90才の実家母には毎晩電話をして1時間くらい話をしている。
母は、デイサービスなどにもいかないので、毎日1人で庭いじりなどして暮らしており、他人とのかかわりは、たまに近所の老人が通りかかって立ち話をする程度だそうだ。
だから、昼間は1日中誰とも口を利かなかったなどと言うことも多い。
どこにも出かけない母は、ごく限られた身近な情報しか興味がなく、近所のことや自分が食べたものなどの話題がほとんどである。
そんな中で、食べた物の話をお互いにしていると、食べ物の好みの違いが顕著に表れる。
昨日も、私は散歩で疲れて帰ってきたので、夕飯はありあわせのもので簡単に済ませたのだが、それは「ほうとう風のうどん」というもので、中に入れたのは豚小間切れ肉・かぼちゃ・ねぎ・しめじであった。
そうすると、母は「私はそんなごちゃごちゃいろんなものを入れたものは嫌い」と言い出すのだ。
うどんはうどんだけがいいそうだ。
ひじきの煮物などもひじきと油あげだけで、ニンジンやチクワなどを入れるのは嫌なんだそうだ。
かぼちゃの煮物も私は豚肉と一緒に煮ることがあるが、それもかぼちゃだけでないとイヤなんだそうだ。
だから、私の作るものは気に入らないのだ。
・・・
ごちゃごちゃ入れるのは嫌いだと言いながら、母が納豆を食べるときは、鰹節とネギと卵とからしを入れるのだそうで、時には、オクラやシラスやシーチキンなども入れる。そんなことをしているから、食べ始めるまでにすごく時間がかかる。
一方私は、納豆とそれについているたれだけで済ませることも多く、せいぜい鰹節くらいしか入れない。仕事のある日の朝食は5分くらいで食べて出かけるので、休日もそれが習慣になっている。
そうして練りカラシを残しておくと、実家では毎度のこと「なんでからしが残っているの?」と母にとがめられる。
カラシを入れないなんて許せないという感じだ。
残ったカラシに対するその反応は、もう10回くらい繰り返して行われているので「だから私はからしは入れないっていつも言ってるでしょ」と怒ってしまう。
そうすると、母は「そうだったかね。そんなこと覚えていないよ」という。
年寄りだから覚えていないのはしょうがないのかもしれないが、こうやって、カラシをなんで食べなかったのかという圧力を毎回かけられる身にもなってもらいたい。
そのうち、また文句を言われるのかと思うと、嫌でもからしを入れて食べるか、母の見ていないところでどこかに隠してしまうのが無難になるだろう。からしは特に嫌いではないが、特に納豆に入れて食べたいとは思わないのだ。
そういえば、子どものときから、母が私の嫌いなものをわざわざ料理の中に入れてしまうので、私は物が食べられず、お腹を空かせていたことが多かった。嫌いなものさえ混じっていなければ食べられたのに。
・・・
昭和一桁の人間がみんなそうではないだろうが、実家母のけち臭さには閉口する。
食べ物を残すことを極端に嫌う母は、刺身が載っている大根のつまも残すことを嫌い、すべてを食べきろうとするのだ。
それで、スーパーの刺身は大根が多くて食べきれないからいやだ、魚屋さんのだと少ないから食べてしまえるので良いという。
「大根なんか食べるためについているわけじゃないよ、クッションみたいなもんだから食べなかったら捨ててしまえばいいでしょ」と言う。
実際、私は刺身についている大根のつまを食べたことはなく、100%捨てている。
大根サラダは嫌いではないが、刺身の下に敷かれている大根は魚の血がにじんでいたりするし、魚の臭いがついているだろうから、到底たべる気にはなれない。
しかし、母は大根のつまを刺身と一緒に食べ、残ったものは洗って後で食べたり、冷凍しておいてみそ汁に入れるだの、驚くような処理をしているのだ。
母から言わせれば、捨てるなんてもったいないの一言である。
「大根のつまなんてただみたいなもんなんだよ。普通に食用に売っている大根とはちがう不揃いものとか商品にならないものだと思うよ。全部食べるために盛り付けてあるわけじゃないんだから、そんなものをいちいち全部食べきらないといけないと思うこと自体ストレスになるでしょう。
そういう考え方にがんじがらめに縛られてること自体不幸なんじゃないの?」
母は、それでも自分が買ったものに関しては無駄なく残さずすべてを食べつくす方針なのだ。
残ったごはんはほんのわずかでもまるめてラップに包んで冷凍して、後でまとめておじやにして食べるそうだ。
そうして、どうしても食べられなかったご飯やおかずなどは、外に撒いてカラスやスズメに食べさせるなどというので、そんなことは絶対にやめろと言う。鳥があてにして餌を食べに毎日やってくるようになってしまうからだ。ちょっと油断するとすぐにそんなことを始めかねないから大変である。
あとはコンポストに入れるので、母が生ごみをゴミ収集に出すことはないのだ。
・・・
昨夜の母の話では、近所の人が菓子パンとゆで卵を前日に持ってきてもらったので、食べたくないがそれを頑張って食べたそうで、夕飯はそれで終わりなのだそうだ。
母によれば、近所の人が毎度のように大量の食べ物を持ってきて、どれもこれも自分の好みには合わないが仕方なくそれを苦労して食べているそうである。
近所の人は大食で、茹で卵を5個持ってきたり、カボチャを丸ごと買って全部煮物にして、その半分くらいを母の所に持ってきたり、ポテトサラダも大量に作って、お店売っている1パックの量の3倍くらいのものを持ってきてくれるそうだ。
母にしては全然食べきれず、別の人に分けたり、冷凍にしたりして苦労して食べきっているとのこと。
そういうものも、もらったその日に食べきれなかったものは、捨ててしまえばいいのに、と思う。
母がこんなにたくさん要らないと言っても、近所の人はもってきてくれるのだそうだ。
もともと大家族だったのか、大量に作る習慣の人は変わらないのだろう。
・・・
母は、おいしいところだけ食べて不要な分は捨ててしまうということが出来ない性分なので、本当に余計な苦労をしているなと思う。
私は実家で料理中にネギの根っこや、ひからびたニンジンの切れ端を捨てて怒られたりするので、本当に精神的に疲れ果ててしまう。
あっ、この方法いいですね。私もやってみよう!
納豆についてるカラシは、私はふだん納豆ではなくおでんや冷やし中華を食べるときなどに使っているのですが、実家母は逆に納豆以外にはカラシを使わないんですよね~