昨夜は「ストーブは意地でも焚かない、夏なんだから」と頑張りましたが、今朝はもう挫けています。(だって寒いんだモン)
この本は一気に読んでハイおしまいではなく、時折、ぱっと開いた一、二節を読んでしみじみ味わう読み方が良いのではと思います。それだけ、一つ一つに深いものを感じます。だから栞ひもが3本も付いている心使いが嬉しい。
加島祥造といえば、タオ
この本にもタオのことが沢山書かれていました。
「人間が名付けるすべてのものや、ものを知ったと思う人間たちのむこうに、名もない道(タオ)の領域が、はるか向こうに広がっている…老子第一章」
「こうと決めたって、ことは千変万化して、絶え間なく動いてゆく…老子第二章」
「もっともっと大きな~ライフ~というものにつながる~自分~こそ、大切なんだ…老子第十三章」
「自分の中にある素朴な素直な素質を大事にすることさ…老子第十九章」
「自分の内に目を向けて、今の自分に深く満足するには、本当の豊かさが必要なのだ…老子第三十三章」
「知識を学ぼうとする者は、毎日何かを知り、覚え込もうとする。タオを求める人は、毎日何かを忘れ去ろうとする…老子第四十八章」
「タオの天は、いつも、そこに達した人に、限りないものを与え続けるんだよ…老子第七十九章」
【大きな知恵】
大きな知恵というのは、ゆったりとすべてを包み込んでゆく。
小さな知恵というのは、片一方にかたよって、こせこせしている。
大きな知恵からくる言葉は、簡明で静かだが、
小さな知恵からの言葉というのは、かん高くてうるさいのさ。
たとえば眠っているときには、われわれは大きな魂に触れている。
ところが、目を覚ますと、五官が開き、その五官を働かせて活動を始める。
頭も、気も、あれこれ散り始める。
迷ったり、くじけた気持ちになったり、いじけた気持ちになったりする。
いろいろ小さな心配ごとが生じたり、大きな恐怖にとりつかれたりする。
心というやつは、まるで矢のように、あちこちへ飛んでいくものだよ。
そして当たったものを勝手に判断する・・・自分の考えが正しい、とね。
何にぶつかっても、じぶんが正しいと思う。ところが、そんな君の意見なんて、長続きするものじゃないのさ。
秋が来たり、冬が来たりするように、いつしか変わっていくものなんだ。
また、詰まった管みたいに、いろいろなものが行き止まりとなる。
しまいには、若さを失って、死に近づいていくわけだ。
喜びや怒り、悲しみや幸福、希望や恐怖、気の弱さや強さにとらわれ、
尻込みしたり、向こう見ずに進んでいったりする。
夢中になったり、傲慢になったりする。
みんな葦の管に吹く風の音みたいに鳴り、また、地面に生えるキノコの群れみたいに、
たえず出てきて消えてゆく。
すべてもののが、動いては止み、動いては止みする。
だから、気にするんじゃないよ。
小さなことは、放っておけばいいのさ。
もちろん、こういうものがなければ、自分というものは存在しない。
また自分というものが、いなかったら、相手もいないと同じことだ。
これは、なかなかすばらしい心理なんだが、なぜそうなっているのか、分からないんだ。
本当のところ、この自分と相手との間には、両方に働く何か大きなものがあるんだが、
その大きな力というものの働きが、どう動くのか、それは誰も分からないでいる。
私は、その大きな働きに運ばれていると信じるがね、
ただ、それは目に見えるものじゃないんだ。
感じてはいるけれど、形にして示せるものじゃないんだ。
所々に配された加島自身の墨彩画が想像の枠を広げてくれる。
この本は一気に読んでハイおしまいではなく、時折、ぱっと開いた一、二節を読んでしみじみ味わう読み方が良いのではと思います。それだけ、一つ一つに深いものを感じます。だから栞ひもが3本も付いている心使いが嬉しい。
加島祥造といえば、タオ
この本にもタオのことが沢山書かれていました。
「人間が名付けるすべてのものや、ものを知ったと思う人間たちのむこうに、名もない道(タオ)の領域が、はるか向こうに広がっている…老子第一章」
「こうと決めたって、ことは千変万化して、絶え間なく動いてゆく…老子第二章」
「もっともっと大きな~ライフ~というものにつながる~自分~こそ、大切なんだ…老子第十三章」
「自分の中にある素朴な素直な素質を大事にすることさ…老子第十九章」
「自分の内に目を向けて、今の自分に深く満足するには、本当の豊かさが必要なのだ…老子第三十三章」
「知識を学ぼうとする者は、毎日何かを知り、覚え込もうとする。タオを求める人は、毎日何かを忘れ去ろうとする…老子第四十八章」
「タオの天は、いつも、そこに達した人に、限りないものを与え続けるんだよ…老子第七十九章」
【大きな知恵】
大きな知恵というのは、ゆったりとすべてを包み込んでゆく。
小さな知恵というのは、片一方にかたよって、こせこせしている。
大きな知恵からくる言葉は、簡明で静かだが、
小さな知恵からの言葉というのは、かん高くてうるさいのさ。
たとえば眠っているときには、われわれは大きな魂に触れている。
ところが、目を覚ますと、五官が開き、その五官を働かせて活動を始める。
頭も、気も、あれこれ散り始める。
迷ったり、くじけた気持ちになったり、いじけた気持ちになったりする。
いろいろ小さな心配ごとが生じたり、大きな恐怖にとりつかれたりする。
心というやつは、まるで矢のように、あちこちへ飛んでいくものだよ。
そして当たったものを勝手に判断する・・・自分の考えが正しい、とね。
何にぶつかっても、じぶんが正しいと思う。ところが、そんな君の意見なんて、長続きするものじゃないのさ。
秋が来たり、冬が来たりするように、いつしか変わっていくものなんだ。
また、詰まった管みたいに、いろいろなものが行き止まりとなる。
しまいには、若さを失って、死に近づいていくわけだ。
喜びや怒り、悲しみや幸福、希望や恐怖、気の弱さや強さにとらわれ、
尻込みしたり、向こう見ずに進んでいったりする。
夢中になったり、傲慢になったりする。
みんな葦の管に吹く風の音みたいに鳴り、また、地面に生えるキノコの群れみたいに、
たえず出てきて消えてゆく。
すべてもののが、動いては止み、動いては止みする。
だから、気にするんじゃないよ。
小さなことは、放っておけばいいのさ。
もちろん、こういうものがなければ、自分というものは存在しない。
また自分というものが、いなかったら、相手もいないと同じことだ。
これは、なかなかすばらしい心理なんだが、なぜそうなっているのか、分からないんだ。
本当のところ、この自分と相手との間には、両方に働く何か大きなものがあるんだが、
その大きな力というものの働きが、どう動くのか、それは誰も分からないでいる。
私は、その大きな働きに運ばれていると信じるがね、
ただ、それは目に見えるものじゃないんだ。
感じてはいるけれど、形にして示せるものじゃないんだ。
所々に配された加島自身の墨彩画が想像の枠を広げてくれる。