プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

近藤三明

2015-04-25 18:41:34 | 日記
1958年

積極的に来季の補強に乗り出す近鉄パールズは先に益田産業の福原投手を獲得したがこのほど関東社会人球界の雄日本鋼管の新鋭近藤三明投手(20)=左投左打=に交渉の結果本人の内諾を得て近鉄入りが決定した模様である。近藤投手は水戸農高出身、一昨年日本鋼管に入社、昨年度の都市対抗では同チームのエース杉本とともに怪腕をふるって後楽園出場の経験を持ち本格派投手として早くから注目されていた逸材である。ことに投手陣の非力をかこつ近鉄としては期待のホープである。
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坂本盛明

2015-04-25 17:30:55 | 日記
1956年

セ・リーグ大洋ホエールズでは二十四日専大野球部坂本盛明外野手(22)の入団を発表した。正式契約は二十六日午後一時に行われる。同選手は二十八年春熊本商高から専大へ入学し昨シーズンあたりからメキメキ売り出した強打者、特に昨秋の日大との決勝戦には島津投手からサヨナラホーマーを奪い専大優勝に貢献した東都大リーグ屈指の強打者といわれ、ことしも五番打者として活躍した。一時は南海に入団するのではないかとみられていたがこのほど大洋が獲得に成功したもの。五尺九寸、二十一貫右投右打で足も速い。
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鈴木義文

2015-04-25 14:35:01 | 日記
1956年

中日入りを伝えられていた鈴木義文外野手(22)=土浦三高、全藤倉=は三日午後五時半中日ドラゴンズ東京事務所で中日宮坂総務、全藤倉大館監督、土井コーチ立会いのもとに正式契約を行った。同選手は二十八年藤倉入社、二十九年の都市対抗から左翼手として出場、主力打者として活躍した。五尺七寸、十九貫五百。

鈴木選手の話 中日、南海からお話がありましたが、大館さんや土井さんも中日入りをすすめて下さったので中日を選びました。一応自信はもっておりますが先輩に色々おしえをこい早く第一線で働くよう頑張ります。

全藤倉大館監督の話 鈴木は練習熱心だし努力型の選手なのでプロでも十分やってくれると思う。高校時代捕手と外野手両方をやっていたが藤倉では打力を生かし外野手とした。強肩だし足も早くことしの産業野球前にはトップ打者にとも考えたが、長打力のある彼をトップにおくのはもったいないので六番を打たせた。カーブにもろい欠点はあるが、西沢選手などよい先輩もいることだから直してもらえるだろう、活躍を期待する。
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佐藤三男

2015-04-25 14:01:05 | 日記
1958年

宮城県東北高の佐藤三男二塁手(18)は大毎オリオンズ入りが決まった。佐藤二塁手は東北高の五番打者として今夏の甲子園の全国高校野球に活躍、大型二塁手として注目され、大洋、日鉱日立などからも勧誘されていたが、本人の希望で大毎入りが決まったもの。

佐藤選手の話 大洋や日鉱の砂押監督からも来ないかといってくれましたが、ボクはオリオンズのチーム・カラーが好きだし先輩の若生さんもいるので大毎に行くことにしました。
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花本和夫

2015-04-25 13:49:35 | 日記
1958年

大毎入りが決定した東鉄の花本和夫投手(21)=山梨県都留高校出身=は二十六日午後四時有楽町の大毎球団事務所で正式に入団の契約を行った。花本投手は1㍍83、75㌔の巨漢右腕投手でのびのあるストレートとカーブが武器、これまで東鉄では大きな試合に登板しなかったので目だたなかったが、本格派投手として将来を楽しめる選手。

松村代表の話 花本君は目だたなかったとはいえ二、三の球団から誘いがあったようだ。これで上条、菅原と三人目の右腕投手を獲得したが花本君は別当君も使えそうだといっているくらいだから、右腕投手陣の強力な一員となってくれるかもしれない。

花本選手の話 大毎を選んだのは郷里の先輩矢頭さんがいるし伊東で別当監督さんたちから見てもらった際、チームカラーが好みに合っているようなのできめた。
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荒井健

2015-04-25 13:34:12 | 日記
1956年

近鉄パールズはきのう十七日午後一時半から大阪阿倍野同球団事務所で大北代表、今村マネージャー立会のもとに早大荒井健投手(22)=右投右打、五尺六寸五分、十七貫五百、高松一高卒=と正式契約を行った。荒井投手は今年は東京六大学リーグ戦には一度も出場しなかったが、シュート、スライダーを主武器とする本格派投手でかつて昭和二十九年夏の大会には二年生ながら高松一高の主戦投手として出場準決勝でその年の覇者平安高に惜敗したとはいえ、外角低目をつく速球には定評があり早くから注目されていた逸材である。

大北代表の話 荒井君は多彩な球質の持主で今夏からマークしていた選手だが、ちょうど芥田監督の後輩でもあり、その活躍を大いに期待している。
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大崎隆雄

