう、みんなが撮影を終えてフォルテさんの話も終えそうになっているところで、やっとなんとか1枚シャッターが切れました。

・・・

そうして、すべてが終わり、会場から外に出て行ったのですが、物販に人が集まっているのかな?と思ったら以外にもちらほらです。

CDなどを買えばサインをしてもらったり、フォルテさんと一緒に写真撮影ができるのですが、数人の人が並んでいるくらいでした。

東京の人って意外に冷めてるんだよなあ・・・と思います。
私はフォルテさんのCDを2枚持っていますが、確かに、フォルテさんのCDをさらに買おうとは思いませんでした。CDを買って聴くなら、一流のピアニストの演奏のを聞いたほうが良いです。

あとは馬の油や、キーフォルダーや、ファイルなどの物品も売っていますが、特にそれを持ち歩きたいとも思えません。

でも、60代の私はともかくとして、他の人たちは、フォルテさんと同じくらいの年頃(フォルテさんは28歳)の人や、30代40代って感じが中心かと思いますので、もっと熱烈なファンのような人も多いのかと思ったら、意外にさっさと帰っていくのでした。

楽しかったね~と言っている人もいましたけど、帰り際にフォルテさんがサインをする机のところに来ていましたが、みな「あっフォルテさんだ!」みたいな反応はなく、そのまま帰っていくのでした。

私も横目に、「そこにいるの本人だっ」とは思ったのですが、そのまま通り過ぎてしまいました。
物品を買った人がそのあとサインをもらったり話をしていたと思いますが、そんなにたくさんの人が押し寄せるということはありませんでした。

やっぱり、東京の人は冷たいよなあ~、本当は「フォルテさん演奏聴かせてくれてありがとう、楽しかったです」くらい声をかけたいところなんだけど、なんかそういう交流する空気じゃなかったな。

もうちょっとノリノリになれないものかな?

その辺がちょっと物足りず、残念だったけど、まあとにかく生の演奏を聴く機会が持ててよかったです。

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夢で疲れた

2025-02-07 00:55:33 | 日記2025

今朝、明け方見ていた夢。

会社(しかしその場所は現実の務め先ではない)の洋服掛け(複数人が使用)に、自分の上着とセーターをかけていた。上着はモスグリーンで、セーターは白。

なんでセーターをかけているのか、現実としたらおかしな話だが、夢なのでそうなっていた。

これから、健康診断に行かなきゃならないのだけど、なぜかそのセーターが消えていたのだ。
薄い上着のほうはあるのだけど、セーターがないから、下着の上に上着を着るしかないのだが、そんなわけにはいかないな、と困って、一生懸命セーターを探しているのだが、無い。

他の人の服もかかっているので、いろいろ探すが、自分のセーターは見つからなかった。
時間はどんどん過ぎていき、他の人は健康診断に行ってしまった。

そうだ、部室に行けば、ほとんど着ない服を何枚かおいてあった、と思いだす。
ここで、なぜか急に学生時代の演劇部の部室(しかし、それも実在のものではない)に行く。
それは、ほど遠くないところにある別棟の建物であった。

そこは自分が何年も前に使っていて、その建物は奥に長細い四角の建物だが、左端の階段を上っていくと2階の右奥の場所に自分の服を数枚かけておいた場所がある。

ところが、そこへ行ってみると、自分が置いていたものはすべてなくなっており、しかも周囲もすべて別のものに置き換わっている。

つまり、そこは既に部室ではなく、何か別の会社が使っていて、改装されているのであった。

やっぱり、もう何年も経つから、片づけられてしまったんだ、別の人たちが使っているんだ、と悟った。その新しい借主(?)のメンバーみたいな人に「以前はここにおいてあったんですけど、ないですね。ここは変わったんですね」などと話して、出てきた。

やっぱり、着ていく服はないけど、さらに時間も経ってしまい、どうしようかな・・・

という内容の夢。

こんな夢を見ていて、朝の5時ころ目を覚ましたら、しばらく眠れなくなってしまった。

そうして、しばらくして眠ったが、7時10分に目覚ましが鳴り、それを止めたり、5分おきに鳴ったりして、いよいよ起きたが、どうも体が重い。

準備をする元気がないので、出勤はせず在宅リモートワークにすることにした。

本当に夢で疲れてしまったのだ。

夢に出てきたセーターは、現実には何年か前に既に捨てた服だった。
グリーンの上着は今も持っている。(古いのを捨てたが似たのを買った。)
部室にあった何枚かの服は、いったいどんな服だったのか、夢の中でも記憶はなかった。
(着なくなった服を演劇の衣装に利用するためのもの。)
あそこに行けば何か置いてあったな、という程度。

どれもこれも、私の知らない誰かが処分しちゃったらしい。

物の喪失感と、時間が自分を置いて経過していってしまう夢。

するべきことができず、どんどん時間だけが経ってしまう夢はたまに見るのだけど、本当に心身が疲れるのである。

 

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