山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

今年の抱負

2025-01-11 01:24:47 | 日記2025

今年は、これまで行ったことのない地の街歩きをいっぱいしようと思います。

前の記事につらつら書いたことも関連していますが、私は帰省したときに、だいたい超高齢の実家母と一緒に行動をしているため、出かけるところといえば、近所のスーパーと墓参りだけです。

それで、月に1回以上は静岡県に行っているのに、自分の出身地である伊豆のことも全然わからないのです。東京の人や、外国人なんかのほうがずっと伊豆の観光地のことを知っているわけです。

それでこの年始には、母と顔を突き合わせているとすぐにケンカになってしまうので、私は1人で出かけることにしたのでした。

気晴らしに出かけるといえば、母は、その辺を散歩してくるくらいに思ったのかもしれませんが、私は電車に乗って行ったことのない土地に降りてみたのでした。
スイカで適当に途中下車したりするので、結構な運賃がかかったようです。乗り放題切符みたいなものもあるようですけど、主要駅でしか買えないみたい。
でも、運賃の浪費なんか気にしていたらどこにも行けませんよね。(そこが貧乏くさいんだ)

どうせ行くんだったら、しっかり観光をしてこなくちゃなんて思いがちですが、そうではなくて、駅を降りたら、ちょこっと見て歩いてすぐ帰ってくるのでもよいのではないかと思うようになりました。

そうです、ちゃんと観光しようなんて考えがハードルを高くするのではないでしょうか。

それから、これまでは「1人で観光するのはおかしい」という実家母の常識に合わせないといけないと思っていたのです。しかし、母は高齢で遠くに出歩けませんし、夫は私の実家には行かないわけなので、そうなったら結局これまで同様どこにも行けないということになります。

地元の友人はいますが、その人たちはすでに知っている場所なので、今更観光地なんかにはいきません。それに車になんか乗せてもらうと余計に気を使うし面倒くさいです。

自分1人で気ままに電車やバスに乗って、見たいものを見に、行きたいところに行けばいいです。

そうしたら、ちょっと下田とか三島とか修善寺とか行ってもいいかなと思います。

実家に泊まれれば宿泊費が要らないわけですし、帰省したときに、そのくらいの楽しみがなければ、実家母と始終顔を突き合わせてケンカばっかしてたらやってられないやと思います。

今年はジオパーク伊豆を知るのが抱負です。

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一緒に居ても傷つけあうだけ

2025-01-10 21:11:10 | 日記2025

年末年始の実家母との摩擦は、数えきれないほどあります。

例えば、母がテレビの画面の文字が近づかないと良く見えないというので、「だから中近両用メガネを作ればよかったのに」というと、メガネはこれ(ただの老眼鏡)で良かったと言い張る。
以前から私より見えていないだろうと思っていたのだが「あんたは目が悪いけど私は見えるから・・・」が口癖の母。ことあるごとにそれを言うのでイラっとしていた。
私は中近両用メガネをかけているが、メガネをかけなくても母よりテレビの文字は見えるのだ。
しかし、裸眼で手元のものが見えないことに関して、ことあるごとに「あんたは目が悪い、私は目がいいから見える」といちいちマウントをとる母。

到着した日の夕方、母が数足の靴下の親指の穴を繕っていたら首が痛くなったと言っていた。針に糸を通すのも大変だそうだ。そんなにまでして靴下の穴なんか繕わなくてもよいのに、他に穴の空いていない靴下はないのかというと、あるけど、穴の空いたのがもったいないから、まずそれを直して履いて、空いていないのは履かないでとっておくのだとか。
それで、履かない靴下の中には、私が奮発して買ってあげた1足1600円もするソックスがあるのだが全然履かない。この貧乏性なんとかしてほしい。
その他にも私が買って持って行った衣類は着ないままのものが大部分。

私が作った料理は母の口に合わないので、なかなか食べない。結局私が責任を取って全部食べて帰る。

私の荷物(リュックサックとカバンとマイバッグ)を見て、母が「あんたの荷物はなんでそんなに多いの?〇〇(姉の名)は小さな荷物を1つもってただけだよ」という。
はあっ?姉は夫婦で旅館に一泊して、実家の母のところには昼間ちょっと立ち寄っただけなのだ。浴衣だって旅館についているんだから着替えもいらないよ。
私は、パジャマと在宅用上下と下着・靴下など3泊分持っていかなきゃならないから荷物が多くなる。
荷物が多くて格好が悪くても必要なんだからしょうがない。
実家は二層式洗濯機で水も自動で止まらない旧式のものなので、あっちでは洗濯が大変。余計な洗濯物を増やしてはいけないので、パジャマなど置いてくることもできない。お風呂に入る時も洗濯の都合でバスタオルが使えないので、小さい浴用タオルを使う。

母が姉夫婦が帰るときの後ろ姿を見たら、二人ともスタイルが良く、お似合いだったそうだ。姉は相変わらず白いズボンを履いてしゃれた格好をしてきたそうだ。
そうですか、よかったですね。こちらは旅館にも泊まらないし、夫婦でも帰省しません。夫は毎年カップラーメンを食べて年を越してます。私が帰るときは、母はこたつに座ったままで見送りなどはしません。

帰宅した翌朝ご飯を食べている時に、「なんだね、今朝はバカに頭が白髪だらけじゃ」と母がいう。
今朝急に白髪になるわけないじゃん。昨夜からずっと白髪だらけなのは変わらない。
昨夜は気が付かなかったけど、朝日に当たって白髪が良く見えたのだ、と母が言う。
だいたい、なんでこんな白髪のままだと思ってんだか。美容院に行く暇がないんだってば。
ヘアマニキュアをすれば数日間は染まるのだけど、そうすると美容院でカラーリングしにくくなるので、美容院に行く前にはあまりやりたくないから白いままにしているのである。
年末に美容院の予約を入れようと思ったんだけど、空きがなかった。

