平成28年9月25日~10月30日まで、羽黒山正善院黄金堂において「出羽三山大権現」御開帳が行われました。
羽黒山正善院黄金堂は、羽黒山宿坊街にあります。
また江戸時代創建以来初の御開帳「於竹大日堂」も行われていました。
「御開帳」はとてもご利益があり、特に初めての御開帳などは、とても希少なことであると思います。
山門。
山門の左には閻魔大王・書記官がお祀りされています。
ご本尊様に結ばれた五色の糸は白い善の綱として、本堂前の回向柱に結ばれまています。
その綱を触ることで、ご本尊に触れるのと同じことで、ここにありがたいご縁が生まれ、その功徳ははかりしれないといいます。
黄金堂では、羽黒山大権現、湯殿山大権現、月山大権現が御開帳されていました。(拝観料500円)
その他、羽黒山が神仏習合により、命がけで山から降ろした仏像たちを合わせると28体ほどが展示されていました。
山伏のお姿のお姉さんに聞いたのですが、神仏習合は地域によりタイミングに差があるそうです。
地域の担当の役人によってやり方に温度差があって、山形県を担当していた方は、鬼のように徹底して行う方だったと。
そのため、神仏習合が発令されて、慌てて屋根裏等に仏像を隠しておき、深夜に盗人のように忍び込んで、命がけで仏像を山から降ろす。
小さな仏像は、バレない様に荷物に紛れこまして、山から降ろす。
今ならあり得ない話ですが、梱包などできない状態で無理やり運んだため、傷や部品の欠損などがあるのは致し方なく、とにかく1体でも山から降ろしたい思いで、その頃は必至だったのでしょう、と。
神仏習合とは、日本固有の神の信仰と外来の仏教信仰とを融合・調和するために唱えられた教説。
奈良時代、神社に付属して神宮寺が建てられ、平安時代以降、本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)やその逆の反本地垂迹説などが起こり、明治政府の神仏分離政策まで人々の間に広く浸透した、神仏混淆。
そんな歴史がなかったら、芸術的な仏像が、たくさん残っていたのかもしれませんね。
於竹大日如来は、女性の守り本尊とされています。
今から400年ほど前、羽黒山山麓出身のお竹さんというかたが、日本橋の豪商に奉公して、紙問屋さんだったのですね。
その紙問屋さんが今でも日本橋にあって、御開帳の期間中限定で、そこの紙を使った特別なご朱印が頂けました。
ご朱印帳に貼るというやり方は、初めてでした。
羽黒山、湯殿山、月山を拝んだくらいの高徳があるそうです。