2015-04-25 12:53:09 | 日記
1960年

大洋ホエールズでは大洋入りが決まった平安高の大崎隆雄投手(18)と、森代表、三原監督立ち会いのもとに二十九日正午から永田町グランド・ホテルで正式に入団の契約を交した。大崎投手は1㍍82、75㌔、右投右打の上手投げ本格派投手で、今夏の甲子園大会に金沢市高を1安打完封に押えて大きくクローズアップされ、大洋、巨人、大毎、南海、阪神などから勧誘されていた。大洋は江田スカウトが熱心にすすめ、三原監督も今月初め本人と会って説得、獲得に成功したもの。恵まれた長身から投げおろす速球、大きく落ちるカーブ(ドロップ)は威力があり、高校界でも豪球投手として定評があった。背番号は未定。

大崎投手の話 ボクはパよりもセの方が好きだ。大洋を選んだのは、一つの頂点をもとにすっきり一本通ったものがあり、まとまっているものが感じられたからだ。ボクは速球とドロップが武器で、時たま落ちるシュートを投げるが目標としては力のピッチングをしたい。近藤和さんを初め球界には平安の諸先輩方がいるが、先輩に負けないよう努力するつもりだ。

三原監督の話 大崎君は顔も体も別所君の少年時代にそっくりだ。またピッチングも上手投げで力強さがうかがえ、本格派投手として期待が持てる。しかしただ似ているというだけではダメで、大崎君自身の努力を望んでいる。
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関口一郎

2015-04-25 09:20:16 | 日記
1956年

かねてからプロ入りを伝えられていた明大野球部投手関口一郎選手(22)のセ・リーグ大洋ホエールズ入団が本決りとなった。同投手には大映などからの勧誘もあったが本人は秋山、土井はじめ先輩をしたって大洋入りを望んでいたもの。大洋球団との正式契約はまだ行われていないが契約金の折り合いさえつけば契約の運びとなるもようで迫畑大洋監督がきょう三日帰京することになっているので二、三日中には正式入団が決定しよう。なお関口投手は明治高から二十八年明大に入学、六大学リーグ戦では秋山(現大洋)の陰にかくれて目立たずブルペンエースなどといわれたこともあったが今春の対慶大戦で快投を演じシャット・アウトにほうむって脚光を浴びた。五尺七寸五分、十九貫。

関口選手の話 迫畑監督さんには高校時代から教えをうけていますし秋山さんや土井さんたちもおりますので大洋に入ることにしました。まだ契約はしておりませんが迫畑さんが帰京されたらすぐにでも契約しようと思っています。プロへ入ってどの程度やれるか分かりませんがただ一生懸命頑張りたいと期しています。
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亀田信夫

2015-04-25 08:34:25 | 日記
1957年

国鉄スワローズでは一日午前十一時半有楽町の球団事務所で埼玉県大宮高の強打者亀田信夫三塁手(18)と入団の契約を行った。同選手は今夏の甲子園大会で主将として、また四番打者として活躍、四試合16打数、10安打、打率六割二分五厘の最高打率をマーク、決勝戦進出の原動力となった。長打力もあり、チャンスに強いバッターとして国鉄のほか中日、南海、阪急、近鉄、大映からの勧誘の手がのび、さらに早大、慶大、立大、明大、法大などの各校からも進学をすすめられていたが同選手の実家が鉄道一家(父親の作治さんは二十九年まで水鉄機関区長、長兄寛さんは大宮機関区、次兄雅さんは関東地方資材部中央用品試験所三兄が水鉄局勤務)であったことから国鉄入りが決まったもの。五尺八寸五分、十九貫八百、右投右打。

亀田選手談 皆さんが期待するほどの活躍はできないかも知れませんが、一生懸命やります。大学へ進むことも考えてみました。しかしあと四年間勉強することは大変なのでプロ入りを決意しました。国鉄を選んだのはチームカラーに魅力を感じたことと、また町田さんのファンでもあるからです。
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渡辺稔

2015-04-25 08:24:21 | 日記
1958年

国鉄スワローズ入りを決定した埼玉県大宮高校野球部主将の渡辺稔選手(18)は三十日有楽町の国鉄球団事務所で入団の正式契約を行った。同選手は1㍍75、69㌔の体格に恵まれ昨年は遊撃手として、ことしは投手として夏の大会に連続出場将来を嘱望されていた。国鉄のほかに中日、近鉄からも勧誘されていたが、大宮高の先輩、高屋、亀田がいることから国鉄入りが決まったもの。右投右打でバッティングの才もあり、昨年は予選で三割五分、甲子園では二割五分、ことしも予選では四割二分の高打率をマークした。

渡辺選手の話 国鉄を選んだのはチームカラーが好きなことと先輩の高屋さん、亀田さんがいるからだ。投手となるか野手となるかは監督さんが決めてくださることですが僕としては内野手、特に一番なれた遊撃がやりたい。プロと高校野球にどのくらいの差があるか知りませんが、国鉄に入った現在別に不安はありません。あとは一生懸命努力すればよいと思っています。
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