プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

広政秀之

2013-12-08 15:12:19 | 日記
1988年

経歴が一風変わっているのは、「草野球のエース」から近鉄に入団が決まった広政秀之投手(幸福相互商事、二十一歳)。大阪商高から東北福祉大へ進んだが、二年生の五月、父の病気のため帰阪。その後、「野球選手求む」の新聞広告を見て商事会社へ入社、軟式野球チームのエースに。併せて大阪市内の草野球チーム「新橋ジャコー」にも入り、スポーツ紙主催の関西地区での大会でチームを優勝に導いた。無理のないフォームとがっしりとした体、伸びのある右腕からの速球が目に止まり、五日、契約金千二百万円、年棒四百万円(推定)で仮契約した。河西チーフスカウトによると「特に下半身がしっかりしており、腕の振りがいい。制球力もある正統派。球種を増やしていけばおもしろい」という。
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志村洋介

2013-12-08 15:00:06 | 日記
1978年

埼玉・所沢商の志村洋介捕手(18)(1㍍80、73㌔、右投げ右打ち)の入団を発表した。志村は、今夏の甲子園で二回戦まで進んだ強肩、俊足の大型捕手で、とくにインサイドワークがよい
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所憲佐

2013-12-08 14:50:27 | 日記
1979年

ファームの投手がブルペンに来たとき、時刻は午後一時を回っていたが、今年で入団十年目の所捕手は「さあ、いこう」と、ルーキーの左腕松本基(都立川高)に声をかけた。十日午前十時から、新浦ら一線級の球を受け始め三時間ぶっ通し。松本基の100球で一日のノルマを果たした。「今日は投げ込み日だったから全部で700球ぐらい受けたでしょうね」と言う。ただ漠然とボールを捕るだけではない。一球ごとに励ましの声をかけ、時にはフォームの欠点を指摘していた。「五年目ぐらいから、投手の細かいくせがわかるようになった。公式戦でもブルペンで受けているので、投手の状態はしっかりつかんでいかねばならない」ので、キャンプでの練習台といっても気が抜けないわけだ。「昨年の日米野球レッズ戦まで三度全日本のブルペン捕手をつとめ、阪急の山田、近鉄の鈴木さんなど、一流どころの球を受けさせてもらった。その体験を生かしたいと思う」と、進んで若手の球を受ける。チームに欠かせない縁の下の力持ちである。
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中沢秀一

2013-12-08 13:26:30 | 日記
1977年

巨人はドラフト指名外の三田学園・中沢秀一内野手(1㍍80、76㌔、左打ち)の入団を決めた。同選手は今夏の予選5試合で5割台の高打率をマークするなど、強打の大型一塁手として注目されていた。

1978年
・横浜大洋のルーキー屋鋪要のジュニア・オールスターでの大活躍で、やや出遅れた感があるのが、同じ巨人のルーキー・
中沢「三田学園出身」だ。「お前も、来年は100万円取って見返してやれ!」という先輩ナインの声に、中沢は怒って
反発。「いいえ、来年のボクは1軍のオールスターに出ていますよ」
中沢秀一・一塁手。181センチ、79キロ、左投げ左打ち。屋鋪はドラフト6位の入団だが、こちら中沢はドラフト外。
高校時代は通算10本塁打。中沢が3番で、屋鋪が4番だった。「ポスト・王」のふれ込みがつくほどバッティングは評判だったが、目下は第3軍の代表格で公式戦にもお呼びが掛からず、基礎練習の研修生といったところ。「守備は基礎からやり直し」・・・内藤コーチ、「打撃センスはいいものがある。柔軟なバッティングで、パワーさえつけば・・・」末次コーチと、攻守両面の評価が分かれているということは、一人前になるには、まだまだ時間がかかるということだ。
彫りの深いやさしい顔の持ち主だが、前かがみになるクセがあり一見、ひ弱に見える。しかし、中沢は1,2年先に勝負を賭けて見せると、なかなかのヤル気。「高校では屋鋪の方が上。プロでもスタートで差をつけられたけど、将来は必ず抜いてみせますよ」引き合いに出された「成長度」を逆転できるのは、さて何年先になるか。この同期の桜の争いも楽しみの一つだ。
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三井康浩

2013-12-08 13:22:47 | 日記
1978年

島根・出雲西高の三井康浩一塁手(17)(1㍍77、76㌔、左投げ左打ち)の入団が内定した。パワーヒッターで、一試合2ホーマーの経験もある。
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林真人

2013-12-08 10:09:56 | 日記
1974年

春は投手力といわれているうえに関東のビッグ3をはじめ好投手が多いので、今年の選抜高校野球は例年以上に投上位になりそうだ。それでも好打者は数多い。新チーム後の通算で打率4割以上をマークした選手が13人いる。東ではまず土浦日大の三番を打つ林があげられる。打率4割2分5厘もりっぱだが、本塁打3、三塁打13、二塁打14本と、長打率は実に8割を超す。しかも足が速く、盗塁数24はチーム(99)の四分の一を占める。二十日にの甲子園での練習でも、鋭い打球を放っていた。鈴木監督は「フォームは悪いが、ボールを捕えるポイントが良い」とほめる。林は「土屋(銚子商)のような本格派、松尾(柳川商)型の変則投手など、どんなタイプでも打つ自信はある」と頼もしい。
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伊藤元喜

2013-12-08 00:46:57 | 日記
1979年

硬式のボールを握りたい一念から、巨人のテストを受け合格したのが伊藤元喜投手(20)である。昨年十月、加藤スカウトから電話で「テスト合格」を知らされて、彼の野球人生は大きく変わった。冷暖房設備のメーカーの日本電装で軟式野球をやっていたがもともと愛媛伊予農高では硬式の投手だった。夢がかなって巨人の一員となった彼は「体のふしぶしが痛い。今が最高につらい時です。でも、なんとかみんなについてやっています」と、緊張したキャンプ生活を送っている。プロとアマの力の差が開く一方の現在、果たしてテスト生がプロでやっているのか。岩本二軍監督は「いい球を投げていますよ。今年の新人投手と球の威力という点では、少しも見劣りしない」と、伊藤の将来性を買っている。巨人には、テストで入団して大成した大友投手の例がある。1㍍81と体格にめぐまれた右の本格派。「時間がかかるかもしれないが、必ず一軍で投げてみせます」。雑草の強さを持つ投手だ。
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