山咲雛子の日記

毎日何かを好き☆と感じ、感謝して、頑張っています。時間が沢山あったら、ゆっくり自然の中で過ごしたいです♪旅もしたいな♪

多賀城あやめまつりと7番城址

2009年07月09日 | ドライブ
先週のことでしたが、多賀城市のあやめ祭りに行ってきました。(撮影日7/5)



この日はお祭りの最終日でした。



壇上にて多賀城市の市長さんが挨拶しているところでした。

「今年は花の開花が早く、もう一週間早い開園でもよかったとの声があがりましたので、来年はそういうことも検討しながら、皆さんに多賀城のあやめ園を楽しんでいただきたいといきます」

  

私の一番のお気に入りは「古城」の名がつけられていました。
全体的には見頃が過ぎ、花は緊張感を失ってだらりとした感じでした。

かわりにあじさいがイキイキと花を咲かせていました。

温暖化の影響なんでしょうか、今年はどこに行っても例年の見頃の時期より心もち早いような気がします。


多賀城市は歴史のある町です。

8世紀初め、奈良の平城京を中心とした律令政府の統治下、日本は60あまりの国に分かれていました。
東北地方には2つの国があり、724年にはその1つ「陸奥国」に国府「多賀城」が置かれ、東北地方全体を治めていたそうなんです。
多賀城創建以前は、郡山遺跡(現在の仙台市太白区)が陸奥国府であったと推定されています。

 

園内には覆堂のなかに、日本三大古碑の一つとされる多賀城碑があります。(平成10年6月国重要文化財指定)
発見当初から歌枕の一つである壷の碑(つぼのいしぶみ)とされ著名になったそうです。
発見は江戸時代初期の発見とされ、土の中から掘り出されたとか、草むらに埋もれていたなどの説があるそうです。

元禄2年5/4、松尾芭蕉が多賀城に訪れ、壺の碑(多賀城碑)を見て「行脚の一徳、存命の悦び、羇旅の労をわすれて泪も落るばかり也」と涙をこぼしたということが『奥の細道』に記されています。




壺の碑の向こう側(細い道路を横切る)には、多賀城址があります。



今は何でもない原っぱですが、歴史を語る看板が出ていて、わかりやすく、かつての多賀城を知ることができます。

   


724年創建。
陸奥国府が郡山遺跡(現在の仙台市太白区)より北進移転したそうです。
762年には、藤原恵美朝狩によって修繕。
780年、伊治呰麻呂の乱により焼け討ちにあいます。
後に多賀城城内は再建され、城外には街並みが整備されました。
869年、陸奥国に大地震が起こり、多賀城でも多くの施設が被害を受けました。
915年には十和田湖畔を噴煙とする火山灰が、多賀城まで降ってきたそうです。

やがて十世紀後半頃には維持、管理されなくなり、多賀城は次第に崩壊していったそうです。

そうして現在、特別史跡に指定され、政庁跡や城碑、復元された塀などが残されています。

2006年には、日本城郭協会主催の日本100名城に選定され、日本100名城スタンプラリーの7番になっています。
ちなみに仙台城は8番。
宮城ではこの二つの城址が選定されています。



多賀城の石碑は、大正4年に建てられ、裏には「多賀城村」と刻まれてれていました。

さて…と。



どっこいしょ。とベンチに座り、城址から多賀城の街並みを眺めながら、心地よい風に吹かれて、山咲流、野だて。
菓子は、murata kazunori(多賀城)のケーキたちをパクリ♪
茶は水筒に淹れてきた、FAUCHONのアップルティー。

やっぱりいいねえ~、多賀城。