朝、2階で、8時過ぎに母がトイレから出てきて顔を合わせたので、そのまま階下に降りてくると思ったら、またベッドに入って寝てしまったらしく朝の9時を過ぎても降りてこない。
母は、東側の竹やぶの上から朝日が出てこないと起きないのである。
それで、母は朝日が出てから、東側の窓際で朝日に当たりながら着替えをすることにしている。
早く起きないのは近所の竹やぶのせいだそうだ。
エアコンつけて部屋を温めて着替えればいいのにと思うが、ドケチは母は電気を使わない主義。
私が朝ご飯を作ってしばらくしてもぜんぜん降りてこなかったので、やっと降りてきたときに「なんで8時過ぎに起きたときに、降りてこなかったの?」と言った。
そうしたら「あんたはおっかない。朝から大きい声でどなりつけられて心臓が止まりそうだ」などという。
別に怒鳴ってなんかいない。私は普通の声で言っているつもりなのだが、声が大きすぎるという。
だったら、私も何も声を出さないほうが良い。
母も口を開けば、私がイラっとすることばかり言うので、お互いに何も話さないほうが良いのだ。

極めつけは「〇〇(姉の名)はあんたみたいにどなりつけたりしない。もっとやさしい。」という。

確かに姉は口調は穏やかで優しいのだろう。だが、何もしない。ただ立ち寄るだけだ。
姉が言うには、そのほうが母に負担をかけないそうだ。一人で勝手にくらしているから、年寄りの生活リズムを崩さないほうが良いとのこと。
実は、姉と母は非常に似ていて、昔から野菜が好きでキャベツに醤油をかけたりして食べていた。いまでもネギの根を植えたり干からびた大根の切れ端を食べたりしている。金があるのに貧乏くさいところがそっくり。というかドケチだから金が残るのか?思考回路が同じで、姉と母の気が合うんだったら、一緒に暮らせばいいのに。そうすれば、ぶつかることもないわけだ。

私と母は、その他にも、多々ぶつかること、相容れないこと、考え方の違うことばかり。
だから、今後は帰省してもあまり一緒にはいないで、私は一人でどこかに出かけてしまうと思う。

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正月から母と大ゲンカ

2025-01-10 13:54:48 | 日記2025

実家母は、高齢化して順応力がなくなってきたため、自己流・マイペースの生活をしているので、身内家族もあまり寝泊りさせたくない。
かなり強烈な個性があるため、それに合わせられるのはこの世に私一人しかいない。
私の夫は、私の実家に滞在すると、一晩で身体の調子が悪くなってしまうので、このごろはいかなくなった。生活リズムも食べ物も考え方もあまりにも違いすぎるのだ。
別室にテレビでも置かせてくれたら、夫はそこでくつろげそうだが、母が許可してくれない。
たまに来た時くらい、居間で同じものを食べ、同じテレビを見ればいいだろという。
それで、ここ数年は、私が一人で実家と自宅を往復している。
お正月も毎年そうである。

この年末年始も、母は紅白歌合戦の前半は全く受け付けないので、BSの演歌なんかをずっと見ていた。
この頃母は微妙に認知がかっているため、ドラマの筋が追えなくなってきて、ドラマもNGである。
その他は、動物の番組を見ることくらいだ。

その程度のことは2~3日なら我慢ができる。

が、昭和一桁生まれの母の物品に関する節約感覚には耐えられなくなる。

1日の朝、母は新聞受けから新聞をもってきた。
ものすごい厚さで、ポストの中に無理やり押し込まれていたので、取り出すのが大変だったそうだ。
なんでこんなに厚いんだと文句を言う。
正月だから仕方がないでしょ、と私。

母は新聞の折り込み広告をひとつづつ確認していたが、その中にひときわしっかりした光沢のある上質紙の広告があり、そのカラー印刷も綺麗であった。
どこかの商業施設の初売りのものだ。実家からは遠いところで、母には全く関係がない。

すると、母がそれを見て
「なんでこんな広告をうちに入れるの!? こんなの入れたってぱっと見て捨てるんだから、経費がもったいないよ。こんないい紙使って資源の無駄だね」というのだ。

母はいつも、自分が利用しない店や物に関する広告に対して文句を言うので、
「お母さんが行かなくても、他の人は車でそこまで買いに行ったりするのが普通なんだよ。100軒配って99軒の人が行かなくたって、1軒の人がそこに行って何十万円の買い物をすれば元が取れるんだから。しかも、広告を出す人の自由なんだから、お母さんが経費がもったいないとかいうことないの」と言った。

母「でも、こんな高級な紙使うことないのに。見てみなよ、こんなきれいな印刷ですぐすてちゃうだけなんだよ。なんでこんなことにお金と資源を使うんだか。まったくいやになるねえ」などという。

私「おかあさんは、どうしてそういうものを見たときに、もったいないとか経費の無駄だとか言って、文句を言ったり、暗い気分になるようなことばかり言うの?よその人はそうじゃないんだよ。普通は、そういうのを見たら『わあ、綺麗な広告、この福袋3万円だって買おうかしら、楽しそうね~、わあ、このレストランでこんな料理食べたいわ。このケーキもおいしそう!今から買いに行こうか』っていう反応を示すんだよ。そうやってみんな楽しく暮らしているのに、経費の無駄だとかもったいないとか文句ばっかり言ってて、こっちまで気分が悪くなるよ」

などと言い合うことになった。

母「だけど、もったいないからもったいなと思って言っただけなんだよ。思ったことをいう相手はあんたしかいないんだから言わせてくれたっていいら」

私「そういうことをいちいち言われるたびにこっちは嫌な気分になるんだよ。全く楽しい気分になれない。ネギの根っこだの干からびた大根の端っこを捨てるなとか、私が食べたあとの干物のかすを食べたりしないでもらいたいよ」

母「私は自分が物を大切にしたくてやってるだけなんだよ。世の中じゃ何でもかんでも無駄にするけど、私だけでも物を無駄にしないようにしてるんだから、いいだろ」

私「お母さんが家で腐った野菜や食品を食べているうちに、スーパーじゃもっとちゃんとしたものを廃棄してるんだよ。だったら、次々に新しいもを買ってあげたほうが社会全体では無駄がないってことなの。広告だってお金をかけて印刷して、それで売り上げが上がって経済が回ることが必要なんだから、お母さんみたいになんでもかんでも節約して縮小してたっていいことはないんだよ」

母「あんたはいちいちうるさいよ。私がもったいないと思って、その思ったことを言っただけなんだから、思ったことくらい言わせてくれたっていいじゃ。普段は一人で誰にもこんなことは言わないんだから」

私「だったら、私にも言わないでよ。いちいちもったいないもったいないって、ここに来るとそんなことばかり聞かされてストレスがたまるよ」

母「じゃあ、私は何も物を言わないで黙ってるしかないね」

母は節約を美徳としているのだ。節約のできる人間が価値があると思っている。母の思考回路はまずそこから始まるのである。
この親から育てられた私もまったく娯楽というものを知らない人間だった。でも、60年も生きてきたら世間の人は母のような考えではないことがわかってきた。
みんな楽しく暮らしているのだ。私は世間から見たらかなり質素な人間なのだが、母に合わせるのは限界だ。

世間には節約を生きがいにしている人間がいるのだそうで、そんな番組があったと母が言う。
だからってそんな人間が一般的な人間であるというわけではなく、多くの人間は極端な倹約家を「えらいなあ」とは思わないし、自分もやろうなんて思わない。

ことあるごとに母に言動にイラッとしてしまうのだ。

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正月のお飾り

2025-01-09 23:33:08 | 日記2025

新年あけて早くも9日が経ちました。1月も3分の1くらい過ぎてしまった・・・

そういえば、松の内というのは7日までなので、お飾りは7日の夜にはずしました。
飾り始めたのは、28日でした。
そうなると11日間くらいなので、たったのそれだけ飾るために毎年お飾りを買うものもったいないな~という感じがします。
私は、そのあと1か月くらい家の中にぶら下げておきます。(自己流です。)

そもそも貧乏性なので、すぐには捨てられないのです。実際1年前のものもまだ戸棚の中に入っています。

お飾りは、神社に持っていって、お焚き上げしてもらえばよいですが、3が日なんかに初詣に行くと、それでは早すぎるのです。そうすると機を逸してしまいますね。
今年はまだ初詣に行っていないので、古いお飾りとお守りをもっていってお焚き上げしてもらおうと思っています。

・・・

ところで、このごろ年賀状を出す人が減ったわけですが、お飾りを飾る家も減ったらしいのです。
実家の周囲でもお飾りを飾っている家がほとんどないのだと母が言っていました。
そういえば、うちは集合住宅なのですが、10軒に1軒くらいしか飾ってないです。

お飾りは、29日に飾るのは「苦」でよくないと言い、また31日は一夜飾りだからよくないとのことで、実家母は30日に飾ることにしてるらしく、なんでもぎりぎりの人なので、30日に買おうと思っていたようです。

ところが29日の時点で「いつもは店の外に売っているお飾りが、風が強いせいか今年は売っていない」などと言っていて「近所も誰も飾ってないから、うちもやめようか」なんて言っていました。
「店の中は狭いから、売り場があるわけない。今年は売らないらしい」なんて勝手に決めつけています。そんなわけないだろと思ったら、翌日店の中に売っていて買ってきたそうです。

お飾りって、一夜飾りが悪いからって、大晦日に飾らないとなると、元旦の朝に飾るんだそうです。
元旦に飾るのは良くて31日は悪いっていうのもおかしいような?
せっかく買ったお飾りもどんどん飾る期間が短くなってしまうじゃないですか。

で、それから新年明けて、数日たって6日の夜に実家に電話をしたら、母がお飾りをはずしたと言っているではありませんか!
「えっ?なんで6日にはずすの?早すぎない?」と聞くと「テレビでどんど焼きのことをやっていて、みんなお飾りを燃してたよ」というのです。

うそだろ?まだ松のうちじゃないか。
どんど焼きって、普通は15日くらいじゃないかな?

調べてみると早いところで北海道なんかは7日にやるそうですが、ならば7日の朝までは飾っておいたほうがよいのではないだろうか。

地方によっては三が日が済んだらどんど焼きで焼いちゃうってのもあるらしく、母はそれを見ていたのかも?

それにしても、最近の母の判断基準がおかしいような気がするんですよ。

別にどんど焼きをするわけじゃないんだからもう1日くらい飾っておけば良いのに。
私以上にドケチな人が、そんな短期間でもったいないと思わないのかね。

いや、もともと形式的なことや、年中行事のようなものが好きではない母は、単に世間体で飾っていたのかもしれず、近所の家々も飾らなくなったんだったら、うちだけ飾ってるのは気が引けるからすぐにはずしちゃえって思ったのかも。

そういえば、大晦日のお墓参りも「周りのお墓はみんなもう墓参りに来て花が飾ってあったけど、うちだけ遅かった」などと世間体ばかりを気にするのです。

綺麗に花を飾ってあるお墓は目につくけど、そうでないお墓ってそもそも目にも留めないので、別に「この家はまだ墓参りに来てないね」なんていちいち他人は見てないような?

