1979年
「友だちに話しても、初めはみな、冗談だろって信用してくれなかったんです」と苦笑いする。無理もない。都立高校出身のプロ野球選手は、新宿高ー東大ー中日の井手峻投手などわずかな例はあるが「ストレートで入団したのはおそらくはじめて」といわれる。しかも、都内有数の新学校となればなおさらだ。その左腕から繰出す速球一本ヤリの投球は、巨人、大洋、ロッテのスカウト陣お注目を浴びたが、本人にとっては、プロは甲子園よりさらに遠い存在だった。今度中日入りしたスラッガー川又米利君のいる早実との練習試合で、「こんなすごい投手が都立にいるのか」と和田早実監督の舌を巻かせたというのに当人は「ヘンだな、早実は嬉しくなかったのかなあ」と首をかしげた。そんなノンキな性格を心配して父健一さん(44)はプロ入りに反対だった。が、ある日、後楽園球場で「五万の大観衆の前で投げたい」とポツリ。息子のいとことでプロ入りをOKしたという。1㍍80、75㌔、十八歳。中学時代の成績オール5.高校三年生の今、中の上。これまでは「本を読んでみようみまね」のピッチング。が、巨人の内堀スカウト顧問は「進学校で練習は少なかったが、みがけば光る」とその素質に期待する。年々隆盛の一途をたどる都高校野球。参加校が二百校を突破した昨年夏の都大会を彩ったのは、都立高の活躍だった。西東京では立川、東大和、小金井工、世田谷工の都立四強がベスト8入りするなど話題をにぎわせたが、その最後を飾るのが松本君の巨人入団となった。といって、すんなり巨人を選んだわけではない。「仲間は大洋の方が左投手層が薄いから、チャンスがあるぞ、というし。迷いましたが、結局、実力をつけなければ同じだと思い、子供のころから身近に感じていたジャイアンツにしました」。ファンレターはまだ二通。これがドッサリ届くのは、松本君がその晴姿を後楽園に見せる時だ。
「友だちに話しても、初めはみな、冗談だろって信用してくれなかったんです」と苦笑いする。無理もない。都立高校出身のプロ野球選手は、新宿高ー東大ー中日の井手峻投手などわずかな例はあるが「ストレートで入団したのはおそらくはじめて」といわれる。しかも、都内有数の新学校となればなおさらだ。その左腕から繰出す速球一本ヤリの投球は、巨人、大洋、ロッテのスカウト陣お注目を浴びたが、本人にとっては、プロは甲子園よりさらに遠い存在だった。今度中日入りしたスラッガー川又米利君のいる早実との練習試合で、「こんなすごい投手が都立にいるのか」と和田早実監督の舌を巻かせたというのに当人は「ヘンだな、早実は嬉しくなかったのかなあ」と首をかしげた。そんなノンキな性格を心配して父健一さん(44)はプロ入りに反対だった。が、ある日、後楽園球場で「五万の大観衆の前で投げたい」とポツリ。息子のいとことでプロ入りをOKしたという。1㍍80、75㌔、十八歳。中学時代の成績オール5.高校三年生の今、中の上。これまでは「本を読んでみようみまね」のピッチング。が、巨人の内堀スカウト顧問は「進学校で練習は少なかったが、みがけば光る」とその素質に期待する。年々隆盛の一途をたどる都高校野球。参加校が二百校を突破した昨年夏の都大会を彩ったのは、都立高の活躍だった。西東京では立川、東大和、小金井工、世田谷工の都立四強がベスト8入りするなど話題をにぎわせたが、その最後を飾るのが松本君の巨人入団となった。といって、すんなり巨人を選んだわけではない。「仲間は大洋の方が左投手層が薄いから、チャンスがあるぞ、というし。迷いましたが、結局、実力をつけなければ同じだと思い、子供のころから身近に感じていたジャイアンツにしました」。ファンレターはまだ二通。これがドッサリ届くのは、松本君がその晴姿を後楽園に見せる時だ。