プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

菅原紀元

2015-04-12 08:46:43 | 日記
1958年

大毎オリオンズ入りを決定した都内東洋商の菅原紀元(のりもと)投手(18)は八日有楽町の大毎球団事務所で入団正式発表を行った。菅原投手は1㍍82、77㌔の巨漢右腕投手で、オーバースローから伸びのある直球とドロップを武器とする本格派投手。都内高校球界でもスライダーを投げることで名が通っていた。今夏の東京都大会では三回戦(対小金井工)に点を取られてからリリーフしたため1-0で惜敗したが、二試合15イニングで22三振を奪っている。これで大毎は上条投手(足立高)佐藤二塁手(東北高)につぐ三人目の契約。同選手は契約後すぐ伊東に向かい大毎の選手として改めて合宿練習に参加した。

松村代表の話 片岡君が伊東につれて行き別当監督に見てもらったところなかなか素質があり有望だとのことだったので、すぐ交渉し契約した。うちは投手に補強の重点がおかれており、これが戦力の一つになってくれれば幸いだ。

菅原投手の話 大毎からの交渉は夏の大会が終わってすぐにありました。初めは立大進学を希望していたのですが野球に理解のあるおじが熱心にプロ入りを勧めてくれましたし、パ・リーグの中で大毎が好きだったので五月の終わりごろプロ入りを決意しました。昨年秋の東京都大会で試合したことのある上条君もいることだし上条君に負けぬようがんばるつもりです。
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井洋雄

2015-04-12 08:30:26 | 日記
1958年

日鉄二瀬のエース井洋雄(ひろお)投手(21)は八日広島カープと正式契約を結んだ。1㍍77、64㌔、右投右打、三十一年済々黌高から日鉄二瀬に入り、都市対抗出場三回、産業対抗大会出場二回、コントロールのよい外角速球とカーブには定評があり、今年度の産業対抗大会初優勝の原動力となった。
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東郷幸

2015-04-12 07:32:17 | 日記
1959年

国鉄スワローズでは十八日正午、千代田区丸の内の同球団事務所で天王寺鉄道管理局の東郷幸(さとゆき)捕手(24)=三重県上野高校出=と正式に契約した。同選手は身長1㍍78、体重78㌔、右投右打で今秋の産業別野球大会では全国鉄チームの主軸打者として活躍した。年間の通算打率は三割一分をマーク。長打力の持ち主である。なお同選手は三十二年度から二カ月間阪神に籍をおいたことがある。
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田中昌信

2015-04-12 07:01:13 | 日記
1961年

阪急ブレーブスでは二十八日西宮高の田中昌信投手(19)=右投右打=と契約した旨発表した。同投手は身長1㍍75、体重69㌔と体格に恵まれておりすぐ戦力になる投手ではないが、ストレートにはかなりの威力を秘めており阪急ではその将来性を買っている。過日のテストの結果採用されたもの。なお背番号は59である。
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窪義幸

2015-04-12 06:42:32 | 日記
1959年

南海ホークスでは二十日九州電力宮崎営業所の窪義幸投手(21)=宮崎県日南高卒=と正式契約した旨発表した。窪投手は身長1㍍77、体重67㌔、左投左打、昭和三十二年三月日南高を卒業して同年四月から九州電力宮崎営業所に勤務していた若手本格派左腕投手で、昨年末に退社した。昭和十三年八月二十五日生まれ。背番号は「33」
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鹿谷幸和

2015-04-12 06:36:22 | 日記
1959年

西鉄は五日同球団事務所で浪商高校の鹿谷幸和(よしかず)投手(18)と正式契約した。右投げ右打ち、1㍍80、78㌔。速い球を持つ本格派投手。一年生からレギュラーとして出場、二年生のとき滝川高(兵庫)との試合でノーヒット・ノーラン・ゲームを記録した。
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