世間体が理由ってのも味気ないな。

お飾りを飾ったり、お墓参りをしたりして、新鮮な気持ちでお正月を迎えよう~という意識は、母にはないようなんですよね。

 

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伊豆高原駅ホームにて

2025-01-08 21:17:11 | 旅行・街歩き

元旦の日に、熱海発下田行きのこの電車に乗って、東伊豆のほうに向かって行ったんですが、
伊豆高原で後ろの連結をはずすそうで、しばらく止まっていました。
その先は、下田まで前3両だけでいくとのこと。
私は、たまたま3両目に乗っていたので、降りる必要はなかったです。

とはいえ、10分も止まるというので、ホームに降りてみました。
というのも、何やら車両がいっぱい止まっているんですよ。
ここは、車両基地なんでしょうか。





どれもこれも古い鈍行電車で、シルバーの車体に伊豆急らしく青と水色のラインを入れているのですが、ドアの両側に何か変わったデザインを施してあるようですね。


どうせ時間があるんだから、写しておこうと思って、ホームをうろつき、
また「にわか撮り鉄おばさん」になりました。


あっ、あの右のほうに鈍行じゃなさそうな紺色の車両が止まっていますけど、
あれは「ロイヤルエクスプレス」ってやつですか?初めて見ました。
あれだけがちょっと高級な感じの車両です。
でも「特急踊り子」の車両などはありません。鈍行のリゾート車両もなし。



ここに普通電車がいっぱい置いてあるのは、ここで下り電車から車両を切り離すからなのかな?
そうして上り電車は逆に連結するわけで・・・
いちいち連結したりはずしたりをするわけなんですね。
伊豆高原までは、車掌さんもいるのですが、伊豆高原から先はワンマンになるそうです。
たった3両なので車掌さんは不要ってことなのか。

でもちょっと心細い感じ。
なぜならば、実際片瀬白田駅や伊豆北川駅で降りてみたんですけど、無人駅だし、運転士さんと乗客しかいないって寂しいです。
いつから無人駅になったのかなと思います。
乗るお客も少ないし、働く人も少ないのだろうか・・・。

一方、伊豆高原駅っていうのは特急も止まる駅ですし、観光地なのである程度栄えているのですね。
お正月は観光客もいっぱいでした。

で、結局のところ、観光客の方たちは、だいたい「特急踊り子」に乗ってくるわけなのです。
それで、驚いたんですが、結構、踊り子が頻繁に運行しているのでした。
お正月だったからかな?1時間に1~2本走っていたような? 
確かに夜なんかはもう走らないようですけど、観光客が乗るような時間帯に走っているようですね。

特急が止まるのは、伊東・伊豆高原・熱川・稲取・河津・下田のようです。
で、単線なものですから、特急優先で、特急を通すために各駅停車の鈍行がずっと止まって待っているのです。

というわけで、下りの鈍行が伊豆高原で10分以上も止まっているのは、下りと上りの踊り子を通すのと、上りの鈍行と入れ違うためですね。

全く、容易なこっちゃないよ。
いつになったら、下田に向かって走り出すことだか。
なんか、観光客優先なんですよ。地元の人間はどんだけ待てばいいの?

ああ、地元の人間はみんな自家用車に乗ってます。
それに、もう過疎です。学校は統廃合です。鈍行電車はあまりにも不便なので、乗りませ~ん。
それに運賃も高いよ~



これは、乗ってきた電車の後部です。
「麻吉號」って書いてあります。
MA JI Train  マヂトレイン







台湾(台北メトロ)とコラボしているらしいですね。

台湾ラッピング車両が切り離されちゃって、前のシルバーの3両でようやく出発。
最初に乗っていた3号車に戻ったら、海側の空席がなくなってしまったので、
2号車に乗りました。

たった3両なので、客席も埋まりますが、それでもまだ余裕ありです。

鈍行電車で、ゆっくり行こう~

鈍行にはリゾート21の「キンメ」と「黒船」もあってそっちはちょっと見栄えがいいです。
リゾートは下田まで切り離さないのかも。
あと「アロハ」(ラッピングだけがめだつやつ)もあったな。

今回は往復とも無地のシルバーの古い車両でした。

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テトラポットとテトラポッド

2025-01-07 22:47:59 | 旅行・街歩き

前記事に引き続きまして「テトラポット」と「テトラポッド」の話です。

正しくは「テトラポッド」なのだそうです。
しかし、一般に「テトラポット」と言われていることが多いみたいです。

というのも・・・

片瀬白田の堤防のところにも「テトラポット」って書いてあったのでした。

なので、その「テトラポットの上に乗るな」とか書いてあった、と記憶していたのですが、
それもいい加減な記憶で、実際に画像を調べてみると、
テトラポットの上 立入禁止」と書いてあったのでした。

ところで、ここに英語で
Do not stand on wave-dissipating blocks.  と書いてあります。

これを日本語に訳すと、「消波ブロックの上に立たないでください」になるようです。

英語で、テトラポッド(tetrapod)とは書いてないんですよね~

「テトラポッド」って、株式会社不動テトラの登録商標だそうで、一般名称は「消波ブロック」(読み方=しょうはブロック)というのだそうです。

でも「消波ブロックの上 立入禁止」とは書いてないのですね。
やっぱり「テトラポット」ってのが、一般的な言い方になってしまっているみたいですよね。



ところで、私が歩いていたのは、この堤防の一段高くなっているところ。
ここって歩くところじゃなくて、あっち側に落ちないようになっていたのかも?
それとも、これも台風の時などに、波を遮る土手のようなものなのかも?

