プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

横地由松

2015-04-18 15:15:08 | 日記
1957年

中日ではこのほど中部地方高校球界の名遊撃手地元愛知商高の横地由松(18)選手と正式契約した。同選手は身長五尺七寸五分体重十七貫五百、内野手としては最適の体格に恵まれ、強肩で打撃も同校不動の四番打者として超高校級である。右投右打。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

菊地秀之

2015-04-18 13:20:57 | 日記
1958年

東北高(宮城県)の菊地秀之三塁手(17)はこのほど西鉄入団が内定し、近く正式契約を行う。同選手はすぐれたバッティングと強肩をかわれたもので、今シーズンの打率は三割七分五厘、夏の全国高校野球選手権大会にも出場した。身長一八二㌢、体重72㌔、右投右打。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

古川啓三

2015-04-18 13:13:10 | 日記
1958年

大阪タイガースでは八日午後一時から北区梅田の阪神本社内同球団事務所で先に入団が内定していた古川啓三捕手(24)と正式契約した。同捕手は三十二年法大卒、日本コロムビアに入社、三番打者として活躍、外角球が得意で右翼方面への打法を身上とし昨年の都市対抗野球には四割七分の好率を誇っている。最近は左翼方面にもしばしば好打している。昭和九年四月二十五日生れ、倉敷工から法大ー日本コロムビア、身長1㍍70、体重71㌔、右投右打。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

石井登

2015-04-18 12:55:00 | 日記
1957年

同選手は琴浦高から昨春岡鉄に入り、その年の春の選抜都市対抗野球に三番打者として出場、今夏の都市対抗野球大会には倉敷レイヨン岡山の補強選手となって二塁手、五番打者で活躍した。高校時代は投手をつとめていたが、岡鉄に入って打力を生かされて三塁を守って岡鉄攻守の中心選手だった。今シーズンの通算打率は三割を超す好打の持ち主で阪神の三宅、国鉄の田代両選手の後輩にあたる。五尺七寸、十七貫、右投右打で自宅は岡山県児島市田ノ口。

石井選手の話 プロ野球はあまり見ておりませんし、自分がすぐ一線に出られるとも思っていません。ここ一、二年は二軍にでも置いていただきプロの空気に早くなじみたいと考えています。プロ入りしたのはどうせ野球するのだったら…と決意したからで、大洋からは都市対抗前に話がありました。自分の希望は三塁手です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長尾辰雄

2015-04-18 12:41:34 | 日記
1958年

大分県日田高校野球部主将長尾辰雄捕手(18)は南海ホークスに入団することに内定した。二年生のときから同校チーム正捕手となり、十九試合に七本塁打を放った大型捕手。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横山守

2015-04-18 12:37:27 | 日記
1958年

中京球界で多治見工の河村とともに並び称されていた岐阜工の横山守投手(17)は国鉄、近鉄、中日、大毎から入団を勧誘されていたが、このほど国鉄スワローズ入りが内定した。同投手は夏の高校予選で岐阜商をノーヒット・ノーランに押え、四十九イニング無失点の快記録を作っており、毎試合平均十二の三振を奪取した剛速球投手で河村より球質が重いといわれている。1㍍80、73㌔、右投右打。なお正式契約は十一月末になる予定である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする