グリーンズ・テイブル

ppのピアニッシモな戯言でござ~い☆

管弦楽組曲第2番

2013-07-04 19:08:29 | 音楽活動

J.S.バッハの管弦楽組曲第2番全曲を遊ばせていただけることに。
有り難いことです。
チェンバロは入らないけれど、充分。
他人様に聴かせるのはプロの方にお任せして。
遊びはいい加減にやってはつまらない、限りある時間と体力の許す限り(両方ともあまり無いのだけど)サラわねば。
甲斐雅之さん(N響)が書いていた「リップ・プレートが唇に密着している時間が長ければ長いほどその努力は裏切られることはない」は、私のささやかな経験上でも実感している(但し集中力の欠如や緊張は度外視して)
なぜなら、特に管楽器奏者は身体も楽器の一部になるから。

さてさて、どんな曲でも時間が来てその音を出すだけでは音楽にならないのに、バッハの譜面には殆ど表情記号がついていない。
オゥヴァチュアの後半以降はダブルタンギングが延々続く、タンギングの練習には良いけれど、べたっとそれではつまらない。
レッスンで学んだ少しの知識と経験を駆使して(フフ)試してみよう。

それにしても息が苦しい…バッハは鍵盤奏者。

フルートメーカーの季刊誌に載っている大嶋義実さん(京都市芸大学院教授)の随筆に面白いことが書かれていた。
以下抜粋。
4万年前に鷲の翼の骨から作られた笛が2008年に発見された。
楽器の発祥は打楽器かと思いきや、打楽器の最古はいまのところマンモスの骨で作られた2万年前の物。
笛は人類が言葉を持たない時代から存在していたというのに、歌うように演奏しなさいとよく言われるのは、おかしくないだろうか。

野生の肉を食するのは、その超越した力を体内に取り込むため。そして残った骨にはその動物に由来する霊力が宿ると信じられていた。骨を楽器として鳴らすことは霊の世界との交信であり、その再生を意味したのだ。
だから音を出す道具には必ず暗い穴か洞がなければならず、笛類が筒状なのは天の領域に繋がる通路だからだ。太鼓の胴体は地の世界に伸びる道筋への入口だ。

創世記ではアダムの子孫たちが社会を営むために真っ先に必要としたものが、音楽と食料と道具だったという。
道具ゆえに、ひとは肉体を生かす恵みを自然から得る。
楽器ゆえに、ひとはこころを養う贈り物を受け取ることができる。
天の恵みともいうべき音楽のよき仲介者であることを、楽器はいまもわたしたちに求めているにちがいない。

だからわたしたちは競うために楽器を奏でることはできない。なぜなら、どんなに美しい音も素晴らしい音楽も、それは人間の手によるものではないからだ。無償で手にした価値をひとは自ら誇ってはならない。

楽しいこと、美味しいものは……新しい力にかわってくれる☆

♪ ♪ ♪    ♪ ♪ ♪    ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