でも、写真に写っていない右のほうに階段があったから上って行って左に歩いて行ったんですが、
この左端は階段じゃなくて、飛び降りることもできない高さだったので、仕方なくUターンして歩いて戻ったのでした。

そうしたら、結構な高さで、周囲が海で、目が回ってきてフラフラしそうで怖くなり、足がすくんできちゃって、所々、この高くなっているテトラポッドにつかまって無事戻ったわけです。


これは、一段高くなっているところから撮った写真です。


陸から撮った堤防。

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テトラポッドと海

2025-01-07 17:55:23 | 旅行・街歩き

今日は、年末年始にお出かけしたところはどこかっていうお題です。

元旦は、こんなところを歩いていました。

東伊豆の小さな漁港の堤防の上を海に向かって歩いて行ったんですけどね、
「テトラポッドの上に登らないでください」とかって注意書きがあるのです。

注意されなくたって乗りはしませんよね。恐ろしいじゃないですか。
このテトラポッド、結構砕けていますが、やはり波の力でこんなになっちゃってるのかな。

中には、釣り人が、堤防ではなくて、テトラポッドの上に乗っかって海に近づいて釣りをする人もいるのかもしれません。

テトラポッドが崩れるとは思えませんけど、足を踏み外してテトラポッドの隙間に転落したりしたら、もう助かりませんよね。

怖い怖い。

私は堤防の一段高いところを歩いて、堤防の先に向かっていったんですが、登るときには階段があったのですけど、行った先には階段がないので、降りることができず、またUターンして帰るしかなかったんです。

そうしたら、なんか目が回ってきそうです。
高所恐怖症みたいなもんですね。足がすくみました。
その横にこのテトラポッドがいっぱいあったので、所々はテトラポッドにつかまって歩きました。

テトラポッドに登ってはいません。つかまっているだけだよ~~

中学の時は体操部だったので、私は平均台なんかお手のものだったのですが、そんな身体機能のあったのはもう半世紀も前じゃないですか。

60代のばあさんが、堤防の高い段を歩いてフラフラしているなんて、全くヤバいです。
年寄りの冷や水です。



海は怖いよ。

テトラポッドは波が激しいところにあるんだからね。

私は海辺に育ったから、海が好きですが、やっぱり海は怖いな。

(テトラポットじゃなくてテトラポッドが正しいのだそうで、修正しました)

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仕事始めに雨

2025-01-06 20:27:14 | 日記2025

新年の最初の出勤日に雨が降るなんてことは滅多になかったように思うのですが、どうなんでしょう。
年が明けての初日の退勤時(17時ころ)に、空が明るいことに気づくっていうのが例年です。
冬至から、だんだん日暮れの時間が延びてきているのですね。
確かに今日も雨は降っていたものの、空は真っ暗ではありませんでした。

冬に雨や雪が降り始めるのは、春が近づいて西高東低の気圧配置が崩れてくる時期が多いのですが、それが早いのかな?
いや、本格的な寒さはまだこれからですよね。

・・・

この頃の出来事。
右足の親指の爪が、昨夜取れちゃいました。
これは9月の中頃、夫の故郷である山形に旅行に行ったときに、3日間くらいものすごくたくさん歩いたのです。その時、親指のつま先が靴にぶつかっていたのだと思いますが、両足の親指の爪が内出血で真っ黒になってしまいました。

それは、夫も私もなぜか同じでした。人間って、同じことをすると同じ状況が起きるものなのでしょうか?
それで、数日前に、夫が爪がはがれちゃったと言っていたのです。夫の場合左足だそうです。
一方、私は右足です。両足の爪が黒くなりましたが、片方は爪が剥がれ落ちるほどではなかったのです。

夫の爪が取れちゃったというのを聞いた数日後(12月の下旬)に私の爪もペロッと剝れ始めたではありませんか。
爪がないっていうのは、つま先を防御するものがないので怖いですよね。
それで、横から剝れて捲れたのですが、まだ片側がくっついていたので、そのまま絆創膏をぐるぐる貼って爪が外れないようにしていたのです。

しかし、それから数日後の昨日、お風呂から上がると、バンドエイドがはがれていて、ついに爪も外れたので、かろうじてついていた部分も引っ張って取ってしまいました。
下からはいくらか新しい爪が延びてきているのですが、ここまでが3か月かかっていることを考えると、完全に伸びるまでは、今から半年くらいはかかりそうです。

黒い爪をはずすと、絆創膏がお風呂のお湯を吸い込んでいて、爪と皮膚の間にも水分が入っていたので、なんかふやけていました。
爪の裏の黒いのは内出血なので、その黒い血が、まるで餡子のようになっているではありませんか。
これは外れかけた爪をかぶせてバンドエイドで巻いたりしていると、かえって不潔になるみたいなので、取ってしまったというわけです。

で、今は爪のない指先にバンドエイドを巻いています。
やはり爪がないとなんとなく弱い気がします。

それにしても60数年間生きてきて、爪が完全に剥がれ落ちたなんていうのは初めてでした。

・・・

ああ、爪のことだけでかなりの文字数になってしまったので、本日はこの辺で。

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伊豆北川さんぽ

2025-01-05 21:18:29 | 旅行・街歩き

伊豆急行線で、海が近い駅というと「片瀬白田」だそうですが「伊豆北川」で停車した電車の窓から見える海はなかなかきれいで、それにすぐ真下にあるなあという感じです。


なので「片瀬白田」を散歩したあと、今度は「伊豆北川」で降りてみました。



駅の改札を出て海のほうに進むと、いきなりものすごい下り坂でした。
伊豆特有というか、伊豆ではありふれた地形ですが、途中からは車で下る道路のほかに、近道の階段があるので、階段を下りていきました。


海が近くなると、きれいな花壇と道標がありました。大部分は左矢印方向でした。


これもまた、伊豆によくある形状の港と堤防です。
人の姿がかなり多く、また海のそばに大きな建物もあって、旅館や民宿が並んでいました。
片瀬白田よりも観光客が多そうという感じです。


元旦から、ダイビングをしてきたようで、たくさんの若者が船から降りてきたところでした。
初潜りですね。


堤防のそばには、竹に旗を掲げたこんな船が停泊していました。

旗には、 大祝漁 瑞昇丸 って書いてあるのかな? よく見えません。


午後になって、山側から影ができてしまい、写真が撮りにくいです。


港のそばには、数匹の猫がいました。
顔の周りがフサフサしていてちょっと洋風が混じったような猫です。
若い女の子たちが猫を相手に遊んでいました。
猫にエサをやるなとは書いてありますが、地域猫として受け入れられている雰囲気です。

近くに「ねこさい広場」っていうのがあって「ムーンロードテラス」というウッドデッキが設置されていました。
「ねこさい」の「ネコ」は「猫」のことなのかと思っていたのですが、今調べると、そうではなく、ねこさいは定置網のことらしいです。



デッキには、こんな彫刻もあります。
幸せを呼ぶモニュメントだそうで、伊豆高原に住む彫刻家、重岡健治氏の作品とのことです。


沖には二隻の漁船と伊豆大島。


こちらは北方向で、伊東の大室山も見えます。


船を拡大してみるとこんな感じ。お正月の旗や飾りがついているようです。


陸にはランタナ(七変化)。これって夏の花ですよね。


こちらにもアロエが群生していました。

さて、そろそろ帰ることにします。
電車は1時間に1本くらいなので、次の電車に間に合うように戻ります。



下りたはいいけど、上るのが大変な階段。
えっ?この階段を下りてきたんじゃなかったっけ?

のぼってみると上は神社でした。なんか来た道と違うようです。
この階段が神社に行くためだけで、行き止まりだったら、戻るしかないのか?
下からは、右方向にも階段があって上っていく人がいたのですが、私はこちらを選びました。
もしかしてそっちだったのかと思い、神社の前から右方向に続く道へ進むと、線路を超えて明らかに駅とは違う方向へ行ってしまいます。

慌てて神社の前に戻りました。
ここでも、自宅近くの神社の初詣を澄ませていないので、この神社は素通りします。
今度は左方向に進みました。道が神社で行き止まりではなくてよかったです。



すると、そこからさらに坂道が続いていましたが、これは確かに自分が駅から下ってきた道で、登れば駅です。
電車の時刻まで、あと10分くらいあるので大丈夫そうですが、この坂は大変だ~



やっと急坂登りましたが、さらに線路の下をくぐって階段を登り、駅舎のところについたら、改札を通ってまた階段を上ってホームに行きます。



こちら、伊豆北川は「マンボウのデザインで、オレンジと緑の配色でした。
これもかわいいですね。色はなんとなく蜜柑の実と葉を連想します。

伊豆北川駅も無人駅です。



しかも、降りたときは気づかなかったのですが、上りも下りも同じホームなんですね。
反対側のホームに行くにはどうするんだろう?と思ったら1つしかありませんでした。
つまり、駅も単線なのです。
南側はすぐトンネルです。まるで秘境の地のようですね。


南は伊豆熱川、北は伊豆大川です。伊豆の駅って、いちいち「伊豆」が付く駅が多いんですかね。
これまで、熱川・大川・北川・稲取などと言ってたんで、駅名にいちいち「伊豆」が付くって知りませんでした。



トンネルから熱海行きの電車がでてきましたよ。ワンマンです。
下田・伊豆高原間は、ワンマンなんですね。
伊豆高原から熱海までは、電車の連結が長くなって車掌さんもいます。

駅のホームには自動アナウンスが流れるようで、駅員さんはいないみたいです。

この駅から乗った人は、私と中年男性の2人でした。
自動車が坂を上ってきてその人を降ろしているのがホームから見えました。
だいたい地元の人などは、車で送迎されていて、この坂を歩いて登る人はめったにいないのかもしれません。
あとダイビングや民宿に泊まる観光客は車で来る人が多そうです。



あれ?一面シルバーの車両って、伊豆急では珍しいのでは?
しかも、これ東京でよく乗っていた車両みたいなのですが・・・
東急何とか線の電車だったのかも?と思いました。デザイン変えないでそのまま使ってる?

とりあえず、乗車できてほっと一息です。

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2024年帰省した日

2025-01-05 16:08:18 | 日記2025

12月31日(土)~1月2日(火)
(2月 娘の出産のため帰省せず。)
3月16日(土)~3月17日(日) 墓参り お寺へ護持会費持参
4月12日(金)~14日(日)
5月10日(金)~12日(日)
5月31日(金)~6月2日(日) 法務局へ実家名義変更手続き相談(亡父から母へ)・墓参り
6月14日(金)~6月16日(日)同窓会
7月5日(金)~7月7日(日)法務局(完成申請書類提出)
7月26日(金)~7月28日(日)法務局(登記完了書類受け取り)
8月9日(金)~8月11日(日)
9月20日(金)~9月22日(日)墓参り・お寺・包括支援センターの人訪問
10月11日(金)~13日(日)
11月8日(金)~10日(日)
11月29日(金)~12月1日(日)母の下着を買いにショッピングセンター
12月30日(月)~1月2日(木)墓参り・換気扇掃除

最初と最後は年末年始が重なって回数がだぶるので1回減らして1年で13回となりました。
2023年は14回だったと思います。

2月は姉の子供家族が実家近くのホテルに宿泊して立ち寄り、姉が実家に1泊したこともあり、私は娘の出産後の手伝いなどで忙しいので行かないことにしました。

昨年は、実家の名義が40年も前に逝去した父のままになっていたので、母に名義変更しました。
そのため、私が書類を作成し、3回ほど法務局に足を運んで相談や確認をしてもらい、不備な点を修正して提出し、名義変更を完了しました。

父母の戸籍謄本や住民票は平日しか取れないため、5月に姉が帰省して母と一緒に行って書類をそろえてくれました。

あと、12月に姉夫婦が実家近くの温泉に宿泊した帰りに実家に立ち寄ったそうです。

姉は実家に1年のうち3回行き、そのうち1泊が2回と立ち寄りが1回です。もう少し行ってくれたらどうなんだと思います。しかも、3回とも姉は自分の家族と近隣の観光を兼ねて行動しているので、ずいぶんと楽しむのがうまくて、要領の良い人だとあきれるばかりです。

姉妹で一緒に観光しようと言っていたのですが、結局姉は土日に趣味の活動をしているため、平日しか空いていないそうです。私は土日しか空いていないのですれ違いです。

今年実家に関してやったことは、家屋敷の名義変更と一緒に、電気と電話の契約者を亡父から母に変更しました。もうどうやってやったのか忘れてしまったのですが、マイナンバーを使ってスマホから手続したものもあり、母のマイナンバーカードを作ってあってよかったと思いました。

その他に、母もだんだん足腰が弱ってきたため、包括支援センターに介護支援認定をしてもらうことにしました。結果は要支援2でした。

最初に包括支援センターの人に来てもらい段取りなどを説明してもらい、その後、母がかかりつけ医に行って、かかりつけ医から役所のほうに連絡を送ってもらうと認定作業が始まるそうです。そして判定する人が自宅に来て、何をどう調べたのかろくに身体のチェックなどはしないみたいですが、要支援2に認定されたそうです。

そもそもは、週に1回くらいデイサービスに行って少し体操でもする機会が得られたらと思っていたのですが、体験で午後半日行ったデイサービスは、体操など何もせずただ座っているだけだったそうで、退屈で詰まらなく、ボケてしまいそうで、母はもう二度と行きたくないそうです。

ということで、近所の人がみんなそれぞれにいろいろな場所のデイサービスに行ってしまうのですが、母は一人で自宅にいます。
近所の人は朝から1日のデイサービスで遠くまで行っている人もいて、体操や工作や趣味など様々な活動のものもあるようですが、母は寝坊で朝起きられないので、午後のものしか参加できず選択肢が限られてしまいます。

わがままなのでどうしようもないですね。

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片瀬白田駅

2025-01-04 18:13:39 | 旅行・街歩き

伊豆急行線の「片瀬白田」の駅をご紹介します。

ホームの駅名標看板を見ると、ここには熱川温泉病院やライフケアガーデン熱川があるようです。
隣の北側の駅が「伊豆熱川」ですね。

こちらは、山側のホームから山側を見た眺めです。



山の上のほうに風力発電の風車がいくつか立っています。

手前の10階建ての大きな建物は「ロワジール南熱川」というマンションのようです。
1990年7月に建築されたので、築35年とのことです。
駅から徒歩3分で、近くには食料品スーパー「ハナマル」があるそうです。

ちなみに現在販売中の中古マンションの情報を見ると、3DK、63.55m2で450万円。
管理費が月に27540円、修繕積立金が8100円でした。
古いので販売価格は安いですが、管理費はそれなりにかかるようですね。



ホームから見下ろした駅舎と駅前ロータリーです。ホームは高架で高いところにあります。



地上から見た駅舎。無人駅です。
Suica、PASMO対応自動改札があり、乗車証明整理券も取れるようになっていました。



伊豆急行線の駅には、それぞれのデザイン(海の生き物のイラスト、駅ごとの特徴を表すテーマカラー、駅名)の看板が設置されていて、フォトスポットになっているようです。
こちらは、明るい水色のカラーとピンクの魚(ハタタテダイ)で、さわやかでかわいい感じでした。



再びホームからの画像。
今度は海側を見ています。階段を上ってきたところにベンチと屋根があります。
片瀬白田の海岸から夕陽が見えるらしいですね。



大海原に、伊豆七島の大島や利島などが見えます。



海側ホームに下り下田行きの普通電車、伊豆急行リゾート21「キンメ電車」がやってきました。

伊豆の線路は単線なので、駅で行き違いになります。



山側のホームは熱海行きで、これは昔ながらの青と水色の配色の電車でした。

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片瀬白田さんぽ

2025-01-03 22:24:45 | 旅行・街歩き

年末年始に帰省したときに、東伊豆町の片瀬白田に行ってみることにしました。
これまで、この駅では降りたことがなかったのですが、伊豆急行線では、この駅が一番海に近いのだそうです。
たしかに、ホームからすぐに海が見えますね。

海岸に向かって歩いていくと、川があって、海の向こうには伊豆大島がよく見えました。
ピンクのサザンカと松の木も良い感じでした。

後で調べたらこの川は「白田川」というのだそうです。
この川の左側が片瀬という地域で、右側(こちら側)が白田という地域だそうで、
駅はその両方の名前にしたようですね。

海辺の地域一帯には、あちこちにアロエが咲いています。
冬のススキと赤いアロエの組み合わせが不思議な感じです。


大きなアロエの株は南国風。

再び海に目を向けます。

大島です。


正面に見える▲が「利島」のようです。


左端に大島の端が見え、その右の堤防の向こうに見えるのが利島です。
利島には300人くらいしか人が住んでいないそうで、椿の木がたくさんあって椿油を採っているとのこと。
(you tube スーツさんの動画で知りました。東京から高速船で2時間半だとか)



これは以前載せた写真ですが、船が2艘置いてありました。


お正月のお飾りが飾ってありました。



堤防には釣りをする人が数人いました。
実際、電車を降りてから見かけた人は、ここで釣りをしている人だけでした。



第1種 白田漁港
所在地:静岡県賀茂郡東伊豆町白田地先
管理者:東伊豆町
所官庁:水産庁

第1種漁港とは、「地元の漁業を主とする利用範囲の漁港」のことを言うようです。


貝ヲトルナ  ← 採ったら200万円以下の罰金だそうです。


堤防の向こうにはテトラポットがあり、磯が続いていました。
海岸沿いを電車の線路が続いています。あちらが下田方面。


堤防のほうから漁港の陸地方向を見たところです。高架になっているのが伊豆急の線路です。



線路の高架をくぐって海から離れると民家が並んでいました。
どのお宅も庭が広くきれいに手入れされていて驚きました。
ここは特に、松やツツジの植木とともに、南国っぽい花が咲いていて素敵でした。
ストレリチア(極楽鳥花)という花のようです。


水路の石垣に生えている植物も南国っぽいです。


路地にブーゲンビリアが咲いていました。



一段上の国道135号線の山側に、小さな神社が見えました。
写真には写っていないのですが、銀杏の葉が落ちて黄色い絨毯のようになっていました。
行ってみたかったのですが、初詣は毎年自宅近くの神社に行くことにしているので、
遠くから眺めるだけにしました。

あと、川の近くに親水公園があったようですが、今回は何も調べないでいきなり行ったので、
その存在に気づきませんでした。
また今度行ってみようと思います。

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新年近況

2025-01-03 00:39:55 | 日記2025

2日の夜に実家から帰ってきました。
今回は3泊で、なかなか厳しいものがあります。
あんまり長居しないほうが良いですね。

帰りの電車の中で、スマホの画像をブログにアップして「今日いち」を投稿しようとしていたのですが、何度か繰り返すも、アップロードできないとのこと。
その前からブログのアプリ自体がなかなか開かなかったりして、田舎だから電波がないのかな?それとも私のスマホに問題あり?なんて思ったりもしたのですが、なんかgooブログのほうに不具合があったらしいですね。

今は画像はアップロードできるのですが、「いいね」「応援」「続き希望」「役立った」ボタンがかすれたようになっていて押すことができなくなっています。
これって私だけかな?

そんなわけで、なんかちょっと調子が出ないです。

・・・

話は変わりまして、自宅に戻ると年賀状が8枚届いていました。
私が送ったのが11枚なので、自分が送って相手が送ってこないのが3枚あります。
しかし、私の年賀状も元旦には届いていないはずですね。

送られてきた年賀状に中学のころからの友人の年賀はがきがありました。
この人、昨年はただの年賀定型文印刷だけだったので、今年は出すのをやめようかな~と思ったのですが、年賀状だけしかやり取りのない状況で、とりあえずお互いに送っておけば生存確認はできてるか、という感じでした。

で、今年も送ったわけですが、先方からは例年通り元旦に届いていました。
その内容なんですが、印刷ながら今回は個人的な報告が記載されていました。
この人は開業医だったんですが、ついにクリニックを閉院したそうです。
理由は、やはり年齢による衰えとのことで、確かにもう60代半ばですから、私たちは世間から見るとかなりの老人です。

そして、はがきには書いてなかったのですが、もしかしたらマイナ保険証も関係あるのかな?と思いました。マイナ保険証によってデジタル化が必要になり、開業医の人もいろいろ設備を整えないといけないと世間で言われています。
それには、かなりの費用がかかるそうですし、そこに勤める医療事務の人などもそういう知識やスキルが必要になるのでしょう。
60代も後半にさしかかろうとする状況で、これから先、続けてもせいぜい70歳くらいまでとしたら、いまさらそこまでやるべきなのかと考えてしまうと思います。

それに、きっと開業医の人は収入はかなりあったと思うので、生活費のために働き続ける必要はないのではないかと思います。老後は楽しく好きなことをして暮らしたほうが良いでしょう。

それから、クリニックを閉鎖するとともに、年賀状も今年で終わりにするとのことでした。

そうか、今後は年に一度の音信もなくなるか、と思った次第ですが、そもそも私もやめようかな~と思ったりしていたところなので、ならばこのように相手が終わりにするとの記載をして、ちゃんとけじめが付けられたのは良かったのかもしれません。

メールアドレスが記載されていたので、何かの用事があれば連絡の取りようはあります。

・・・

それにしても、私たちは年を取ってしまったなあと改めて感じました。
中2の14歳のときに同じクラスだったので、50年間ってことですね。半世紀です。
友人が、24歳で医師の国家試験に受かったときは、新聞に名前が出ていて「おめでとう」と言ったのですが、それからあっという間の40年で、もう引退ですものね。
新米からベテランになり、それを超えて高齢医師になってしまったのです。
私は高齢のパートタイマーです。パートは命を預かっているわけではないので、まだまだ職場を徘徊していますが、それももう、先は見えているんですよね。

まあ、メインの仕事は終わるとしても、友人はきっと何か有意義な活動をするんじゃないかなと思います。

・・・

今日は年金受け取りの申し込み案内が届いていました。さっそく、厚生年金と基礎年金の両方を受け取ることにしました。マイナポータルからスマホでも操作できるらしいですが、わけがわからないので、85円切手を貼って返信ハガキを送ることにしました。

切手は84円切手しかなかったので、2円切手(1円切手は手元にない)を貼って送ります。

ああ、本当に今年は老人への第一歩だな。。。

 

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今日いち-2025年1月1日

2025-01-01 16:11:20 | 日記2025

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
伊豆の海です!暇なので片瀬白田を散歩してきました。

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